第5話

 小春の君――もとい春晃皇子は後日正式に鬼の間へとやって来て、改めて自分と帝を助けてくれた礼をしに来た。今まで男っ気のなかった私に男の影が出来たのを、台盤所の女房達はきゃっきゃと騒いでいる。だが私には皇子と特に何かをする訳でもない。大体、鬼食いは未婚の女の役目だ。この役目を果たせるのもあと二年が限界だろう。


「ですがその前に、あなたに夜這いをしてくる男が現れるでしょうね」

「帝のおわす清涼殿に忍び入る事など出来まいよ。私も台盤所の女房になるのやも知れぬ。帰る家もなければ後見人もいないからな」

「後見は兄上に頼めば、貴族の家に入ることも出来ると思いますが――」

「元鬼食いなどという物騒な娘を娶りたい者など居はすまい。あなたは少し私に感情移入しているようだが、私だって一人で生きていく術を持たないではないからな。そこの猫達が居れば、見世物で日銭を稼ぐ事も出来よう」


 ふぅ、と息を一つ吐く。

 皇子は少し悲し気に、眉を寄せた。


「……そんな考えを、してはいけません。祢子殿」

「清涼殿の鬼。いつまで続く、字名になるかな」

「ならば兄上にお頼みして、私のいる梨壺の女房になっては」

「正式な東宮が産まれるのだろう。それこそ毒の付いた手で触ってはいけないような皇子が産まれる」

「……私が東宮でなくなれば、京に屋敷を構える予定です。そこで、」

「しつこいぞ、小春の君」

「祢子殿っ!」

「私は明日からまた鬼食いに戻る。書庫から物語を取り寄せて、飯を食って、また読書にふける。それが私の、今暫くは約束された幸福だ。今回はたまたまあなた方と関わりを持っただけでしかない。忘れてしまえ、私の事など」

「そんな――」

「でなければここにいる意味がない。意味がなければいられない。何度か言っているだろう?」


 ぱちんっと扇を閉じる。


「でしたらせめて、私の食事を毒味して貰えないでしょうか」

「いくら兄弟でも帝とあなたは立場が違う。今回の事のように少量の毒で一気に発作を起こせる自分が、一番向いている職はこれだ」

「そんな、命がいくらあっても足りないではございませぬか」

「死んで泣く者もいない。先日毒に当たった時も、よく当たったと褒められたほどだ。あなた以外にはな」


 皇子は立ち上がって、するすると音をさせながら梨壺に向かう廊下に入ったようだ。目を閉じていると解るのは、白がまだ皇子を観察しているからだ。頼むぞ、と言って、私は脇息に肘を預け、鬱陶しい日々がやっと終わるのに目を閉じた。

 子供も産めるか解らない身体だ、それに、下手をすれば溜った毒で男を殺す可能性すらあるのかもしれない。そんな自分の身を、どう労われと言うのか。皇子とて、自分の血筋が自分で終わるのは寂しかろう。ならば健康な貴族の娘を娶る方が建設的に決まっている。血統を残していけると言うのは最も大切な皇族の役目だ。それ以外を考えずとも良い。良い女子を吟味して、恋歌のやり取りをして、添い添われて。たまには悋気も買って、それからやっぱり、愛し合って。そう。

 たまたま運命の糸がいたずらに触れただけなのだ、私達など。皇子はこれからも新しい世界を切り開いていくだろう。私はここで鬼食いをし続ける。なぁ、と赤が鳴いて、てしっと私の膝に手をのせた。


「本当に良かったのか。あやつならば信用できよう」

 しゃがれた声で言われて、ふぅ、と私は息を吐く。こいつまで何を言うのか。私の事など私以上に知っているくせに。

「私が、信用出来んのだよ。自分自身がどんな糸を持っているのか解らない。お前達の存在さえ疑っている所がある。化けたり喋ったりと、百鬼夜行の先頭に居そうなお前達は、私と言う『厄』を清涼殿に持ち込んだのではないかと」

