第28話 お小夜の乱

 秋はあっという間に深まり、冬の声が聞こえる頃、お小夜は悩んでいた。

大学ってみんな行くけど、意味あるのかなあ。俳優は舞台をこなさなきゃ磨かれない筈だし、大学に行ってたらこなせないし。

お小夜はネットで俳優の卵たちをリサーチしていた。いろんな人がいる。大抵は東京で一人暮らししながら舞台に立っている。

みんなどこを目指しているんだろうか。大きな劇団なんだろうか。どうやって稼いでいるんだろうか。バイトと稽古は両立するもんだろうか。

やっぱり、直接聞いてみないと判らない…か。


そしてある夜、お小夜は思い切ってお父さんに切り出した。

「私、俳優になりたいって思ってる」

「俳優?」

「だから、大学行かないで東京で一人暮らししたい」

「なんでいきなりそうなるんだ。いろんな方法があるだろ」

「だってみんなそうしてるもん」

「ふうん。でもそれで出来ると思ったら、それは甘いよ」

「なんで?やってみなきゃ判らないじゃない」

「判るんだよ。大人になったら判るんだよ。第一いきなり東京行ってどうするんだ。地理も判らない。知ってる人もいない。そんな中で住む所をどうやって探す?お金はどうする?考えればわかるだろ、いきなりは無理だ」

「でもいろんな人がそれでやってるんだよ。私だけできない筈はないよ!」

「それはちゃんと時間かけて、筋を頼ってやって来てるから出来てるんだ。それにそもそも俳優でこの先やって行ける保証はないだろ。そんな簡単な世界じゃない筈だ。地方からぽっと出て、いいカモにされるだけだ。そんな危ない目にお前をあわす訳にはいかん」

「誰だって初めてはあるじゃない。いきなり全否定したら何にもできないよ!」

「だから順番に考えればいいだろ!まず大学行ってじっくり考えればいいだろ」

「大学行ったら稽古する時間とか取れないじゃない。みんなバイトしながら夢持って一生懸命稽古してるんだよ」

「行ってから考えればいいだろ。夢だけでは飯は食えないんだ!」

お母さんも入って来た。

「小夜、いきなり東京じゃなくていいでしょ。事件とか多いから一人暮らしは心配よ」

「私は大丈夫だよ。第一そんな人はたくさんいるでしょ。みんな事件になんかなってないじゃない」

反対されるほどにお小夜はヒートアップし、それにつれてお小夜のお父さんもヒートアップした。

「もういいよ、自分で考えるから!」

お小夜は部屋に引きこもった。大人はなんで判らないんだ。夢がなきゃ何にも始まらないじゃない。何でもトライしなきゃ判らないじゃない。何だよ情けない…。お小夜は考え続けた。じゃあ聞いてくるよ。私が自分の耳で聞いてくる。夜行バス、まだあるかな。


二日後、5組では騒ぎになっていた。


「ゆり、聞いた?お小夜が昨日から欠席して連絡ないの。先生が家に聞いたら家出したって」

「え?家出?」

「うん、お小夜の親が言うには進路の事で意見が違って、そしたら朝になったらいなかったみたい。どこ行ったんだろあの子」

「携帯とか繋がらないのかな」

「そうみたい。可愛いから心配だよね。誘拐とかされたら大変だよ。お小夜のお父さん警察官だから複雑になっちゃう」


ゆりの頭には悩んでいたお小夜の姿が思い浮かんだが、家出するほどの話なのかよく判らなかった。

その夜、ゆりも琴も5組のみんなもLINEしまくった。けれど梨の礫。勿論通話は通じなかった。


「もしもし、ゆり?」

「あ、うん。何か判った?」

「ううん、全然状況は変わらない。いろんなグループがメッセージ入れてるけど誰にも何にも返ってこないって」

「あー、大丈夫かな。携帯だけ捨てられてるとか」

「怖い事言わないでよ。お小夜は小さいけどしっかりしてるよ」

「あたしも三十分したら入れてみる」

「うん、返事来たら夜中でもいいから電話して。私、先生の携帯も知ってるからすぐに連絡する」

「わかった」


こんなやり取りがずっと続いていたのだ。翌朝の5組は全員が寝不足で半分授業にならなかった。

そして正午を回った頃、お小夜の家から学校に、お小夜が戻ったとの連絡が入った。しかし状況や真相は知らされなかった。


「コト、クラスで先生何か言ってた?お小夜のこと」

「うん、六時間目の授業の前にね、少しだけ先生が来て、お小夜は無事だからって。少し親と意見が違ったので、他人の意見を聞きに行ってたようだって。来週からは登校するみたい。今はそれだけ」

