鬼食いは京に侍る毒を食らう

ぜろ

第1話

 清涼殿の鬼、と呼ばれていたのはいつからだったか解らない。ただ気が付いた時には私は京の都は後宮の清涼殿にいて、そこでそこそこ育てられていた。聞いた話によるとどうやら私はいわゆる捨て子だったらしい。だが清涼殿に入り込める程度の身分の者が何故そんな事をしたのか。いまだ子のない十七歳の帝の子供でないことは確かだ。先帝は病気の長患いで亡くなったと聞いているから、仕込む余裕もなかっただろう。

 私は今年で数えは十二歳になる。裳着も済ませて、まあ女性として扱われるようになった。とはいえ私には後ろ盾の門閥貴族がいないので、もっぱら鬼の間の几帳と御簾に囲まれた世界の中で暮らしている。鬼の間、とは、帝の食事の毒味をする役のいる間だ。まあつまり、いつ死んでも私に執着するものはいない、と言う事なのだろう。

 自分でだってそう思う。まず母親に見捨てられ、父は知れず、ただ落ちていたから拾われただけ。何もない庭にたった一つ落ちていたのが私だった。否、私達、か。私を温めるように一緒に捨てられていた子猫は四匹。三毛の赤、黒猫の黒、白猫の白、サバトラの青。名前はすべて、私の乳母が付けたらしい。しかし安直にすぎないか、特に白と黒。もっともその女性の事は殆ど記憶にないが。色の基本は彼らで覚えたと言っても嘘ではない。あかし、くらし、いちじるし、あわし。今日も私はその色々を着込んで、呼ばれるのを待つ。ぐるぐると喉を鳴らしながら私の着物の裾に挟まっているのを見ると、本当にただの猫、なんだが、なあ。


「祢子、朝餉ですよ」


 隣の台盤所――食事を作る部屋だ――から響いた声で、時間帯の所為かこくりと舟を濃いでいた私は目を開ける。猫と一緒に捨てられていたから、祢子。これも乳母の命名らしいが、やっぱり安直が過ぎるのではないかと思いながら、私は朝餉に手を付けて行く。銀の箸は毒に反応する、と言う事で私のまだ幼い手には少し長くて重い箸を付けて行った。反応は、特にないらしい。まあ反応しない毒もあると言うから、気休め程度だ。だがこの後宮では気休めばかりが散漫している。やれどこの中宮が孕んでから癇癪が絶えない、子を産めば元のようになってくれるだろうか、とか、何処の誰が臨月だそうだとか、噂の公達がと、少々下世話でもある。

 しかしこう言った話に入っていけないのが、私だ。何度も言うが裳着は済んでいる。女として扱われても良いだろうに、思いながら私はまず膾に手を付ける。それからまだ湯気の立つ羹に、舌から付ける。ビリリとした触感。これは。

 一応口を漱いで唾液も盥に垂らす。その間に几帳の中にいた青がぺろりと猫舌を羹に触れさせ、ふむ、と頷いた。


「毒じゃな。トリカブト辺りと見た」

「じゃあもうちょっと、劇的にするか」

「わしらは引いておこう」


 赤と白、黒が几帳の隙間から外に出て行く。

 私は盥に向かって、喉の奥に自分の指を突っ込み、


「おげぇぇえぇぇええ!」


 派手な音を立ててびしゃびしゃと盥の水に吐瀉物を落とした。


「なっ何事です祢子!?」

「毒だわ、毒に当たったんだわきっと!」

「おぇえ……あ、羹に、何かが――」

「羹? まさか――」

「いいえそんな――」

「と、とにかく布団を持って来て、祢子を寝かせましょう! 私達は一旦台盤所から下がって! ああ、帝が口を付ける前で本当に良かった……お手柄ですよ、祢子」

「ありがとうございます、これが祢子の仕事にございます」


 健気に言って見せれば、あなや、と涙を拭われる。と、赤が入って来た几帳の隙間からこちらを見ている男が目に入った。

 まさか清涼殿で垣間見もあるまい、それに上等そうな服も見慣れた直垂や狩衣ではない。何者だ、と思うより先に、ぺけんっと黒に膝を叩かれた。そうだ、そろそろ意識を失うぐらいしなくでは。

 もう一度盛大に嘔吐して道化の時間を終わらせ、私は目を閉じる。起きる頃には次の朝餉の頃かな、などと考えれば、存外すんなりと眠りに落ちていけた。


 事件の始まりは大体こんなものだった。私と彼の出会いの初めは、大体こんなものだった。これがひと月清涼殿を騒がせる事件の、ほんの触りの部分である。

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