「『厄』転じて『薬』となる。まあ確かに信用はされすぎても困る。あの皇子のように。一度ばっさり切ってしまったのは、妙案だったと思うぞ」

「猫には猫の生き方がある。いくら囲い込まれようともひゅるぅりと抜け出せる空蝉にも似た、な」

「そうだな、祢子」


 皇子が無事梨壺に入ったのを見届けて、眼を開ける。

 まあ本当。

 惚れてやってもいいような、良い奴だった。


 それから一週間は何事もなく過ぎた。鬼食いとしての私の仕事も、皇子の勉学も、猫達の寝てばかりの日々も。

 ある日大きな葛籠が届いた。糊で貼った紙に『祢子殿へ』と書かれているものの、誰が頼んだかものかも知れないし、解らない。心当たりはないのかと女房達にしきりに尋ねられたが、私にはさっぱりだった。取り敢えず中を見てみようと言う事で台盤所の皆と一緒に開けてみると、それは豪奢な十二単が、丁寧に畳まれて入っていた。誰に見せるでもないのに思わず袖を通して見たくなる自分に、否否と否定の言葉を投げつける。どんなに綺麗でも、誰に見せるでもないのに、こんなものを送って来るとは。怪しんで然るべきだろう。心当たりはなくもないが、あれだけ突き放した相手にそうされる謂れもない。きっと違うと、直感で分かる。私の勘はよく当たるのだ。悲しいことに。


「もしかして、小春の君からではないかしら」

「そう言えば最近は祢子の所に通ってこないけれど、こんなものを用意していたなんて、奥ゆかしい方だこと」

「……皇子からと決まった物ではあるまいて」

「良いから袖を通して見ましょう、春夏秋冬きちんと色合わせがあって、みやびだこと」

「私よりあなた達がはしゃいでどうする――ン」


 ふと一枚の単衣に、きらり走る物を見付ける。広げていた女房に待てと声を掛けて慎重に触れてみれば、それは銀色の針だった。ぺろりと舐める、慣れた味。またトリカブトだ。

 口を漱いで毒針を適当な小皿に乗せると、女房達はきょとんとする。


「祢子? これは?」

「毒針だ」

「ひっ」


 着物を持っていた全員が思わずばさりとそれを落とす。と、まだ銀色がいくつかあるのに気付いた。これはむしろ、斎藤氏の手口に近いが――皇子の手口では、ないような。女に袖にされてこんな真似に走るほど、あの皇子は胸中狭くもあるまい。大体私の心配をしていた男が私を傷付ける真似に走るなど、矛盾しているではないか。可愛さ余って憎さ百倍になったとしても、これは皇子のやり方ではない。では誰が?

 ふむ、と針を見える限り取り払って小皿に置く。一枚に二・三本仕込まれているらしい。染色が乱れている箇所もあるから見付けやすかったが、地味に面倒である。十数枚だから三十本近くなるな。トリカブトに刺してやれば、作る方はそう面倒でもない。逆はこの様だが。ああ、磁石が欲しい。面倒くさい。かと言って他の女房に手伝ってもらうわけには行かない。もしもの事があっては困るし、私の後味も良くない。私の問題なのだ、これは。鬼食いに鬼を直接投げて来る愚か者との。


 と、どたどた走る音がして、冠が今にも落ちそうな皇子が女所帯の台盤所に走ってやって来る。


「祢子殿、ご無事ですか!?」

「春晃皇子」

「内裏を出ようとしたらあなた宛ての大きな葛籠が運ばれたと言うのを聞いて――中は着物らしいと聞いて。名を伏せて女に近付くとは風流だと言われたのですが、それは私が頼んだものではありません! 私が頼んだものはひと月ほど掛かると言われています!」

「何をどさくさに紛れて白状している」

「と、とにかくそれは私からではないのです! まさかどこかの公達が祢子殿にッ……」

「毒針を忍ばせる公達が居たとしたら、勘弁して欲しいものだな」

「え?」


 ぽかん、とした顔に、ああやっぱりこの人は性根が良いな、と思う。私の顔を知る公達なぞいる訳もないと言うのに。いたとしても忘れているだろう、御大尽方の子息達は。この歳になると御簾や几帳と言う物理的な壁が出来てしまうし、忘れて行くものも多い。たまに彼らの父君が教えてくれる現状を、楽しく聞くだけだ。

 顔までしっかり見られているのは、この男にだけ。

 御簾を開けて無理やり私を視界に入れて来た、この男だけなのだ。


「毒針、とは」

「ほれ」


 小皿に乗せた何本かを見せる。無味無臭、銀の箸をも素通りする恐ろしい毒。


「祢子殿にまで、ああ、なんと言う」

「まで?」

「私が内裏を出ようとしたのは、梨壺から清涼殿に向かう途中、またあの弓矢で射られたからなのです。赤が矢を叩き落し、黒が犯人を追ってくれたのですが、逃げられてしまったらしく」

「お前らそんなことやってたのか」


 いつの間にか足に懐いてくる赤と黒に訊ねると、にゃあ、としか答えない。しかしまた毒攻撃が始まったとなると、中々面倒だ。

 面倒だが――。


「放ってはおけんよなあ……」


 ふぅ、と息を吐いて、私は皇子と女房達に、ちょっとした『我儘』を頼んだ。

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