第6話
検非違使である典正と数人の供と一緒に牛車を一つ引かせながら、市井に見える姿――女房に貸してもらったきぬかづきで顔を隠し、猫四匹を連れて歩く私は、慣れない草履に少し足指を裂かせている。基本は膝で歩いている所為なのだが、こういう時に男女には差別があると思う。いっそ空の牛車なら、私も入れば良かった。牛車に乗ったことはない。市井の様子も白が伝えてくれる低い位置の目線しか知らない。或いは屋根の上からの遠い視点でしか。私の知識の偏りと言うのはそう言うところからも来ているのだろうな、と思う。書物でしか知らない技術も多い。まあ私など、毒の知識すらあれば良いと思われていても仕方ないが。毒の味と解毒の仕方と、その知識さえ持っていればいい。
思えば清涼殿を出たのは初めてではないだろうか、思いながらくっくっくと笑うと、何かおかしいことがありましたか、と典正が訝しげに訊ねてくる。少し思い出し笑いをな、と答えて――
辿り着いたのは、白の眼で見た斎藤氏の屋敷だった。
馬に乗っていた典正はそこから降り、門番を呼ぶ。慌てて出て来た使用人が、私達のちぐはぐな二人組にきょとんとした。それを無視して、典正は牛車から出した葛籠を抱え、次々に使用人に扉を開けさせてくる。
やっとそれを終えたのは、斎藤高氏のいる離れの入り口だった。
にゃあ、と青が鳴いて、かりかりと置かれた葛籠をひっかく。確かに爪とぎには魅力的なのだろうが、生憎それは固いぞ。そして引っ掛かるぞ。
私が葛籠の蓋を開けるのと、典正が離れの戸を勢いよく開けたのは、同時だった。
中に居たのは、父の咎の為蟄居中だった、斎藤高氏だった。
「……何です、突然。これでも勉学に励んでいる所なのですが」
「斎藤高氏。後宮に弓を入れ、祢子殿に毒針入りの着物を送ったのは貴様だな」
「物忌みを命じられて家から出られないのにどうしてそんなことが出来ます?」
「金はあるだろう、父親がたっぷりと残した毒もな。それで使用人を伝手に雇えばいい。長弓を使える人間も、毒針入りの十二単も」
「チッ」
舌打ちして、高氏は形だけでも文机に向かっていた身体をごろんっと大の字に寝転がらせた。
「あの鬼食いさえいなければ、帝と東宮が一気にいなくなって、この都は俺の物だったってのに、なんだってこんな事になるんだ。あんな微量で反応するやつがいるなんて、聞いてねぇ! 羹一杯すべて飲んだと言うなら納得もしようが、聞いた話じゃ舌を漬けただけで反応したって話じゃねえか! こっちは門閥貴族に媚び売って公達の世話もしてやったってのに、全部おじゃんにしやがって! あの鬼食いの娘さえ居なけりゃ――せめて死んじまっていれば、親父も捕まらず、天下を手に出来たと言う物を!」
「何がそこまで貴様を帝の位に執着させる。優秀な学生であれば――」
「母上から帝の縁だけもぎ取って、俺を産ませたらそれで母上を蔑ろにした、藤原本家を潰すためだよ! 母は病にかかっても医者すら呼ばせてもらえず、俺一人で看取った! あんな優しいだけの帝に、国を任せて堪るかってな!」
「赤、白、黒、青」
私が呟くと、着いてきていた猫達が葛籠から出した一重を一枚、高氏に被せた。
「なっなんだっ何をっ!?」
ばさりばさりと何枚も何枚も繰り返している内に、ぎゃっ、と声が上がる。
「やっぱり針の全部を外せてた訳じゃないみたいね。検針ご苦労様」
「では、後はこちらの仕事ですな、祢子殿」
針に気を付けながら着物引っぺがすと、ピクピク震えて白目を剥いている、が、死なない程度には呼吸をしている高氏の姿が見える。先に何枚か被せた着物が厚かったからだろう、致死量には至っていない。口の端の泡がぷつぷつ消える。痙攣した身体、典正がそれを抱えるように起こし――腹に小刀を突き付けるのを――
「うわあっ!?」
黒が未然に、その手に噛み付く。
小刀の落ちる音。
「あなたも一派、だったのですね。そして証拠隠滅を謀った」
「なッ何を根拠に」
「そうさな、あなたが落とした小刀が証拠ではないか? 少し前に皇族の家系図を読むのに夢中だったことがあってな。その時に、あなたの皇位継承順位も見た。春晃皇子の乳兄弟、なれど母は階級の低い妻だった。だから順番が回ってこない。あなたはそれに絶望したのではないのか? だから長弓を打ち込んで、他の皇子を皆殺しにてしまおうと企んでいた。そこに斎藤高氏からの甘言。あなたはまず、今上、第一、第二皇位継承者を一気に片付けようとした」
「そうなのか、典正」
悲し気な声で離れにやって来たのは、皇子とその供の検非違使達だった。
私達の後ろをこっそり、こっそりと付けて来させたものだ。私の『我儘』と言う事にして。
「……この鬼さえいなければ、俺は帝にだってなれたんだ」
「それでも自分はお前を兄弟だと思っていたよ。逞しい兄だと」
「ハッ……はははははははははは!」
笑い出す典正は、ぎらぎらした目で私を睥睨する。
「お前があの時、死んでいれば良かったのに」
友人も兄弟も親も解らない私にとって、その言葉は何の響きにもならなかった。
しかし皇子は静かに、静かに部屋に入って来て――
パン、と音を立てて、その頬を平手で打った。
「連れて行け」
いつもより冷たく低い声で命令し、検非違使達は典正と高氏を連れて部屋を出て行く。私達もそれについていく。
ぺしんっと皇子の背中をたたく。
二人が詰め込まれた牛車の後ろを歩きながら、私はそのぼろぼろ流れて行く涙を見ないことにした。
……それにしても慣れないと草履って本当に痛いな。
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