第27話
「なにわづにさくやこの花冬ごもり――」
序歌の次の最初の一枚を取ったのは、杜松だった。
「あーっ杜松姉早いー!」
「ふふん、あなた達より三つは年上なんだからねっ。取って取って取りまくるわよ! 祢子姉様にも鍛えられたんだから! ねえー、祢子姉様っ」
「母上そうなの? 私より杜松姉様の方が好きなのぉ……?」
「その頃のあなたはまだ母の腹の中よ、おかしなことを考えないで次の札を頑張りなさい。姫達も頑張って! 十歳にもなったんだから、百人一首ぐらい出来るでしょう!」
「はいっ!」
「へーい」
「うん……」
十年が経ち、正月の鬼飲みが終わると百人一首大会は目出度く開かれた。鬼食いとしてやっている杜松と、私と皇子の娘である
やはり早いのは杜松だ。四歳違いで一番年下の音弥は、手を出しても速さで負ける。それでも一生懸命にやっているのを見ていると、微笑ましいぐらいだった。東宮はふんふん鼻を鳴らし、姫は懸命に札を稼ぎ、居心地悪そうな御子はそれでも何とか参加している。
「うちの子が一番だと良いのだけれどねえ」
「あら、うちの子も負けていませんわよ」
「我が孫も今日の為に鍛えたのだ」
「う、うちの娘が一番など取ったら無礼になるのでは……」
「お、音弥取った。その調子よ、音弥ー!」
「祢子殿、もう少し静かに……」
皇子に窘められ、数多の公達が見守っているのをやっと思い出した。でも公達はと言うと、誰が一番札を取るかで賭け事をしているらしい。倍率が一番高いのはうちの娘だ。つまり、期待されていない。そうはいかんぞと思っているが、着慣れない十二単が重いのか、泣き出しそうな顔になっていた。はい、と手を上げて、一時停止を帝に願う。
うむ、と認められたので、私は音弥の単衣を半分ほど預かることにした。これなら少しは動きやすかろう。ほう、と公達たちの声が聞こえて、また倍率がちょっと変わって来るのが分かる。
太政大臣様の元にやられた御子は、緊張気味のようだった。自分が彼らと兄妹だとは分かっていても、こんな勝負をすることになるとは思わなかったのだろう。よく三人で蹴鞠をしているのは見ていて、仲良く育っているのを白の目から見てはいたけれど、そこに怪しげな鬼食いと幼い従妹が入って来るとは想定外だ。でも取る分には取っている。男の子にしては珍しく、歌は好きらしい。
三国志の方が好きな東宮は、殆ど取れていなかったけれど気合だけは十分なようで、下の句まで読まれてからははいっと取っていた。でも上の句が分からなければ素早い動きは出来ない。そこは杜松の方が早く、しゅぱっと攫って行っていた。
姫も負けずに一字狙いをしていたけれど、こちらは覚えている句が少なくて、お手付きが多いのが問題だった。でも一字決まりの札も多いので、それは残さず拾っていく手段らしい。藤壺様の娘だけあって、教養はばっちりだった。うちの娘と違って。
父母と同じく漢籍の方に興味を引かれそうになる音弥に、仮名の詩歌を教えるのは大変だった。どうして漢字にしないの? と問われて、漢字は異国の物だからとしどろもどろになったのも苦い思い出だ。猫達と皇子を交えて百人一首をした時も、仮名が読めなくて泣き出して大変だった。だから私は、飴を使う事にした。
もしも百人一首大会で最下位にならなければ、好きなだけ漢籍を一本読んでも良い。
するとそこがまた私と皇子の娘な所で、張り切って毎晩勝負をせがむようになった。出仕していて昼間は家にいない皇子ではなく、赤や黒、白や青と言った猫達を相手に、頭突きされたり引っ掛かれたりしながら必死に覚えた。散らばる札の数は少なくなってきている。音弥と姫と杜松の女子三人対決だ、もはや。
「ち」
「はいっ!」
「も」
「はい!」
「を」
「はっ」
その迫力に、見物していた公達もおおっと声を上げる。家では単衣も着崩しているのが常の音弥も、大分慣れたらしい。これはこれは、とまた倍率が変わって来る。東宮の倍率が一位になっていた。まあ、その勝負に手は出せまいし、拾った札も一番少ない。
小さな頃は一番にころころまるまるしていた東宮は、すっかりしゅっとした顔になっていた。蹴鞠が好きでしょっちゅう公達に相手を願っている、と言うから、どちらかと言うと外遊びが好きなのだろう。自分の勝ちが見えなくなった途端に退屈そうにしていると、これ、と梅壺様に怒られていた。
その梅壺様は私と同じぐらい華奢だったのに、今は大分こう、ふくよかになっている。子育てとは日々奮闘なのだろう、体力がなければやっていられない。うちの子は私と同じで動かない子だったから大した苦労を覚えたことはないけれど――大概の事は鬼食い時代に比べれば大したことがない――おっとりと育てられた姫君は、そうもいかなかったのだろう。うちに子供が生まれた時に蜂の巣を送って下さったのは梅壺様と藤壺様だけれど、お二人もまだ食べてるんじゃ、と思うほどだ。
