第35話 三年ぶりの周回ツアー
琴もゆりも通学は電車だ。途中の乗換駅までは同じ路線なので、時々会ったりする。その日、ゆりが電車に乗り込んだら目の前に琴がいた。
「あ、コトだ」
「おお、ゆりじゃん。どう?慣れてきた?」
「うん、意外と勉強させられる」
「当たり前だよ。人の命預かるんでしょ。しっかり勉強してもらわにゃ。憧れの白衣はどう?」
「まだ着てないよ。今はたぶん他の学部と変わらないんじゃないかな。講義ばっかりで」
「ふうん」
「ねえコト、高一の時さ、あたしが走った市のサイクリングツアー、行かない?」
「うわ、懐かしいねー。ゴールデンウィークだっけ」
「そう、五十キロ強だからリハビリに丁度いいやって思って」
「うん、行く行く。まだ申し込み間に合うかなあ」
「大丈夫。さっき調べてたんだ。で、実はもう申し込んだ」
「はやっ。私が無理だったらどうするつもりだったの?」
「そりゃヨシノさんか、お小夜に声掛けようかと思ってた」
「お小夜? お小夜って自転車乗ったっけ?」
「うん、通学でね、駅までバス乗って電車乗って、またバスって面倒だし、直線だったら大した距離じゃないからってシクロクロスに乗ってんだ」
「シクロクロスって何?」
「ロードみたいな形だけど、オフロードも走れる奴。タイヤが太くてブレーキも形が違う」
「へえ?お小夜、よくそんなの買おうと思ったね」
「相談されたんだよ。クロスバイクってのを買おうと思うんだけど、ゆり自転車に詳しいから一緒に見てって。で、コウヘイさんとこ連れてったら、たまたまあったシクロクロスに惚れちゃったの」
「私と似たパターンだ。ゆりの誘惑って奴」
「そうとも言える。だってビアンキなんだもん」
* ビアンキ LUPO (color Celeste-Classico) フレーム:クロモリ
コンポ:Tiagla10speed タイヤ:40C ウェイト:11.73kg
「またあの綺麗な色の?」
「ううん、もっと淡いグリーンで、車体がクロモリ」
「クロモリ?」
「クロームモリブデンの略だよ。少し重いけどしなやかでゆっくり遠くに走る用。サドルも茶色の革製で渋いんだ」
「へえ、ロードじゃないんだ」
「そう、お小夜、可愛いリュック背負って乗ってるの、めっちゃ似合ってるよ。春の妖精みたいだ」
「へえ、あの子、小っちゃくて可愛いからなあ。教育大だよね。あ、降りなきゃ」
「そう、フルーツ満載ケーキ屋さんの近くだよ。まあそんな訳で、一度お小夜も誘って走ってもいいなあとか思ってる」
「それは賛成だ。渋い春の妖精見てみたい」
ゴールデンウィークの当日。市役所前の広場に集合した琴達は十数台ずつ出発した。先頭には私立大学の自転車部員が走り、道案内を行う。まずは奈良公園を目指す市街地コースで四月に二人が走ったのと似たコースだった。飛火野を抜け、フルーツ満載ケーキ店の角を曲がって、丁度お小夜の大学の周囲を回った。
「でも、お小夜が先生目指すことになるとは思わなかったね」
「家出の時の担任の先生見て思ったらしいよ。全然叱らないで、それでいていつの間にかくるまれてたって。今度は自分が生徒をくるんであげたいんだって」
「ふーん。白衣がカッコいいよりまともな理由に聞こえるな」
「人それぞれなんだよ。だいたいコトはどうなのよ」
「それが未だに不明だー」
コースは市の南部まで行ってお隣の市に入り、世界遺産のお寺を巡ったあと、西へ向かった。そうして三番目のエイドステーションに到着した。
「ここでコトと逢ったんだよね」
「うん、久し振りに来た。今思えば運命だったね」
