第14話 明日香へ

「うーん、いい天気すぎる」


 ゆりは太陽を見上げた。


「こりゃ並の日焼け止めじゃ太刀打ちできないよー」

「夕立ない事祈るだけだね」

「でも涼しくなるんじゃないの?」

「馬鹿おっしゃい。雨の中走るのは大変なんだから。後の整備だってね」


 二人は近くのコンビニで、スポーツドリンクやミニ羊羹など一通りのエネルギー源を仕入れ、明日香を目指してスタートした。第一休憩ポイントの運動公園を経て、夏草の中を快走する。


「チョコってエネルギー源なんじゃないの?」

「そうだよ、頭のエネルギーにもなるってよ」

「へえ、それは知らなかった」

「だから試験前に食べるといいって、どこかに書いてあった」

「へえ、試験中に食べても効果ありそうだねえ」

「んー、許してもらえるならね」

「今日も買えばよかったねー」


「溶けちゃうよ、この気温じゃ」

「あーそれは大変だ。食べられない」

「涼しい時は、あたしも持っていくよ」

「ピクニックみたいだねー」

「今のうちだよ、そんなのんびり言ってられるのは」


 サイクリングロードは田畑の中を真っ直ぐに伸びてゆく。道の傍らでは夏の光を讃えるように、蝉が鳴きまくっていた。


「もうすぐ休憩ポイントー」

「あーい、でもまだ大丈夫だよ」

「いや、水分補給した方がいいわ」

「ふーん」


 二人は公営の施設に設けられたテラスに停車した。


「熱中症ってさ、変だなと思った時には遅いんだよ」

「へえ、ゆりはなった事あるの?」

「うん、一度だけ。暑さなんかに負けるかって頑張った結果、足が攣りまくって気持ち悪くなってさ、暫く涼しい所で休まないと体温が下がらないんだ」

「へえー」

「体温調整ができなくなってるから、そのまま下がらなくて本当に危ないんだよ。だからヒートアップする前に時々和らげてあげるんだ」


「ふーん。自転車乗ってるといろいろ詳しくなるねえ」

「うん、それにあたし体育の先生目指してるから知っとかなくちゃ」

「えらいねーゆりは」

「そうだよ」

「はいはい、さすがはベストテンこぼれ」

「うるさいな、タカラジェンヌこぼれ。さ、行くよ」

「あいセンセイ」


 橿原市の街中を走り、神宮の森を抜けて左折すると間もなく明日香村に入った。ここまで来るとずっと自転車道に寄り添うように流れている飛鳥川の水も清涼に見える。


「ほら、あのこんもりしたのが甘樫丘。あと2キロ位かな」

「うん、蝉の声、半端ないわあー」


 甘樫丘を回り込んで、少し走ると明日香村のダウンタウンに到着した。


「ここから少しスピードダウン」


 ゆりはハンドサインを出しながら声を掛ける。


「バスとか来るから気をつけて」

「はーい」


 琴は緩やかな坂をキョロキョロしながら進む。確かにここは明日香だ。明日香まで来ちゃったんだ。駐輪場に自転車を停めた二人が向かったのはソフトクリームスタンド。


「ここのイチオシは、あすかルビー満載のソフト」


 あすかルビーとは地元特産のイチゴの品種だ。


「うわっ、つぶつぶ入ってる」

「見てばっかだと溶けちゃうよー」

「んー、おいし。高いだけのことはある。たくさん走って来た価値はある」

「でしょ、ロードバイクとソフトクリームって相性いいんだ。帰りに、もう一軒、おススメソフトがあるんだ」


「そりゃ太るよー」

「大丈夫、冷却効果のある補給食と思って食べる!」

「で、お昼は何食べるの?」

「コト、実は太りたいんだな。願いをかなえてあげよう」


 二人は近くの自然食レストランに入った。


「ねえゆり。私、お爺ちゃんちまで走ってみたいんだけど、どう思う?」

「コトのお爺ちゃんちってどこらへんだったっけ?」

「大津。瀬田ってところ」

「あ、そっか。そんな事言ってたね。瀬田って唐橋のあるとこだよね」

「そうそう。その近くのマンションなんだけど」

「それならー、宇治川ライン走ってゆけば着いちゃうな。それって日帰り?」

「ううん、多分お泊り」


「じゃあ、大丈夫だよ。片道五十キロ位だから今日より短いよ」

「え?そうなんだ」

「宇治川沿いは坂もないし、涼しい道だから、ダンプカーとかに気を付ければ快適だよ」

「ふーん、よし、じゃあゆりも一緒に来てくれる?」

「え?あたしもお泊りするの?コトのお爺ちゃんちに?」

「そう、全然大丈夫だよ。だって自転車好きだからきっと気が合うよ」

