第4話

 すぅ、と目を閉じると視界が別の物になる。白は生まれつき左右の眼の色が違い、そのどちらかから私に自分の見たものを伝えてくれる。白猫は金目銀目が多いと言うが、その神掛かった白い色には目もそうで無ければならないのかと思うほど、猫状態の白は綺麗だ、私と一緒に捨てられていたと言うのだから、もう十歳を超えている老猫だと言うのに身体の動かし方がしなやかで、こちらに高い低いをあまり押し付けて来ない。

 まず向かったのは、どうやら市の開かれている目抜き通りのようだった。人の脚を避けて、こういう時に身体の小ささが嫌になる、と言っていたのを思い出す。十年も生きて猫又にはならないのか訊ねると、あれは猫の話だ、元が焼き物の自分達には老いも若きも自由だ、と返された。十分に化ける猫の範疇だと思うのだが、気のせいだろうか。と言うか焼き物の方が本体なのかと呆れたことがある。十年一緒に猫として暮らしてきたと言うのに。

 まあ目の事は焼き物になられると見えなくなるし、それまでも知らされてこなかったが。転寝の共が白だったのは、眼に映ったものに気付かれないようにだったのだろう。今なら理解できる。


 山菜を出している茣蓙を中心に眺めているが、流石に毒草が売られている様子はない。ならば、と向かったのは斎藤氏の本家だ。そこには一足先に赤が来ており、何かあったか訊ねてみると、まだ何もないとの答えだった。良ければこっちを見張っていてくれ、自分はもう少し広範囲に場所を拡大するから、と返事を待たずに去って行く赤に、白は尻尾を揺らしながら仕方なく香箱を組み、出入りを監視する。と、一人の男が扉をたたいた。

 耳をそばだて、男の素性を知ろうと試みる。どうやら山菜売りで、女房達も慣れた様子でいたか、主人まで出て来たのには流石に驚いた。恰幅の良い一番偉そうな男。斎藤是和、だろう。そして真っ先に手に取ったのは――ゼンマイやセリなどとは違う、紫の花が美しい、トリカブトだった。


 たんっと道に下りて行く姿を見られただろうか、無事だっただろうか。男の声が聞こえる中走って白は笹薮に隠れた。そして他の三匹には山菜商が出て来た時の対応を頭の中で伝える。白は見えている物を見せてくれるが、黒と赤と青には思っていることを伝えることが出来た。ぱちっと目を開けて、私は頼少納言に頼んで梨壺の皇子

を呼びに行かせる。

 水も信用できないのは地味につらいが、食事はあれ以来当たったことはないので、比較的楽に食べている。まあ、私が死んだ所で悲しむ身内もいないから、どうでも良いと言えばどうでも良い。件の元斎宮も京に屋敷を得て、今は隠遁生活だと聞いているし。私の生死などどうでも良いだろう。


 目を覚まし、私は頼を呼ぶ。それから台盤所に茶を二つ用意してくれるよう頼んだ。と、女房達がやおら騒ぎ出す。


「何の騒ぎでしょう」


 丁度やって来た皇子に、茶を差し出す。


「今からやって来る男に、それを渡してやれ」

「鬼食いぃぃぃぃ! 貴様、見ていたなあッ!?」

「斎藤……是和殿?」


 開いた戸からダンダンと足音荒く私の几帳を払いのけるのに、私はわざとらしくあなや、なんて言ってみる。女房達が必死に止めているが、それよりも簡単にその真っ赤な顔を青ざめさせたのは皇子の存在だった。

 春晃皇子はにっこりと笑い、すべてを悟ったように手元にあった茶を手に取る。


「お久しゅうございます、是和殿。何をそんなにお怒りかは解りませんが、女人に乱暴は良くありませんよ。それよりお茶の一杯でも如何ですか?」


 私の眼はまた白と同期する。赤青黒の三匹は山菜売りを引っ掻き倒したらしい。身体中傷だらけにされたそいつが言うには、毒を渡したのも、調達したのも自分だ、と自白している。市井の人間たちはただ猫にめためたにされている男がいるのを見世物のように眺めていた。そうしてから四匹、帰って来る。ちらりと皇子を見れば、こくり頷かれた。


「ところで叔父上、あなたの使っている山菜商ですが、変えた方が良いですよ。今日なんて毒薬のトリカブトを何かと間違えて売りに行ったそうではございませんか」

「な、何故それを」

「さあ、何故でしょう。取り敢えず座って、お茶にしましょう」

「ッこんな毒の器、使えるものか!」


 あっさりと認められて、ちょっと目が開く。

 確かにその茶碗は毒が塗ってあった。私が毒味をした程度の弱い毒を。


 ハッと口を押える斎藤氏は、だけど几帳を、蹴り飛ばし、私の着物の衿を掴んでがくがくと揺さぶる。


「お前が毒を仕込んで帝を殺そうとしたんだろう! 今までの事は実験で、本当は帝をッお前が、お前達が――」

「見苦しいことはおやめなさい!」


 珍しく声を上げた皇子がぱんっと手を叩くと、清涼殿に戻って来た猫達が斎藤氏に飛び掛かるのは同時だった。


「なっこんなっぬをッ」


 猫の爪は肉食だけあって鋭いし、歯も同様だ。滅茶苦茶に直衣を破かれ満身創痍のところを、本来皇子が呼び出すはずだった検非違使の乳兄弟だろう男も呆気に取られていたが、最初に気付いたのは皇子だった。


「おやめなさい猫達よ! それ以上は本当に死んでしまう」


 ぐるぐると喉を鳴らしながら引いていく猫達に、ぱちぱち目を丸くしていた乳兄弟の男は、まず私の前に御簾越しに膝をついて見せた。


「検非違使、井伊典正いい・のりまさと申します。猫の姫、『清涼殿の鬼』殿。お噂はかねがね」

「その名をやめて欲しい、と思うのは皇子と同じような気分だな。なるほど、皇子は皇子と呼ぼう。それにしても随分用意が良かったな」

「器に塗った毒で変死があったという報告が一向に上がらず、やきもきしているところにあなたの僕の猫が見えたのなら、直接踏み込んでくるだろうと思いまして」

「餉を涙と汗でふやかして待機していた甲斐があったと言う物です。取り敢えず斎藤氏は連れ出しますし、しばらくは毒の恐怖もないでしょう」

「そもそも毒に恐怖がないのが鬼食いだからな。でなければここにいる意味がない。意味がなければいられない」

「そうですか――」


 ぺこりと頭を下げてから、典正氏は斎藤氏を連れて行く。頭の良いと言う従兄殿には可哀想だが、恐らく典薬寮からは姿を消さざるを得なくなるだろう。なまじ頭のいい人間は、歪みやすい。さて――。


「とりあえずお茶が飲みたいな。あとお水もたらふく」

「同感です。やっと安心して飯が食える。ああそれしても茶がこんなに美味いとは!」

「入れたのは頼少納言だから、本人にも言ってやってくれ」

「はい。祢子殿も案外優しいところを見せるのですね」

「赤、白、黒、青」

「止めて下さい念仏のように聞こえます、ごめんなさい」

「解ればよろしい」


 ツンと鼻を上向きにしている時間が五秒。

 けらけらと笑いながら、私達は茶飲み友達として、笑っていた。

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