二人は三年前を思い起こし、用意されたラックに自転車を掛けた。
「あー、やっぱ疲れるわ。美味しいもの摂らないともう持たないよ」
ゆりが背伸びをする。そして、補給テントを見て叫んだ。
「コト、見て! 三年前のコトがいる!」
そこには高校生アルバイトがドリンクとスイーツをサービスしている姿があった。
「ホントだ。なんか妹みたい」
琴が近づいていく。細身の可愛い子だった。
「ねえ、あなた高校生だよね?どこの高校?」
「はい、あの、春高です」
彼女は戸惑ったように答えた。
「え?春高?あたしたちの後輩じゃん」
ゆりが興奮した。
「それで、キミは宝塚受けて落っこちたりした?」
「はい?タカラヅカ…ですか? いえ、全然」
「もう、ゆり、びっくりしてるじゃない。そんな偶然ある訳ないでしょ」
琴は続けた。
「私ね、三年前にこのバイトしてたの、ここで。それで自転車に乗ったこの子に会って、自分も乗るようになっちゃったんだ。二人とも今年の三月に春高を卒業したのよ」
「へえ?そうなんですか?先輩なんだ。私はよく判らないけど、ウチのお姉ちゃんがバイトしてる店に自転車の人がよく来るらしくて、お姉ちゃんは乗ろうかなとか言ってます」
「ふうん、ワッフルってお店だったりして」
ゆりが調子に乗った。
「え?ご存知なんですか?」
これには二人とも心底びっくりした。
「ってことは… 五十鈴さんの妹さん?」
二人は声を揃える。
「あ、はい。姉をご存知なんですか?」
うんうん、琴は声が出ず、頷くしかできなかった。
「そのよく来る自転車の人たちに、きっとあたしたちも入ってるよ」
「こんな偶然ってある?」
「本当に、自転車ってみんなを繋ぐんだねえ」
「あの、先輩たちは何とおっしゃるんですか?」
「ああ、あたしがゆりで、こっちがコト」
「いつも姉がお世話になってます。私は妹の千歳です」
「そうなんだ、千歳ちゃん。五十鈴さんはカッコいい系で、千歳ちゃんはカワイイ系だよね」
琴が口を挟む。
「じゃあ千歳ちゃんも自転車乗りたくなったら、ワッフルにお出でよ。寄ってたかってお世話するよ」
「はい、有難うございます」
「じゃあね、頑張ってね」
「はい、気をつけて走って下さい」
自転車ラックに戻りながら二人は何だか愉快な気持ちになっていた。
「受け継がれるんだねえ」 とゆり。
「アニメみたいだよねえ」 と琴。
「早速ワッフル行って、報告だあ」
残り半分の行程は足も軽くなり、二人は心地よい疲労とともに出発地点に戻って来た。
「ふう、ちゃんと走れたねえ、ゆり」
「うん、夏までに何回か走って、そいでコト、琵琶湖連れてって」
「うん、走ろう一緒に」
「お爺ちゃんたち、ついてくるかな」
「あーウチの爺様に内緒にするのは気が引けるなあ」
「でもあたしのお爺ちゃんに言ったら、すぐワッフル中に知れ渡っちゃうよ」
「うーん、羽田大先輩も断れないよー。命の恩人だし」
「ま、ややこしい事は後から考えよう。それがコト流でしょ?」
「まあね。成るようにしか成らない」
「さ、帰ろ。もう少し走んなきゃ」
琴は不思議な縁を感じずにはいられなかった。ゆりに始まって千歳ちゃんまで。それはペダルとタイヤをつなぐチェーンのようだ。
この三年ってあっと言う間だったけど、その間に、普通なら知り合う筈もない人たちにどれだけ知り合えたことか。前を走るゆりの背中に、三年前、琴の前に颯爽と現れ、風のように走り去ったゆり背中が重なって見えた。
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