第12話
しかしながらお方様方は皆同じものを食べているんだよなあ、と私は脇息に肘をついてふーむと鼻を鳴らす。誰もが乳の出を悪くする可能性があるのだ。全員を狙っていたとしたら、意味がない。自分の身内にだけ違う漢方を与えている、と考えればつじつまが合うが、それが雷鳴壺様なのか藤壺様なのかは分からない。それに二人からは乳が張って堪らないとも聞いている。
台盤所の女房に金を握らせている可能性はなくもない。だがそれでは、何故梅壺様だけを狙っているのかが分からない。子供を栄養不足にして東宮候補から失脚させたいのか? だがそれならもう一人狙わなければならないだろう。解らない。
毒と言うか薬と言うかは決まっていないが、しかし漢方の悪用は私の範疇だろう。梅壺様にもお約束したことだし、私が片付けざるを得ない問題だ、これは。一晩明けた所で、私は真面目に考える。否、ふざけていた訳でもないが。
それにしても無差別なのか梅壺様だけを狙っているのかが分からないのが問題よなあ。私は目を閉じて、白の視界に入る。台盤所では運ばれて来た飯に箸を立てて、準備が進んでいた。とそこで、一人の女房が外を見る。ちょいちょい、と見えたのは手だった。手招きをしている。
白に追わせて外に出すと、直衣姿の公達が紙に包んだ薬を渡しているのが見えた。三包、一つだけ色が違う。二包は乳の出を良くするもので、一包は逆なのだろう。そう考えれば納得も行く。
公達は金子の入っているのであろう袋を渡そうとするが、女房は首を振って嫌がった。おそらく私が薬に気付いたことを理由に、裏仕事から足を洗いたくなったのだろう。しかし公達は懐から匕首を見せて女房を脅す。真っ青になった彼女は仕方なく金子と薬を受け取った。
よしよしとにいやり笑う男は、見覚えがない。清涼殿に忍び入れると言う事は貴族なのだろうが、生憎と出入りする全ての公達や女房を覚えていられるほど私も記憶力が良い方ではないのだ。白の眼を追いながら、彼が紫宸殿を通って帰って行くのを見る。そのまま追わせたかったが、祢子、と呼ばれてしまった。
私には私の仕事がある。これが優先順位としては一番なのだ。鬼食い。先ほどの女房は薬を入れただろうか。だとしても先に帝の毒見をしなければならないから、それは解らない。
白に公達を追わせ、青に先ほどの女房を見張らせることにする。見えはしないが何かしようとしたら引っ掻いておくように伝えた。そうすれば印が付く。印が付けば、次は見つけやすい。
さて私は最近うまうまと食べている帝の食事を毒見――したが、そこで妙な味の羹に当たる。
「頼少納言」
「はい」
「この羹、芒硝が入っている。帝には害が無いだろうが、一応伝え置くぞ」
「えっ今度は帝に!? 一体誰が……」
「多分昨日と犯人は同じだろうよ。ところで台盤所に猫のひっかき傷を付けた女房はいるか?」
「そう言えば先ほど青に引っ掛かれた方が」
「呼んでくれ」
呼び出された女房は二十歳を少し過ぎたほどだろうか、桜色の頬から桜少納言と呼ばれているらしいのが先ほど台盤所から聞こえた。青に付けられた傷を隠すように手を重ねていたが、血の匂いは誤魔化せない。とくに私の鼻には。
「少納言殿。あなたに芒硝を握らせたのは誰です?」
「ッ」
「先ほど公達と密会しているのが見えました。しかしとても色っぽい空気ではなかった。あなたは脅されて、梅壺様の食事に芒硝を入れたのではありませんか? それが私にばれたから、帝の羹に忍ばせた。男には大した効果がないから。違いますか?」
桜の名に似合わず蒼褪めているのに、私は自分の考えが正しいのを知る。
「あなたに芒硝を渡した男は誰です?」
訊ねても、彼女はふるふると首を振るだけだった。よほどのお大尽なのかな、右大臣の娘に薬を盛るような者ともなれば。私は檜扇をぱちんっと鳴らす。部屋に入って来たのは、春晃皇子だった。
ヒッと喉の鳴る音。お許しを、お許しを、と呟く彼女の肩に、皇子はぽんと手を乗せる。
「誰の名を出しても構いません。私があなたを守りましょう。宮中の公達で、私より位の高い者は少ない。あなたを守るに私はうってつけだ」
「小春の君、ああ、」
「さあ、言ってごらんなさい」
「それは――」
ビンッと音がして、私は反射的に御簾から飛び出して皇子と女房を突き飛ばす。
それから肩に痛みが走っているのが分かった。
毒ではないが、矢が刺さっている。しまった、雨戸を閉めていなかったか。白の眼に繋げる。するとその目は鬼の間を見ていた。チッと舌打ちして逃げて行くのを、また白に追わせる。
ああ、折角皇子から貰った単衣だったのにな。だが季節に合わせて十枚着ていたので、あまり矢が深く食い込むことはなかった。それは僥倖だろう。ひぃぃっと声を上げた少納言は、頭に単衣を被せてお許しを、お許しを、と喚いている。
