09.獣人難民Ⅲ
♢
【中央大陸/東岸地域/西部/10月下旬・某日】
それはほんの一瞬の出来事。
モロの目と鼻の先、数メートルほどの距離にいたボルムキラの体表を、無数の光の
飛沫となって溢れ出た真っ赤な血液が、緑色の絨毯に不規則な模様を描く。
遥かなる高所からの攻撃。
例え兵隊殺しと恐れられるボルムキラであったとしても、瞬時に対応するのは難しい。
ギュァァァァァァ―――。
ボルムキラ固有の叫び声が、断末魔となって辺りに響く。
光の礫に射抜かれて、立っていることができなくなった個体は、その場に身体を横たえた。
首だけを持ち上げ、必死にくちばしを動かしていた個体もしばらくの後、力尽きる。地面には水溜りのような真っ赤な血の海が広がっていく。
「なんと……」
モロはそれだけしか言葉にできなかった。
目の前で何が起きたのか、瞬時に理解することができなかった。
いや、何が起きたのかは単純明快だ。上空にとどまる巨大な羽虫のような何かが、モロたちを取り囲んでいたボルムキラの群れに攻撃を仕掛けた。ただそれだけ。
それは分かっていた。分かっていたが信じられなかった。
ボルムキラがああもやすやすと殺されたことが。そして、あの空飛ぶ魔物を操るのが自分たちと同じ人間であることが。
だがモロ以上に驚いたのは荷車を引いていた動物。馬のようなラクダのようなそれ(モロたちはこれをバクラと呼ぶ)は、大きな音と硝煙の匂いに驚き暴れた。
ヒヒィィィィィィン―――。
「きゃぁっ!」
「ぬおっ!?」
荷車が激しく揺れたことで、ミラは御者台から転げ落ちた。当然ながら御者台に立っていたモロも勢いよく地面に転げ落ちる。
荷車はそのまま横転し、バクラも地面に倒れ込んだ。
幸いと言っていいのか、バクラは温和で臆病な動物であるから、ここまでくると大概の個体が身体を丸め込めるように屈む。
故に、興奮して人間を負傷させるだの、暴れ回って手が付けられないだのということはまれだ。
「ミラ!」
「おじじ!」
ブルルルルル―――。
やはり今回も、バクラは鳴き声を上げて丸まった。モロはすぐに起き上がると、ミラの肩をつかんで激しい剣幕で問いかける。
「怪我はっ、怪我はないか!?」
モロはそう言ってミラの身体を見回した。
「平気、大丈夫だよ」
ミラの言葉にモロは「ふうっ」と安堵の息を吐く。
「おじじは?」
「わしゃ、平気じゃ。鍛え方が違うでの」
モロは笑ってそう言った。実際、モロだけでなくミラも含めて、獣人種の身体は強い。人種や狭義の亜人種よりも遥かに丈夫な肉体を誇る。
魔物がいなければこの逃避行もまた、モロたちにとってはそう苦ではなかったのかもしれない。
♢
『くそ、考えが足りなかった』
彼の眼下には12.7mm重機関銃から放たれた弾丸に被弾した恐竜に似た生物の死骸と、血の海。そして、横転した荷馬車に似た荷車と、慌てる人の姿が広がっている。
相馬は馬が驚くことで、人に副次的な被害が及ぶ可能性にまで考えの至らなかったことを反省した。
地面に降りて魔物を引き付ければ良かったのかもしれない。だが相馬とて一指揮官。自身らの優位を捨て、部下を危険に晒すような方法は取れない。
実際、魔物の強さは分からなかったし、魔物に取り囲まれている生命体———おそらく人間―――が自分たちに危害を加えないとも限らないのだから。と、そう考え直し、ベストではないがベターな行動だったと相馬は納得する。
『隊長!あれ、やっぱり人ですよね!?』
興奮気味に話すのは城ケ崎三曹。彼は先ほどから眼下に目を凝らしていた。相馬ら末端の自衛官や一般の国民は未だ、文明の存在や人間の存在を知らされていなかったのだから、それも無理のないことであった。
『おそらくな』
『でもみ、耳が!獣人……』
城ヶ崎は自身が普段好んで読んでいたweb小説の知識から、彼らを獣人ではないかと推測した。
『……それは後だ。今は魔物に集中しろ!』
相馬はそう言って小隊内の動揺と興奮を鎮めようと努めた。
最初の魔獣遭遇戦では、油断が魔物の攻撃を招いたのだ。幸い死傷者は出なかったものの、魔物との戦いに油断は禁物だ。
と、相馬の注意とほぼ同時に、魔物の周囲に小石が浮き上がった。
『……!?来るぞ!!退避!!』
相馬は瞬間的にそう叫んだ。
相馬の声に呼応するように、ヘリはその高度を上げる。
瞬間。
無数の小石が空を斬る。
それはまるで銃弾のように。まるで相馬らの放った12.7mm弾へのお返しとばかりに。
『間一髪でしたね』
と
『ここまでは届かないようですね』
相馬は茂木の声にそう返答した。すると、茂木は相馬の言葉を耳に、困ったように眼下を覗き込む。
『しかし、この位置から攻撃するとなると……彼らを巻き込みかねません』
相馬はその言葉に頷いた。
彼ら―――つまりモロたち避難民―――がいなければ、上空から攻撃を加えればいい。それも
だが、現状それは不可能だ。
『茂木さん。
『それがそのまま安全圏で待機せよと』
相馬は茂木の言葉に心の中で舌打ちをした。なにも茂木に舌打ちしたわけではなく、上の命令に対する舌打ちだ。
このとき、件の話はまだ東岸拠点止まりであった。
現地人の村落などを発見した場合、通常は引き上げろというのが命令である。それは意思疎通が難しい段階での接触は危険であるとの判断からだ。
外地調査部隊の目的はあくまで学術調査と資源探査、および情報収集である。政府も現地人との接触は今後の課題程度にしか考えていなかった節がある。
故に、村落や街ではなく、モロたちのような避難民の一行に遭遇した際に、どう行動するかまでは想定されていなかった。
村落や街なら驚いた相手側と戦争になる可能性がある。人を連れ帰れば拉致と騒がれかねない。モロたちの一行を避難民だと知らない上が、判断を下すのに時間がかかるのも無理のない話だ。
相馬は上に報告したことを後悔した。困るのはいつも現場なのだ。
『……分かった、攻撃を続行しよう』
相馬はそう言い切った。その言葉に茂木は声を挟む。
『隊長……しかし』
だが相馬は茂木の言葉を遮るようにして言葉を被せた。
『茂木さん、責任は俺がとります』
『……』
相馬の言葉に、茂木は『分かりました』と返答を返すと、声を張り上げる。
『みんな聞いたなっ!攻撃を続行する』
『『『はっ!』』』
隊員たちの声を、相馬は心強いと感じた。そして気持ちを切り替えると、素早く指示を飛ばす。
『このまま攻撃すれば彼らを危険に晒す。高度を保ったままヘリを九時方向に移動させ、魔物を誘き寄せよう』
相馬は魔物が自分たちに注意を向けている今なら、眼下にいる現地人を危険にさらさずに魔物の群れを掃討できると考えた。
実際、魔物―――ボルムキラ―――は、大きな群れで狩りをしているときは非常に大胆になる。
一体、二体ならすぐに不利を悟って逃げ出すような場面でも、その知力を生かした集団戦で不利を乗り越えようとするのだ。
故に
相馬は最後に作戦を確認すると、掛け声をかけ、気を引き締めた。
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