03.転移後の国内Ⅱ

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【日本国/九州の西/約800㎞沖合/列島転移後1日目_6:30】


 海流の流れが激しいその海域で、二人の漁師が木の板に揺られて漂流していた。


 二人はここから二百㎞以上も離れたところにある漁村の生まれだが数日前に運悪く嵐に遭遇し、大破した船の残骸に揺られてこの場所まで流されてきたのだ。


 飢えと喉の渇きからか、二人はぐったりと力なく木片の上に横たわっていた。


「……おい……あれからどんくらいたった?ドム」


 と、不意に一人の男が声を上げた。彼は痩せた身体に浅黒い肌、そして特徴的な犬耳と尻尾しっぽを持った中年の男で、名をクーロと言う。その容姿からも分かるように彼は獣人である。もっと言うと獣人種と人種の混血であった。


 クーロの問いにドムと呼ばれた男はけだるそうに答える。ドムは人種の小柄な男だ。


「あー二日ってところか……そんなことより喉が渇いて干からびそうだ」


「まったくだ。快晴ってのもこんな時には困ったもんだ……」


 幸か不幸か、嵐はとっくの昔に過ぎ去っており、海はいたって穏やかなものであった。東から昇った太陽は溢れんばかりの光を放ち、絶好の釣り日和でさえある。


「……船でも通りかかってくれりゃーなぁ」


 クーロはそう言って目を閉じた。しかし、ドムはすかさずその希望を打ち砕く。


「通るわけねーだろ……こんなとこ。俺たちが東に流されてたらそれこそ助けなんて期待できないぞ」


「あー糞みたいな人生だったよ」


 大陸の東端に位置する彼らの故郷〝ウォーティア王国〟は長らく陸上交易が盛んであり、遠洋航海技術が極端に乏しい。それは大陸の南部の海域に海洋性の魔物が多数生息しており、西の国々との交易に海を利用できなかったことが大きい。


 と、そこにドムの動揺した声が響く。


「……おい、クーロ」


「あんだよドム」


「……あんなとこに島があるぞ。しかもどんどん大きくなってる」


 クーロは半信半疑に閉じていた目を開け、重い身体を上げた。


「そんな馬鹿なことが……っ」


 そして息を飲む。


 視線の先には灰色の巨大な群島が見えた。彼らは知らない。彼らが島と誤解したそれが船であることを。そしてその船に星条旗がはためいていることに。


 それは偶然その海域近くを航行し、急遽、事態の調査に向かった米軍の艦艇であった。







 ♢

【日本国/東京都千代田区永田町/首相官邸/総理執務室/同日_8:00】


 日本の行政を司る首相官邸で、その長たる内閣総理大臣、藤原ふじわら三郎さぶろうは難しい顔でうつむいていた。


 ここ総理執務室には早朝から、多くの担当閣僚や官僚が集まり、「ああだ」「こうだ」と言い合っている。


「それじゃ何だ?我が国は異世界に飛ばされたと、そう言いたいのか?そんな馬鹿みたいな話があるわけがない」


 藤原は怪訝な顔を浮かべ白髪の目立つ50代後半の男を見つめた。男の名前は岩橋いわばし つとむ。現政権与党・自由新党の重鎮の一人にして、藤原内閣では防衛大臣の職にある男だ。