藤壺様もちょっとふっくらしたけれど、梅壺様ほどではない。女の子の方が育てやすいのだろうか、女房もいるし任せられる時間が長いのが良い事だったのだろう。帝も面倒を見ただろうし。それは東宮も一緒だけれど、だからか双子のように二人は仲が良い。
ちなみにうちには三人の女房がいる。太政大臣様を恐れてすっかりやつれていた桜少納言、私を最初に見つけてくれた桔梗式部、そしてやっぱりこのお茶は欠かせないと帝に直談判した頼少納言だ。
桜少納言は太政大臣様より身分の高い相手の家にいるという安心感ですぐに元気を取り戻し、桔梗式部にはたまに御寺へのお使いを頼んだりしている。心地如何、と手紙を届ける相手は私の母だ。私に子供が生まれたと聞いた時にははしゃぎそうになっていた、と教えてくれた。それはそれは嬉しそうな顔で、娘が生まれた時の私のようだった、と一口多い感想を付けて。
頼少納言は勿論茶だ。都中を駆け巡って最高の茶器と茶葉を集めると、ならばとばかりに最高に美味な茶が出て、皇子はそれを帝に大層自慢したらしい。そしてきーっと悔しがっていましたよ、とこちらも余計なことを言うので、そんな口は塞いでやった。口吸いで。
私も私で図太くなったのだ。頼少納言に見られているのを察しながらそんな事が出来るようになった。皇子の従人も何人か住んでいるが、彼らは北の方には来ないので、恥ずかしくもない。初夜から見られていたのだ、今更だ。二人っきりの時間なんて私達にはない。でも口吸いはする。出来るようになった。あの三ヶ月、長かったのか短かったのか分からない時間の中で。それから十年、子供が字の読み書きを覚えるまで。
「はいっ!」
百人一首、最後の札を取ったのは音弥だった。悔しそうにしている杜松が可愛らしくて、ちょっと笑ってしまう。さあ数えましょうか、と各々取った札を重ねて嵩を比べる。
杜松には敵わず、音弥は二番だった。
うーっと悔しそうな顔をしている娘と、小銭のやり取りをしている公達と。さて音弥は何を読みたがるものかな、単衣を引きずりながら私と皇子の元に戻って来た音弥に脱がせた単衣を着せて、何が読みたい? と訊いてみる。
ぱっと顔を上げた音弥は、嬉しそうにはしゃいで叫ぶように言う。
「水滸伝! 黒旋風が出て来るの!」
それを聞いたのは太政大臣様で。
孫を置いて私に近付いて来るその気配は、もう老人の物だ。だけど権力欲はいまだ強く、孫の嫁選びも今からあちこち調べているらしい。勿論うちも、その中に連ねられている。親王の子。従妹婚にはなるが、悪くはないだろうと。
音弥殿、とまず子供に声を掛けて来る。娘はきょとん、と太政大臣様を見上げる。
「おじさまだあれ?」
「あの子の祖父だ。よければ少し慰めて来てはくれないかな。負けてしょぼくれている所なんだ。こんな小さな、年下の女の子にまで」
「だってたくさん練習したもの! おじさま知ってる、水滸伝って!」
「ああ、昔読んで首ったけだったよ。黒旋風の鉄牛、あれは良い。多少残酷な面はあるが、怖くないのかね? 音弥殿は」
「怖くないよ! 好漢って言うんだよ! ちょっと気が短いけれど、でもすっごく格好良いの!」
昔の自分たちを見ているようだった。
私に水滸伝を教えてくれたのは、太政大臣様だった。
読み聞かせ、格好良いだろうと、黒旋風を推していた。
神行太保も格好良いぞ、と、その二人を一組で教えてくれた。
すりすりすりっと膝で歩きながら御子の所に向かう娘を見送り、太政大臣様は私を見下ろして来る。あれ以来、雷鳴壺様の一件以来見られなくなっていた優しい顔で。
「覚えていてくれたのだな。水滸伝。黒旋風」
「大切な方が教えてくれたことですから。私は今でもあなたを、大好きだった藤原のおじさまだと思っていますよ」
「そうか――そうか」
目頭を押さえたその姿に、私もこの十年胸にちくりと刺さっていたものが抜けた気がした。
公達がざわついているけれど、帝もお方様方も、何も言わなかった。
祢子、と傍らに座る皇子がぽんっと私の背を撫でる。
それはあの朝彼が持って行った、墨染の単衣だった。
金糸銀糸の色糸で飾られた、その単衣。もう私の匂いしかしない、私の着物。
私は太政大臣様の手を取る。いつかのように温かいのが嬉しくて、にこりと笑う。彼も笑ってくれた。皇子も笑っている。杜松や東宮、姫達の笑う声も聞こえる。
みんなが笑う、楽しい宴。
鬼食いだった私が望めなかったはずの世界。
捨て子だった私が知らなかった世界。
ああ、私は幸せになったのだな。
紫の上にはならなかったのだと、涙目で笑った。
鬼食いは京に侍る毒を食らう ぜろ @illness24
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