第36話 五十鈴さん参戦

♪チョリーン


「いらしゃいませー、あ、琴ちゃんとゆりちゃん」


 五十鈴さんが出迎えてくれた。背後からヨシノさんも顔を出す。


「あ、いらっしゃい一年生コンビ。大学楽しい?」


 ゆりが代表して答えた。


「高校より大変です。勉強ばっかで。それよかヨシノさん、おめでとうございました。今更だけど、直接言ってないやと思って」

「でも本当は、冷やかしに来たんです」


 琴も言った。


「はいはいありがとう。何がめでたかったんだかもう忘れかけてるけどねー」

「えー だって新婚さんでしょ、コウヘイさんどうですか」

「アイツは変わんないよ。益々ガキに近づいてるかもね。あなたたちもオトコはよーく見るんだよ」


「はあ、もうそんなこと言うかって気がしますけど」

「うん、三日目から言ってるよ」


 ヨシノさんはニコッとした。


「騙されちゃだめよ。これヨシノ先輩の常套句で本当は甘い甘い生活なのよ」


 五十鈴さんがお冷を持ってきてくれる。


「で、何にする?」

「あー、じゃあ、あたしは甘い甘いアイスココア」  とゆり。

「うーん、甘いのはもうたくさんだな…私は酸っぱいレモンスカッシュ」  と琴。

「はいはい、ちょっと待っててね」

「そうだ!五十鈴さん」


 ゆりが思い出して叫んだ。


「会ったんですよ!妹さん。千歳ちゃん!」

「そうそう、めっちゃかわいい!」


 琴も叫んだ。


「あー、言ってたわ。仲良さそうな先輩が二人やってきて、お姉ちゃんの事知ってたよって」

「あれ、それだけ?」 ゆりが言った。

「美人な先輩とか言ってませんでした?」 琴も言った。

「自転車乗ってみたいとかも」 ゆりが続けた。

「二人ともその喋りで畳み掛けたらそうなっちゃうよ」


 ヨシノさんが口を挟んだ。


「千歳ちゃん怖かったかな」

「うん、まずかったかも。タカラヅカ落ちた?とか聞いちゃったし」

「なんだかピンと来てないみたいだったけどねえ。気にしないでいいよ。はい、お待ちどうさま」


 五十鈴さんが締めくくった。


「今、丁度、シュークリーム作ってるから、出来たらあげるよ」


 奥でヨシノさんがガサゴソしている。


「うわーラッキー。琴と来るといつも良いことある気がするな」

「幸せを運ぶのよ、私は。でもなんで急にシュークリームなんですか?」

「コウヘイが好きなのよ。でも家にオーブンないからここで焼いてるの」

「ほらね、甘い甘い生活でしょ」


 五十鈴さんがにっこりした。そして、


「あのね、私も自転車乗る事にしたからさ、今度どこか連れてってよ」

「わお!五十鈴さんも乗る事にしたんだ!あ、でも千歳ちゃんが言ってたかな」


 ゆりが興奮した。


「ゆりのリハビリライドも兼ねて考えよう。ついでにお小夜も呼んじゃうか?」

「あ、それいいね。シクロクロスのデビュー戦だよ。で、五十鈴さんは何に乗るんですか?」

「うーん、ヨシノ先輩に相談したら、クロスバイクでいいんじゃないって。通勤に使うからね」

「ふうん、通勤かあ。ここに来るときに乗るんですよね」

「うん、それとスポーツジムね。私、体育の先生の順番待ちしてるから、それまではジムの先生なんだよ」

「体育の先生の資格もあるんですか?」


 琴はいささか驚いた。こんなスポーティな学校の先生見た事ない。


「お小夜と丁度合うかもよ」


 ゆりも言った。


「そうだね。行き先はゆりに任せるよ。私じゃそこらへんにしかならないから」

「オーケイ。みんなで走るなんてね、思ってもみなかった。あれ、五十鈴さん、自転車ってもうあるんですよね?」

「ううん、来週かな?お店に入るの」

「はーい。お待ちー、ヨシノ特製のシュークリーム完成!」

「うわーすごーい。おっきいなー」


 二人は目と鼻と口が同時に動いた。


「美味しそう!」

「五十鈴ちゃんのクロスさ、コウヘイがデコレーションして渡すから来週末になるねえ。琴ちゃんと同じルイガノだよ。クロスって言っても殆どロードみたいなモデルなのよ。タイヤも25Cで、コンポは105でね、フラットバーロードとか言ってるけど、これに泥除け付けてキャリアつけるから渋い一台になるんだよ」


