第7話

「この度は本当に、迷惑をお掛けしました」


 ぺこりと謝られるのは、このひと月で何度目だろう。はあっとため息を吐き、私は繰り返す。終わった事だ、今度こそ。変な葛籠も届かないし、弓矢も飛んで来ない。興味津々なのは女房達ばかりだ。頼少納言は典正に懸想していたようで敗れた恋に暫く泣き崩れていたが、同じような立場の女も結構いたらしく、傷心の心は意外とすぐに立ち直れたらしい。これからは仕事一筋! と決め、極めたのがまず茶だった。盆に乗せて二人分の茶碗を持って来る出で立ちは、しずしずしながらもどこか明るさを感じさせる。こくりと一口飲んだ皇子は、おお、とその違いに気付く。


「頼少納言はまた腕を上げましたね。とても美味しい。夏には冷やして飲んでも美味そうだ」

「帝の食事に出せる程度を目指しているらしい。今はまだ別の者がいるが、このままではお役御免だと笑っていたよ」

「そんなに人に好かれる男だったのに……帝と言うのはそんなにも威光を放ってしまうのか、兄上も悲しんでいました」


 あぐ、と私が口にするのは、蜜で出来た蜂の巣だ。子供が生まれたら甘い物を送るのが伝統らしい。その毒味もかねて私も少し頂いたのだけど、毒味にとってこれはまさに絶品だった。蜂蜜には解毒作用がある。汚れていた身が浄化されるようで、なんとも心地良い。

 そう、帝の子供は無事に、しかも同じ日に三人が産まれた。取り違えが無いように足に布を結びつけたりして大変らしい。そしてその祖父らが、うちの子を東宮にと、やいやいやっているらしかった。三人とも階級に大差がないので、帝も困り果てているらしい。くっく、思わず喉で笑ってしまうと、笑い事ではありませんよ、と皇子に言われる。


「梨壺は一人には広いが流石に三人にはきついし、何より帝は一人でなければなりません。生まれながらに政争の種にされているのを見ると不憫ですが、三人とも時にはうちの子自慢を始めるので、案外平和でもあるのかな。母君同士は一緒に難事を超えたことで結束感が出来たらしく、仲良くやっています。本当、お祖父様達ばかり」

「笑い事ではないか。女三人揃って姦しい、とするんだ。そうなっていないだけ、マシだと思うぞ」

「そんなものですかねえ……」

「祢子、あなた宛てに荷物が届いていますよ」

「荷物?」


 台盤所からの声に、私は几帳をずらし、その葛籠を見る。

 ……あと一か月がどうとか言ってたな。


「皇子が帰ってから開ける」

「白状します、私が取り寄せた十二単です。毒針も何もないので、どうか着た姿を見せて下さい」

「降参早いな。なら、少し目を背けてくれ。流石に着替えを見られるのは恥ずかしい」

「は、はいっ!」


 忠犬のようにくるんとこちらに背を向けた姿に少し笑い、私は着ていた単衣を空蝉のように抜け出す。えー、今の季節だとこの八枚辺りが良いかな。

 ひびく衣擦れの音に、皇子が緊張して妙な緊迫感が漂っているのが面白い。こっそり手伝ってくれる頼少納言に八枚目をかぶせられて、良いぞ、と言って私は御簾を上げる。このぐらいの飴なら、やっても良いだろう。大体最初はこっちの事など聞かず、無理に御簾の中に入って来て薬湯を飲ませて来たのだ。普通の姫なら強姦と同じだぞ、この皇子は。


「良いぞ」

「はい……」


 そうっと、そうっとこちらを見て、

 皇子はぱあっと明るく笑った。

 ああ本当、惚れてやっても良い男だよ、あなたは。


「とても似合います! お美しい、すぐにでも歌を詠みたいほどだ!」

「それは三晩続けてここに来られたら、かな」

「え……それは、その、祢子殿」

「どうとでも意味は想像すればいい。ただしあなたを待っているのは、清涼殿の鬼だぞ?」

「毒食わば皿までと心得ています! ではまた夜に、」

「春晃、祢子~」


 どこか疲れた声が戸板を滑らす。と同時に、動物のようにあにゃあにゃした声が聞こえた。御簾を下ろす前にその声の主を見れば、禁色の衣を纏い三人の赤ん坊を抱いた男が立っている。

 どことなく皇子と似た目元が、もしかして、と思わせて慌てて御簾を下げた。

 というか、裳着も済ませた女を呼び捨てに出来る他人の立場って、一つしかないのでは。


「妻達と義父達が対立していてかなわん、休ませてくれ」


 一人の子を春晃皇子に、一人を私に抱くよう差し出され、小さい人間をはっきり見るのが初めての私は少し狼狽えてしまう。大丈夫だよ祢子、と言い、お前たちの事じゃないぞ猫、と赤達に念を押す。猫達はにゃーお、と鳴いて、その人を認めるように足に額を擦りつけた。やっぱり。そう、なんだろう、な?


「兄上、自分の事は自分でなさって下さいと申し上げているではありませんか。私は梨壺に帰る所だったんですよ」

「ひ、一人だけ連れて行ったら既成事実だと怒鳴り込まれる! 私も一緒に行くぞ!」

「じゃあ私も行こうかな」

「ね、祢子殿?」

「水滸伝読みに。あるのだろ?」

「み、皆が自由過ぎる……」


 がっくりと項垂れた春晃皇子が本当に三晩の約束を守れたら。

 台盤所で餅の予約、しておいた方が良いのかな。

 三日の通い婚は結婚の印。祝って出されるのが三日夜の餅。

 くっくっく、笑って私は皇子と帝の後ろを歩き、さらにその後ろに四匹の猫を侍らせながら、梨壺に向かった。

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