多分同じことを例の公達にも言ったのだろう。だから怪しまれて、公達は紫宸殿に戻って来た。そして私が桜少納言を問い詰めているのを見た。おまけに出て来たのは春晃皇子だ。このままでは自分の身が危ない、思ったのだろう男は典正がしたように宮中入れていた弓をつがえた。まあ、そんなところだろう。
それにしても毒矢でなくて本当に良かった。私はこれから藤壺様、梅壺様、雷鳴壺様の毒見もしなくてはならないのだ。祢子殿、と声を荒げたのは皇子。様子を見に来たのは頼少納言。きゃあ、と声を上げた彼女に、台盤所から女房達が出て来る。そして私の肩に刺さった矢を見て、そこから滲む血を見て、皆が困惑し声を上げるのが解った。
一番先に我を取り戻したのは台盤所を仕切る桔梗式部で、すぐに私の着物から矢を抜いた。大した傷ではないが血の付いた矢は不浄である。それから皇子が私の単衣を脱がせ、傷を見た。かすり傷であることに安堵してか、ほっと息を吐かれる。かすり傷でも痛いものは痛いんだぞ、と言ってやりたかったが、そんな事を言って心配させるほどの意地悪でもない。
私は殆ど裸のような格好で皇子の前にいるのが恥ずかしく、皇子、とその名を呼ぶ。はい、と大真面目に返事をされて、はあっと息を吐いてしまった。鈍い。最初に会った時もそうだった。鈍いのだ、この皇子は。おそらく女性関係はないのだろうなあと思わせるほど。信じさせるほど。
しっし、と手で払われて、やっと私が袴姿であることに気付いた皇子は真っ赤になって出て行った。桔梗式部に盥の水で傷を拭かれ、包帯を当てられる。大したことはありません、と応えると、血が止まるまではこうしていなさい、と手を当てさせられた。
一応塗り薬で止血して、穢れに触れてしまったものの仕方がないのでお三方の毒見もする。その間は頼少納言が傷を押さえていてくれた。かたかたと震えているのが申し訳ない。
桜少納言はすっかり怯えきってしまって、台盤所に籠っている。あれでは口を割らせるのは難しいだろうな、と思って煮物を口に運ぶと、雷鳴壺のお方様と藤壺のお方様のそれからは牛蒡子の味が僅かにした。だが梅壺様の御前には何も入っている気配がない。
僅かに羹から牛蒡子の匂いがしたが、それぐらいだ。それは昨日私が頼んだからだろう。しかし。ふむ。桜少納言は気の弱い性質と見える。せめて薬を使った証拠として帝の羹に芒硝を入れたのだろうが、この鬼食いをちと甘く見たな。どうせ今日にはばれる仕掛けだったと言う事だ。
祢子殿、と呼ばれて御簾を僅かに上げる。いたのは単衣を持った春晃皇子だった。
「どうした? 皇子」
「母の遺品なのですが、この単衣を使って頂ければと思いまして。新しいものはすぐに用意させますので、今暫くはこれでお過ごしください」
「軽く縫ってしまえば無事な程度だ。新しいものは要らんよ」
「ですが、」
「それより、先の中宮の単衣など私には過ぎたものではないのか?」
「母はどうせもういないのです。せめてあなたに使ってもらえればそれが良い」
「仕方のない皇子だな。だが私は今から袴も代えねばならん。少し外に居てくれるか? 出来れば雨戸も閉めて」
「は、はいっ」
御簾の下から入れられた着物は豪奢だった。私のような鬼食いが着て良いものか、金糸銀糸色糸が織り交ぜられている。
袴を脱いで傷に布を当て、塗り薬とで血止めにする。それからまだ殆どない胸を晒し、白い着物に手を通した。それから袴を結び、皇子の持って来てくれた十枚を頼少納言に手伝われながら着て行く。馬子にも衣裳だな、とふっと笑えば、祢子殿? と声を掛けられた。頼少納言は私の単衣を持って台盤所に行き、おそらくは皆で洗濯と穴閉じをしてくれるのだろう。ありがたい事だ。
良いぞ、と声を掛けると、ああ、と皇子は息で笑って見せる。
「やはりお似合いだ。歌を詠みたいところですが、それも今することではないのでしょうね」
「空気が読めるようになって来たではないか。ところで昨日は梅壺に坊主は出たか?」
「いえ、虫の音ばかりで良い夜だったと」
「ならば良かった。さてと、お三方の食事はもう持って行って良いな。頼少納言」
「はぁい」
「食事を運ぶのを手伝ってくれ。私も梅壺に用がある」
「はい……? 解りました、では私は雷鳴壺様と藤壺様の食事を持って行きますね」
「頼む」
「皇子も来てくれ。矢避けにはなる」
「祢子殿……」
しょんぼりした背中にけらけら笑う。目を閉じると、白は藤原氏の屋敷を覗き込んでいるようだった。
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