「LINEないしね。大丈夫なんだろうか。コトには言ってなかったけど、お小夜、進路で悩んでたんだよ」

「そうなの?何も知らない。ってか、5組でもみんな知らないよ」

「そっか。あたしだけに言ってくれたのかな。俳優になりたいけど親が反対で大学行けって言われてるって」

「そうなの?俳優?初めて聞いたよ。あの子、賢いからいい大学行けるだろうなって思ってたけど」

「親が警察官なら、いろいろ心配になるんだろうね。たくさん事件とか知ってるんじゃないかな」

「それはそうかも。可愛い子にはなかなか旅させられないって、爺様も言ってたし」

「でも、なりたいって気持ちが強かったんだろうな」

何故、あたしだけに言ってくれたんだろう。ゆりは訝しく思っていた。それと同時に、今のお小夜と半年前の自分の姿を重ね合わせても居た。事情は判る。でもそれだからって済むの? 半年前、いじけていたあたしにコトははっきり言ってくれた。自分でも判ってたことだったが、コトのお蔭でようやく自分に、現実に向かい合えたのだ。


 翌週月曜日、朝礼時にお小夜がやって来た。お小夜は教壇に出て謝り、事情を説明の上、今日からまた授業を受けますと言ったそうだ。何でも、駆け出し俳優の人たちに意見を聞くため夜行バスで上京したとの事だった。

昼休みの食堂でそれを聞いたゆりは琴に

「放課後5組に行くから待っててってお小夜に言っておいて」

と伝言した。そして、言葉通り、授業が終わった途端、松葉杖をつきながらゆりが5組にやって来た。


「あ、ゆり、ごめん。本当にごめん」

お小夜は謝った。けれどゆりは収まらなかった。

「あのさ、お小夜。悩んでたのは知ってる。お小夜の気持ちも判る。でも気持ちの話と行動の話は別でしょ。あたしやみんなが心配したから言ってるんじゃないよ。俳優の人たちの意見を聞くのも間違いじゃない。だけど、誰にも言わずに一人で勝手に行くのは違うんじゃないの?聞かなくてもお小夜は判ってたでしょ、俳優の事情くらい。確かめるのだって他に方法はあるでしょ。お小夜がやったのは単なる自分勝手だよ。あたしだって前にそうだったのをコトに言われてやっと認めたんだよ。判ってたけど向かい合えなかったんだよ。お小夜だって判ってたくせに認めるの嫌だから、一人で言い訳作って行っちゃっただけじゃない。何か思いがけない結果でも得られた?思ってた通りだったんでしょ。それとみんなの心配を秤にかける自信あるの?自分でやるべきことやってから勝手しなよ」


ゆりは後半泣いていた。聞いているお小夜も泣いていた。琴は呆然とやりとりを聞いていたが、教室中がしんとなった直後、我に返った。


「あの、ゆりもお小夜も、もう充分だよ。もういいよ。みんな判ってるからさ、誰も悪くないよ。お小夜も必死だったし、ゆりも必死だったし、心配で死にそうだったけど、お小夜無事だったから、もうこれでいいよ。ね」


教室中から拍手が起こった。それは強すぎず弱すぎない、柔らかくて暖かい拍手だった。


その晩、お小夜は寝付かれなかった。ゆりの言葉は胸に刺さり、しかしお小夜の心を溶かした。

お父さんにはこっぴどく叱られた。無理もない。お父さんは三日で2キロも痩せたのだ。対して先生は叱らなかった。

それで、何かわかったかい?優しく尋ねたのだ。お小夜が訪ねて行った人たちは、ゆりの言った通り、お小夜の想像通りだった。幻滅と言ったら言い過ぎだが、期待したようなものは見つからなかった。先生には いいえ しか言えなかった。先生は、これで集中できるよね。大学にだって演劇部はあるし、先生仲間でも演劇サークルあるんだよ。少し拡げて見てもいいんじゃない?そう諭してくれたのだ。お父さんとゆりと先生と、それからとりなしてくれた琴ちゃんも、いろんな違った優しさがお小夜の中でミックスされてプリズムのようになっていた。それはお小夜の心の中の密かな変化だったが、お小夜自身、正確には把握できていなかった。

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