第34話 古都の風

 一年が経った。


 琴は地元の国立女子大に合格し、ゆりはかつてお世話にになった医大に合格した。

バタバタと卒業式や入学式が過ぎて行き、ようやく落ち着いた四月の中頃、二人はいつも集合場所だった近所のカフェにいた。


「コト、知ってた?コウヘイさんとヨシノさん、秋に結婚したんだよ」

「えー 知らなかった。ワッフルにずっと行ってないし、そもそも自転車以外で行く方法知らないし」

「家もコウヘイさんのマンションで二人暮らしだって」

「そうなんだ。なんかいろいろあるって前言ってたけど」

「今度、ヨシノさんがワッフルにいる時に自転車で冷やかしに行ってみよう」


「うん、そうだね。ヨシノさん冷やかせるって今をおいてない気がする。あ、でもゆり乗れるのかな」

「実はローラー買ってね。受験の間もその上で時々漕いでた」

「ローラ?」

「ローラーだよ。コロがついてて、上に自転車のっけてその場所で漕げるようになってるトレーニングマシン」

「へーそんなのがあるんだ」

「うん、パンクはしないし、転倒もしない」


「でも風を切れないね」

「うん、それが欠点。いつも前にはお母さんがいる」

「はあ、微妙…」

「ま、と言う訳でいくらかは漕げるけど、道路を走る勘は消えてる」

「じゃ、先に近場で奈良公園へ行こう」

「うん、それでフルーツ満載のケーキと牧場のソフトクリーム食べよう」

「牧場なんてあったっけ?」

「あるんだよ、それが。コトの大学からすぐだよ」

「えー、全然知らない。鹿とかいるの?」

「まさか。牛さんが牛舎でモウモウしてる」

「へえ、じゃ、いつ行く?」

「明後日でどう?あたしは授業がないんだ」

「うん、大丈夫だよ。ここに十時でいい?」

「そうしよう」


 こうして二人は再始動したのだった。


+++


「あー、乗ってない間に太っちゃったみたいで、ジャージきついわ」


 ゆりがはにかんだ。


「それを成長痛って言うんだよ」

「もういいよ。成長痛は懲り懲りだ」


 二人は走り出した。住宅地の中を東へ走る。途中、ゆりが入院していた県立病院を通った。ゆりは横目でチラと見た。あそこで暮らした日々がずっと昔に思える。点滴と車椅子が行き交う広い廊下。いつも誰かが端末を叩いているナースステーション。消毒液の匂いと巡回の先生の白衣の汚れ。そして窓の向こうの青い空。懐かしいのかどうか判らないな、ゆりは頭を振った。


 二人はやがて広い県道に出て、JRの駅までやって来た。 


「三条通りは歩行者も多いから徐行ね」


 少し勘の戻ったゆりが、以前のように指導を繰り出した。琴にはそれがちょっと嬉しかった。


「ほら、コト知ってる?ここのカフェ、アニメの聖地なんだよ」

「へえ、全然知らない」

「結構オムライスが美味しいんだ」

「覚えとこう。ここなら大学から来れるし」

「一旦、飛火野まで走るよ」

「あーい」


 二台のロードバイクは興福寺の五重塔の下を走り、東大寺前を右折し、飛火野を快走した。琴が叫ぶ。


「久し振りに風になったよー」

「うん、コトが風になって奈良を走るって、まさに古都の風だー」

「あー、いーかもそれ」

「鹿さん見てるよ」

「ね、ゆり、治って良かった。完治だよー」


 急に琴の眼から涙が溢れた。この日を待ってたんだ、ゆり。


 古都の風に、雫が舞い散った。

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