「あ、そうだった。乗ってるんだったコトのお爺ちゃんも」

「うん、大好きみたい」

「じゃあ行こうかな」

「有難う。持つべきものはトモダチだ」

「それも飛び切り上等のね」

「はいはい」


 帰りは明日香村から真っ直ぐ北へ向かった。


「はいー、2軒目のソフトクリームだよ」

「うわ、牛さんの看板だ」

「さっきと違って、濃厚ミルク味」


 二人は牛小屋に併設されたような売店に入った。


「結構いろいろあるんだねえ」琴はキョロキョロしている。

「ま、でもバニラが正統派だよ」

「んじゃ、私もバニラ」


 二人は今日2本目のソフトクリームを頬張った。


「ホントだ。濃い!」

「でしょ。ヘロヘロの時にも元気になれる魔法のソフトなんだよ」

「なんだかマニアだねー」

「うん、自転車乗ってると、自然とそうなる。死活問題の時もあるからね」

「げ、そんな時にもソフトなんだ」

「そ、嬉しい時も、苦しい時もソフトクリーム」

「やっぱ、マニアだー」


 濃厚ソフトを満喫した二人は天香久山の麓を北に向かって走った。


「ね、知ってた?天香久山って女子なんだよ」


 ゆりが唐突に言った。


「へ、山に男女があるの?」

「ま、神様みたいなものなんだろうね。それで横に見える畝傍山と前の耳成山が男子」 *

「はあ」

「で、ご想像通り、男子二人が天香久山を取り合った」

「そんな想像は出来ないよ。第一、山は動かないじゃない」


「ん、だよね。でも、畝傍山が勝ったことになっている」

「はあ、で、どうなったの?結婚でもしたの?」

「山が結婚するわけないじゃない。何かの例えなんだと思うけどね。比喩ってやつ」

「ゆりはいろいろ知ってるねえ」

「勝手に覚えちゃうんだよ。行くところ行くところで看板に書いてあったりするし、そういう言い伝えネタには、ここらへん事欠かない」

「まあそうだろねえ。千何百年分の言い伝えがあるよねえ」


 二人は国道を越えてから左折し古い街並みに入った。格子の残る旧家が立ち並んでいる。横大路と呼ばれる古代の国道一号線だった。


「この道ってね、大昔の幹線道路なんだよ」更にゆりが解説する。

「え?こんなに細いのに?」

「うん、大阪までつながってたんだって。きっと牛車とかが走ってたんだよ」

「へえ、大阪からここまで牛で来るって想像できないよ。めっちゃ時間かかりそう」

「きっと急ぐ必要もなかったんだろうけどねー。だからその道をこうやって、まったり走るのもいいでしょ」

「うん、お散歩って感じだね」

「ポタリングって言うんだ」

「ふーん」


 橿原市の街中から自転車道に入った二人は、休憩しながら田圃の中を走る。高速道路の高架を潜って、小さなお社の脇を抜けた時に、それは起こった。


 ガシャーン。


 先を走っていた琴は、とっさにブレーキをかけ振り返った。ゆりが坂の下で転倒している。


「だ、大丈夫?」


 叫びながら自転車を降りた琴は、ゆりの元に駈け寄った。

「うん、ちょっと擦りむいたけど、足、痛くて力入らなかった」


 顔をしかめるゆり。こんなゆりを見るのは初めてだ。


「どうしたんだろ、ミネラル不足ってやつかな」

「ううん。そうじゃない。急に足に激痛が来て、ペダル外しちゃったらバランス崩れた」

「どうしよう、ちょっと休もうか、そこのお社借りて」


 琴は、ゆりを支えながらお社に座らせ、2台の自転車を運んだ。


「走れるかな」

「休めば大丈夫と思う。時々急に痛くなるんだ」

「ゆっくり行こう。痛くなったらすぐ止まって」

「うん、ごめん。情けないわ、これ」


 少し休んだ二人は、ゆりの足を気遣いながらスローペースでサイクリングロードを戻った。


「ごめんね、時間かかっちゃって」


 集合地点まで戻ったゆりの表情は曇っていた。


「ゆり、また病院行った方がいいんじゃない?」

「うん、そうする。もの凄い勢いで成長してるのかな」

「縦に成長してるんならいいんじゃない?ヨシノさんみたいになれるよ」

「有難う。持つべきものはトモダチだ」

「そうだよ、それもとびきり上等のね」

「本当に」

「じゃあ、無理しないでね」


 暑い中、七十キロを走った琴は汗だくだったが、ゆりの痛さにしかめた顔が妙に頭に残った。私は背が伸びてもちっとも痛くないのに変なの。


* 作者註:諸説あります

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