第24話

「折り入って相談したきことあり、藤壺迄参られよ……」


 朝に障子の間に挟まれていた手紙は、見慣れない仮名字だった。私は漢籍ばかり読んでいたから、そっちの方が読みやすいぐらいなのだ。しかし何だろう、藤壺様。暦は一月、正月を迎え春だがまだ冷える。だが手紙が差し入れられたのがいつなのか分からない以上、早めに行った方が良いだろう。


 帝の鬼食いを終え半刻、何もなかったので私は膝で歩きながら藤壺へ向かう。そう言えば糞を巻かれて大変だったことがあったよな、今はさっぱりしたものだけど。思いながらたどり着いた藤壺で、私は障子を軽く叩く。雨戸は閉められっぱなしな所が多いけれど、夜泣き対策だろうか。


「入って下さい、祢子さん。女房達は控えの間へ。呼ぶまで戻って来てはなりません」

「は、はい」


 入れ違いにぞろぞろ出て来る女房達。私はよく分からなくて、とりあえず入って欲しいと言われたので、畳の敷かれたそこに座る。夜泣きは一時期酷かったが、今は落ち着いてきていると聞いている御子が、あぷ、あぷっと寝返りしそうなのが几帳の下の綻びから見える。藤壺様はその腹を愛おしげに撫でて、私の方を向いたようだった。


「祢子さん、几帳の中に入ってくれますか」

「はい?」

「見て頂きたいものがあるのです」


 毒の斑紋か何かが出ているのだろうか。緊張して御簾を上げると、私と歳のそう変わらない藤壺様は、顔を強張らせて、赤子の襁褓に手を掛けた。尻にあるのなら蒙古斑で、赤子によく出る痣だが、そうではないのかな。呑気に考えているとはらりと襁褓が外される。


「…………」


 あるべきものがなかった。

 いや、蒙古斑じゃなく。

 東宮としてついているべきものが、無かった。

 御子は、女の子だった。


「相談したいこと、って」

「生まれてすぐにおくるみに隠したから知っているのは父と産婆だけ。産婆は大金を握らせて京から大阪に引っ越しさせたから知っているのはお父様だけ。襁褓は自分で変えるよう手ほどきを受けたと言って女房達には一切替えさせていないけれど、本当はこうなの」

「あの、小さすぎて見えないとかでもなく」

「ないわ。ご覧になって」


 藤壺様は赤子の足を広げさせて私にそこを見せた。確かに女児と思われるそこに、よく今まで三か月隠し通して来られたものだなとたまげてしまう。帝にもばれず。帝。


「古代には女帝もいたと聞きますが、最近は聞きませんものねえ……」

「あなたにお願いしたいのは他でもない。穏便なこの子の東宮退位なの」

「えっ」


 どうしろと言うのだ、と思うと、藤壺様も相当切羽詰まった顔をしている。


「まかり間違ってこの子が帝になったら、子を成さなければならないけれど、あなたも言った通り現代では男子が帝を継ぐことになっているわ。お父様はとにかく東宮に仕立てるためこの子を男と偽っているけれど、そんないつ知れるか分からない嘘では安心して子育ても出来ない。だから祢子さんに、この子が毒に当てられたと言って欲しいの」

「えええ」

「そうしたら私は怯えたふりをして臥せって、帝に実家へと帰ることを告げられるわ。可愛がってくださっている帝には悪いけれど、これ以上あのお優しい方を騙しているのも心苦しい。子を残していくことは出来ないとか適当に言っておけば、東宮合戦は終わって梅壺様に中宮の座が向かうわ」

「ふ、藤壺様はそれで構わないんですか?」

「構わない。これ以上隠しているのは。もう、限界だもの。泣き出すたびに襁褓を確認しなくてはならないなんて、こっちが神経を病んでしまうわ。もううんざりなのよ、こんな窮屈な子育ては」


 疲れ切った様子でそう呟く藤壺様に、これはむしろ御父君の左大臣様からお灸をすえた方が良いな、と思わされる。いくら何でも孫娘に東宮が務まると思っているのなら大間違いだ。春晃皇子だってあれでけっこう苦労している。それに月の物が始まったら女の身体つきは変わって来るのだ。直衣でも隠せはしないだろう。さっさと次の子供を産ませてとりかえばやという訳にも行くまい。子供の二歳は違い過ぎる。


