20.大陸調査の果てに
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【日本国/東京都千代田区永田町/首相官邸/総理執務室/10月末日(難民との接触後五日目)】
「総理、東岸地域からの定期報告です」
「ありがとう。それで何か取り立てて話すような内容はあるか?」
政務担当首相秘書官である佐々木に手渡された報告書を手に、藤原首相は尋ねた。何かと多忙な藤原である。現場からの報告全てに目を通す余裕はないため、もっぱら佐々木から報告を受けるという形をとっていた。
佐々木はトレードマークの銀縁眼鏡をくいっと手で持ち上げると、にやりと笑みを浮かべ藤原に視線を送る。
「……なんだその不気味な笑みは」
藤原はやや引きつった表情で佐々木を見る。
「不気味とは心外ですね」
そう言う佐々木だが、言葉とは裏腹にまったく気にしていない様子で、言葉を続けた。
「とても喜んでいる……そういう表情なのですよ?」
「そうか……では我が国にとって良い報せがあったんだな?」
「はい。良い報せとより良い報せ、どちらからお聞きになりたいですか?」
もったいぶった佐々木の口ぶりに、藤原も演技がかった声音で答える。
「ほぉう?それでは聞こうか。まずは良い報せとやらからなぁ」
ニヤリと悪い笑みを作るノリノリの藤原に、佐々木もニヤリと笑みを向ける。もっとも彼の笑みは作ったものではなく素の笑顔だと言うのだから笑えない。
「良い報せは、外地派遣部隊と避難民が打ち解けつつあるということですね。協力要請を快く受け入れてくれたことは既に報告済みですが、その協力で得られた情報も今回の報告で届いていますよ」
「本当か?」
「えぇ。得られた情報の詳細は後ほど簡単に纏めておきます」
「すまんな、頼む」
藤原は獣人種がヒト種に迫害されていると聞き及んでいた。どうやらヒト種というものは地球人類に似通った知的生命体であることも。故に、自衛隊と彼らの動向に注目していた。
彼らとの間の友好関係は、政府が望んでいる結果でもある。彼らからもたらされる情報はそれ単体でも価値を持つが、それに加え政治的・外交的な価値も持つのだから。
藤原はそれまで話すと、次の案件に話を進めた。
「それで?それよりも良い情報とは?」
佐々木は再び、眼鏡を持ち上げた。
「驚かないでくださいよ?」
さらにもったいぶって言う。
「東岸地域の西……荒れた大地だと思っていた荒野に、石油が見つかりました」
佐々木の言葉に藤原は食い気味に聞き返す。
「なっ!?それは本当か!?」
「ええ。当該地域に眠る石油は重量ベースで推計四〇~六〇億t。我が国の石油消費量のおよそ二〇~三〇年分にもなる量です」
石油とは、炭化水素を主成分とするさまざまな物質を含む液状の油であり、現代文明を支える貴重な鉱物資源の一種である。
日本一国の年間石油消費量は二〇一六年現在で約一億八千万t。転移時点で日本国内に備蓄してある石油はおおよそ一八五日分しかなかった。故に、転移発覚後から政府は少しでも延命しようと精力的に節水ならぬ節油に取り組んできた。
具体的に言えば、年間消費量全体の一割を占める発電向けをほぼ全て石炭に転換。また、全体の四割を占める自動車向けに関しては民間向けを制限することで一割まで削減し、家庭・業務用の削減分も合わせ全体で約五割の削減を目標に掲げる。これだけ削減してようやく一年持ちこたえることができるかできないか……そういう状況であった。
一方、輸送用・食糧生産用・工業生産用・化学用などはほぼそのままの割合を維持するなど、日常生活への影響を最小限に抑えるべく苦心した跡が見けられる。また、自衛隊の年間石油消費量は一五〇万tと全体の一%未満であるが、今後の安全保障環境の変化を考慮し、向こう五年分およそ八〇〇万t。備蓄石油量の約一割を自衛隊向けに確保している。
「油田が開発できれば我が国の石油事情は大きく改善されることでしょう」