* ルイガノ RSR1 (color:LG-white) 

  フレーム:6061アルミ コンポ:105 ウェイト:8.6kg


「へえ、なんかすごい。フラットバーロードってあんまり見ないし」


 ゆりは感心した。


「ねえ、ヨシノさんも一緒に行きましょうよ!」


 琴が提案した。


「それがね、今、ちょっと乗れない事情があるのよ…」


 ヨシノさんが申し訳なさそうに言った。


「え?何ですか?」

「生命を育んでいる最中でね」

「えーっ? それってもしや…」 

「赤ちゃん!?」 ゆりと琴が同時に叫んだ。

「ん、まあね。まだまだ生まれないけど、まだ安定してないから運動駄目って。ほら、ロードって前傾姿勢だからお腹に負担かけちゃうんだよね。背中立てて乗るって言っても、コウヘイが言う事聞かないのよ」

「そりゃそうだよ」


 ゆりは入院した時のことを思い出した。最初、お父さんもお母さんも本当にパニックだった。ゆりの方が落ち着いていたくらいだ。お爺ちゃんが、昔ゆりが足に大けがした時のことを引き合いに出して、この子は大丈夫だからって言い聞かせてくれたんだ。お父さんも真面目な顔して、俺の足やるから助かってくれって言ってたっけ。


「今回はコウヘイさんが正しいよ。ヨシノさん、絶対無理しちゃ駄目です」


 ゆりはきっぱり言った。


「有難うね」


 ヨシノさんは優しい笑顔だった。やっぱり甘い甘い生活なんだ。


「ってことは…」


 シュークリームを頬張りながら琴がぼそっと言った。


「ってことは、マスターってお爺ちゃん?」


 ふえっくしょい!


 カウンターの向こうでマスターが反応した。


「あーそうですよ、羽田先輩や椎名さんの仲間入りだい。ヨシノ、眼に入れても痛くない子を産んでくれよ」

「はいはい、各方面から注文が多いんだな、これが」


 そんなやり取りを聞きながら、生命って取り返しつかないもんな、ゆりのお父さんもお母さんもお爺ちゃんも、みんな必死で祈っていたに違いない。ゆり助かって本当に良かったよ。それに、お小夜のお父さんとお母さんも同じだったろうしな。琴は改めて思い返していた。


「じゃあ、二週間後位ですね、行けるの」


 ゆりがスマホの地図を見ている。


「どっち方面にするの?」

「うーん、少し鍛えたいし、和束の茶畑巡りにしようかな」

「へえ、結構な坂あるよ」ヨシノさんもゆりのスマホを覗き込む。

「うん、ま、押していいってことにします。茶畑見て休憩しますし」


 琴はどこだか全然わからなかったが、もう一人が気になった。


「お小夜、大丈夫かな?」

「うん、だから押していいって事にして、あたしも押しちゃうかもだし、みんなで押せば怖くないって言うか」

「おお、それは賛成だ」

「じゃ、五十鈴さん、5月の最後の土曜日と言うことでお願いします」

「はい、幹事さんよろしくね。で、どこに集合?」


「えっと五十鈴さんの家ってどの辺ですか?」

「ずっと北の方よ。西が丘」

「ああ、じゃあジャイアントのお店がありますよね。新しい自転車ショップ。あそこの前に十時に来て下さい」

「前はレストランだった大通り沿いのお店だよね。十時了解」


 琴が付け足した。


「それと、もう一人来るんです。先生のタマゴなんだ」

「あー、あのシクロクロス買った可愛い子ね」


 ヨシノさんはお小夜を知っていた。


「へえ先生のタマゴなんだ」

「そうなんです。教育大までシクロクロスで通ってるんです」

「なんか、いい仲間たちが出来てきたね」


 ヨシノさんはまたにっこりした。お腹で赤ちゃんもにっこりしているに違いない。


「お小夜、びっくりだね」

「うん、あの子、コトも一緒にどこか行きたいって以前に言ってたから丁度いいんじゃない?あたしから連絡しておくよ」

「はい、お願いしますだ」

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