「何とか策を練って見ます。どうかそれまで、早まったことはなさらないよう。くれぐれもですよ。約束して下さい、藤壺様」

「ええ……ええ、祢子さん。雷鳴壺の姉様が言っていたことが本当なら、あなた以外には頼れないの」


 という訳なのよと私は漢字で紙に事の次第を書き、皇子に見せた。ぽかん、としている間に、灯台の明かりで紙を焼き証拠隠滅してしまう。話せば誰か台盤所の女房達が噂を広めてしまうかもしれないと思っての思い付きだ。すっかり紙が燃え尽きた所で、はーっと皇子が息を吐く。一番大きく産まれた梅壺様の御子の面倒を見るのは帝で、もう一人の藤壺様の御子を抱いているのはいつも皇子であったらしい。水滸伝の読み聞かせ。


 まさか女の子だったとは思わなかったらしく、噂と違いすやすや寝ているから夜泣きなど嘘だと思っていたらしいが、何かあったらすぐ藤壺に、ときつく言い聞かせられていたのは覚えていたらしい。どうせ男に襁褓の交換など無理だから、それは当然だと思い込んで。帝もお子が泣き出すと梅壺に飛んで行っていたらしい。役立たずな父と叔父だ。全然眠れないじゃないか、それでは。


 それにしても、と皇子は胡坐を掻き困った顔になる。


「これは大芝居を打った方が良さそうな件ですね、祢子殿」

「そう、左大臣様を巻き込んだ騒ぎにしなければならない。そしてこの鬼が得意とするのは毒の事でしかない」

「……まさか」

「そのまさかだ。盛る」

「何を」

尸厥しけつと言ってな。一時的に身体を殺す薬だ。私の毒箱にも入っている。適切な処置をすれば二十日ほどで元に戻るが、その間は梅壺様に貰い乳をしなければならないな。それで左大臣様は右大臣様に借りを作ることになり、権力の差も回復するだろう。上手くすれば逆転して、素直に梅壺様の御子が東宮になる」

「その、適切な処置、と言うのは――」

「心得ている。私は清涼殿の鬼だぞ?」

「そうでしたね。ならば安全……なのかなあ」


 がりがりと頭を掻く皇子も、流石に今回の作戦には怖気づいているようだ。当然だろう、仮にとは言え人を一人殺すのだ。鬼食いでもない女御を。恐ろしくなって当たり前だろうが、私も私で恐ろしい。何せ書物でしか解毒の方法を知らない。私の知識は借りものばかりなのだな、と改めて自分の役立たずさに溜息を吐いた。


 次の朝、書物を鬼の間に持ち込んでおさらいをしていると、きゃああああと声が聞こえたのは藤壺だった。食事を終えて政務に入っていた帝が速足で向かう足音が聞こえて、私も障子を開け、膝で歩いて行く。もう少しと言う所で。やはり早歩きで来た皇子とかち合った。よし、と作戦を目で確認し合い。何事ですか、と藤壺に入って行く。私だけ。皇子は男だからな、一応慎んでもらう事とする。


「藤壺様が……朝餉の後から急に眠り込んでしまったと思ったら、お亡くなりに……」

「藤壺!? 私だ、解らないのか!? 誰か、医者を! それと左大臣殿にも連絡せよ、娘の事だ、心配しよう!」

「医者は要りませんよ、帝」

「祢子!?」


 几帳の中で藤壺様はぐっすりと死んで下さっていた。毒見の際に入れておいた薬、そっと言付けた手紙。灯台の中でじりじり燃えているそれには、『上手くするので信じて食べて下さい』と書いたものだった。琴も歌も読めない私だが、私には毒がある。


 私は脈を取り、弱いがしっかりしていることを確認する。その間に出仕して来ていた左大臣様がどかどかと入って来て、娘の顔を覗き込むやうわあっと泣き出した。人の親なのだな、どんなに権力を持っていても。思うと少しだが安心した。これなら案外素直に東宮の地位を諦めてくれるかもしれない。

 左大臣様、と私は声を掛ける。帝も泣きながら私の方を見た。私は精々しっかりして見えるよう、笑顔を作る。


「魂の抜けた状態です。今から治療すれば治るでしょう。亡くなってはございません」

「本当か祢子!?」

「祢子? 鬼食いの、お前にはその治療が分かるのか!?」

「書物で読んだことがあります」

「本当に生き返るのだな!? 娘は、蘇るのだな!?」

「ええ。ただし暫くの間は乳が出ませんので、梅壺様に貰い乳して下さいませ」

「それは、」

「良いのですか? 二人とも失って」

「……解った! 頭を下げて来る、ただし鬼食い、上手く行かなかったらお前の命もないものと思え!」


 言って左大臣様は出て行かれる。

 ――さて。

 懐から出したのは、大小の針。


「帝。治療の間はけっして几帳の中を覗こうとしてはいけませんよ」

「わ、解った!」


 なんせ脱がすからねえ。

 ふうっと私は書物を思い出し、その胸に針を刺した。

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