「夢は広がるな……しかし技術的な問題や開発コストとの兼ね合いは大丈夫か?」
「技術面に関して言えば大手石油事業者から技術者を派遣してもらえれば問題ないかと。開発コストに関しては、油田が魔物の多く生息する内陸部を超えた先にあるために多少かかりますが致し方ありませんね。今はコスト度外視で……場合によっては政府予算を優先的に注ぎ込むべきかと」
佐々木はそう捲し立てると一呼吸置き、「しかし」と深刻そうな顔で再び口を開く。
「しかしもっとも問題なのは、スラ王国が当該地域へ侵攻しないかという懸念です」
荒野の先、中央平原(政府呼称)に侵攻している異世界の王国と衝突しかねない。その現実に藤原は顔を歪ませる。
「それはまた国会が荒れそうだな……」
「幸運なことに当該地域は無主の土地。東岸地域と合わせ、先んじて領有を宣言しておけば問題ないかと」
「そうだな。ここは絶対に死守しなければならない我が国の生命線だ。岩橋に話しておくとしよう」
藤原はそう言って携帯電話を胸ポケットから取り出す。
「連絡なら私が大臣秘書官に致しますよ?」
「いや、それなら岩橋に直接連絡したほうが早い」
十一月上旬、日本政府はこれまでの東岸地域(仮称)に荒野を包括して〝東岸地域〟とした。そして、その地域を「無主の土地である」と発表し、合わせて「日本国の領有に属する」ことを宣言した。
また、アメリカ臨時政府との協議の結果、アメリカ軍トウガン基地及びその周辺と、東岸地域南部をアメリカ合衆国領とすることが決まった。
もっとも、連邦政府の全権を持つアメリカ合衆国政府が再建されるのは、大統領選後。新政権発足と同時である。また、日米両政府は日米基本条約を締結し、日米安全保障条約を始めとする各種条約を現状に合うように改正することで合意した。
♢
【日本国/東京都港区赤坂/アメリカ臨時政府庁舎(旧大使館)/11月上旬】
旧アメリカ合衆国大使館である臨時政府庁舎は大忙しであった。
臨時政府待望の国土が確保されたことで正式な政府再建が急遽決定された。職員はその準備に追われていたのである。
「日本国政府からインフラ整備費用を負担してもらえるように交渉してくれ!」
「そんな!さすがに無茶でしょう!?この数か月でいくら支援してもらったと……」
「お金がないんだ!植民にどれだけの初期投資が必要だと思う?」
「分かりましたよ!日本政府になにか見返りを提供できないか軍に問い合わせてきますよ!」
その怒号は壁一枚隔てた隣の部屋にも響いていた。しかしこの部屋でもまた職員の悲鳴が響いている。
「選挙人名簿の作成はできた?」
「まだです!それまで手が回ってません!」
「えぇっ!?大統領選挙と連邦議員選挙までもう時間がないのよ!?」
「文句なら上に言ってくださいよ!」
選挙管理委員会の委員に選ばれてしまった職員の悲鳴が響く部屋の前を、キャサリン・コナー臨時大統領は申し訳なさそうに通り過ぎる。コナーの少し後ろを歩くマイク・ジョブス補佐官はそんな彼女の様子に声を上げる。
「大統領なんですからもっと堂々としていてください。あなたは命令するのが仕事なんですから」
「え?えぇ。分かってるわ。でも私は大統領じゃなくて
コナーはそう言って立ち止まり、ジョブスを振り返る。
現在のコナーの立場はあくまで臨時にすぎない。そもそも大統領権限継承法によれば、コナーは合衆国大統領代理にはなりえないのだから、それだけでも超法規的措置といえる。
「ですが、あなたも大統領選に出馬されるのでしょう?」
「えぇ」
「では大統領の椅子はあなたのものになりそうですね。今から大統領とお呼びしても構わないのでは?」
「……不正は疑われたくないわ。この国には忖度という言葉があるそうよ」
そう言ってコナーは微笑む。ジョブスは彼女のその笑顔に心を奪われたようにしばらく呆然としていたが、再びコナーが歩き出したのに気が付き、慌てて後を追った。
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