 藤原ももう50代後半であり岩橋とは同い年であるが、髪を黒く染めているためか岩橋と比べると少し若く見える。


「藤原、いい加減現実を受け入れろ」


 そう言って岩橋は藤原の前に何枚かの報告書を投げ置いた。


「米軍から自衛隊に提供された情報だ。自衛隊もこれを認めている」


 自衛隊と米軍の情報を総合し、防衛省がまとめた報告書。


 “日本列島周辺地理報告書″と題されたその報告書には、日本周辺の地理情報が詳細に記されていた。


「韓国も消えた、ロシアも、中国もだ……本来なら喜んでも良いんだがな」


 そう言ってにやりと笑うと、岩橋は報告書とは別の資料を取り出す。


「これは岩国から飛び立ったP-3Cが撮った画像だ」


 P-3Cはロッキード社が開発した固定翼哨戒機P-3の対潜哨戒能力を向上させた機体であり、現在でも後継の国産哨戒機P-1と共に日本周辺の哨戒任務に就いている。


 藤原は岩橋の取り出した資料に添付された画像を見つめ呟く。


「……村?」


 そこに写されていたのは藁で出来た屋根を持つ小さな漁村。


「そしてこっちが港街らしき影だ」


「……石造りの街に木製の漁船、か。念のために聞くが中国や韓国にこんな風景は……ないよなぁ」


 藤原は投げかけた質問を自ら途中で否定した。


「当然だ」


 岩橋の予想通りの返答に藤原は俯き考え込む。


 実は、先ほどまで国立天文台や気象庁、外務省、総務省、経済産業省、金融庁、国土交通省などなど……各関係機関の大臣や担当者から様々な報告を矢継ぎ早に受けていた。


「星の位置関係が昨日までと全く異なる」

「各国大使館から本国との連絡が取れないと外務省に問い合わせが」

「在外公館と連絡が途絶えた」

「GPSが使えない、一部のサイトが閲覧できないと報告が」

「企業から外国と連絡できないと問い合わせが」

「全国の港湾で貿易が滞っており経済的な損失が」

「東証を始め全取引所が取引を停止している」

「航空会社の報告では韓国や中国が消えたと」

「空港や港は混乱の中に」


 相次いで報告される様々な異常に藤原は頭を抱えていた。それは居並ぶ閣僚や担当者も同様であった。


 しかし防衛大臣の岩橋の放った一言が、この閉塞的な状況を打開する。岩橋は言った。


「日本がまるごと異世界に飛ばされた……んじゃねぇのか?」


 と。


 与党の重鎮、岩橋の妄言とも言える一言に室内は静まり返る。すぐに、「そんな馬鹿な」「さすがの岩橋さんでも冗談きついですよ」と言った声が上がった。


 藤原も当然そんな馬鹿なと、岩橋の言葉を否定したのだ。


 だがどうだろう……自衛隊や米軍から上がった報告と関係機関から上がった報告。


 それらを結び付けると―――。


 藤原はその結論に納得すると、俯けていた顔を上げて周囲を見渡し、神妙な面持ちで口を開く。


「確かに……日本が異世界に飛ばされた、と考えればすべての辻褄が合う」


 その言葉に岩橋はにやりとほくそ笑み、その他の人々は黙って頷いた。岩橋の説明は理路整然としており、周囲を納得させるのに十分であった。


「では……この事態をどのタイミングで国民に伝えますか?」


 割って発言したのは黒髪を七三分けにした40代後半の男。彼は菅原すがわら 利文としふみ。藤原内閣では内閣官房長官の職にあり、その手腕から藤原内閣の懐刀と呼ばれている。


「そうだな……各地で混乱は起きているようだが、幸いまだ国民はこの事態に気づいていない。この事態に気付くことが出来たのも、政府レベルの情報網があってこそ。国民は個々の事象には気が付いていても、まさか日本が転移したとは考えていないだろう」


 そう言って藤原は重厚な椅子から腰を上げ、そうさらに続けた。


「で、あるなら……政府としてきちんと対処方針が定まるまでこのことは内密にしておいた方がいい」


 藤原の言葉に岩橋も同意を示す。


「あぁ、今公表したら確実にパニックを引き起こす。それに言い出しっぺの俺が言うのもなんだが、ことがことだ。専門家連中の意見も聞いてからじゃないと単なる馬鹿話の類と変わらん」


 岩橋は自身の言葉にある程度の自信を持っていたが、それでもやはり馬鹿げた話であることは自覚している。故に、現段階で公表するような早まった真似をするべきではないと、そう思っていた。


「ですが、すでに実害は出ています。何かしらの公式見解を示さなくては国民は余計に心配します」


「それは無論だな。どうだ藤原。調査中・・・で押し通せると思うか?」


「押し通すしかないだろう……。公表するまでこの事は内密に。各自、秘密が漏れないよう細心の注意を払って行動して欲しい」


 藤原の言葉に、岩橋は「あぁ、もちろんだ」と首を縦に振って同意を示す。その他関係機関の大臣や担当者は事態の深刻さに黙って頷いた。 


  こうして官邸には緘口令かんこうれいが敷かれ、発表後に起こるであろう〝買占め″や〝治安悪化”などへの対策会議が昼夜を徹して行われることになった。


 その日の午前中に開かれた記者会見。


 藤原は予定通り「調査中」と発表したが、各種報道機関マスコミは納得することなく、会見場は大荒れであったとだけ記しておこう。

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