第23話 ビワイチのお誘い
爺様んちまでロングライドした2週間後、爺様から琴に電話がかかって来た。
「もしもし、琴かい」
「うん、この間は有難う。次の日、やっぱ足が大変だったー」
「それは若い! 爺様なら一週間後に痛くなるよ」
「えー、それじゃ原因がわかんないじゃん」
「はは、痛いまま次のライドだよ。それはそうとして、琴、もう百キロ走れるんだったらさ、一度ビワイチにチャレンジしてみないかい?勿論爺様がついて走るし、良かったらこの間のお二人も誘ってさ、もうすぐ夏休みだろうから丁度いいかなって」
「ビワイチ?」
「あれ、姫様は知らなかったかな。琵琶湖を一周するサイクリングのことだけど、ま、琵琶湖大橋から北側を一周するだけでも一応ビワイチって言ってるんだよ。地図で見ればわかるけど、殆どが琵琶湖大橋から北側なんでね。坂はあんまりないから、百キロ走れるんだったら行けると思うんだよね、若いし」
「あー、ママが言ってたな。爺様が昔琵琶湖一周してたって」
「まあね、この辺の自転車乗りは大抵チャレンジするものなんだ。県も力入れてるから途中途中に休憩ポイントとか整備されていて走り易いんだよ。朝早くに出たら、夕方には帰って来られるよ」
「へえ、やってみようかな」
「一応爺様んちまで自転車ごと車で送ってもらって、一泊してスタートすると丁度いいと思うんだ。この間のお二人にも聞いてみてくれない?」
「うん判った。聞いてみる」
琴は早速ヨシノさんにメールしてみた。程なくメッセージが返って来た。
『Good! 是非行こう。コウヘイには言っとくよ。日を決めてね。言われたポイントに集合するから』
快諾だ。よし、一応ゆりにも報告しておこう。
翌日の放課後、琴は1組に行ってみた。このところゆりは松葉杖で歩くことが増えていて、お母さんのお迎えもなかったりする。ビアンキ車椅子のドライバーも商売あがったりになりつつあって、しかも先日の事もあるから、琴は少し疎遠になっていたのだ。
「ゆり、ちょっといいかな」
「ん?」
「あのさ、爺様からね、琵琶湖一周しないかって電話がかかって来たの。それでヨシノさんに話したら是非行こうって。ゆりに悪いから一応報告しておこうかと思って」
「ふうん、ビワイチか。あたしも行った事ないな。コトに先越されちゃうんだ」
「ごめん」
「いや、あたしこそ、この間はごめんだった。こんな事じゃみんなの先生にはなれないって反省してた」
「ううん、でもゆり随分歩けるようになったじゃない。もう時間の問題だよ」
「コトもう気にしないで。あたしも努力しなきゃって思ったんだ。それで、ビワイチっていつ行くの?」
「まだ決めてない。多分夏休みに入ったらすぐ」
ゆりは暫く窓の外を見ていた。その眼差しは空を突き抜けて遥か彼方の希望まで見通しているようだった。
「ね、コト。お願いがあるんだけど」
「ん?なに?」
「そのビワイチ、カワセミ号で走ってくれない?」
「え?カワセミ号?ゆりの?」
「そう、もう一年位乗ってなくて可哀想なんだ。あたしに付き合わせてたらまだ走れないから、あたしと走ってると思ってカワセミ号を走らせてもらえないかなって。すずらんちゃんには申し訳ないんだけど」
今度は琴がじっと窓の外を見た。ゆりの想い。自転車に乗りたいって言った時の切ない想い。ゆりの家の玄関にポツンと置いてあったエメラルドグリーンのロードバイク。私の純白のすずらん号。いろんなものが虹のように空に掛かり、回り、そして琴の瞳に収束した。
「わかった。カワセミ号で行こう。カワセミ号に走ってもらおう。ゆりの分も」
「ホント?有難う。良かった…」
ゆりの眼が涙で盛り上がった。
「それで、ゆりが乗れるようになったら、二人で、2台でもう一度琵琶湖一周しよう」
「うん」
ゆりの足下には、涙が花びらのように散った。
帰宅後、琴は早速この経緯をヨシノさんにメールした。
『素晴らしい!いい子だね二人とも。コウヘイにカワセミ号のチューニング頼んでおくよ』
返事はすぐに来た。琴は爺様に電話して日取りを決めた。夏休みに入った2日後、琴はパパの車で、カワセミ号とともに爺様んちに行く。一泊して翌朝、琵琶湖大橋近くの駐車場まで、今度は爺様がカワセミ号と、爺様のロードバイクと、琴を載せて行く。コウヘイさんとヨシノさんはそれぞれで駐車場までロードバイクを運搬し集合する。大まかな計画はこのようなものだ。
次の日曜日、琴はカフェ・ワッフルにすずらん号を走らせた。期末テストが迫っているので、そうそうのんびりは出来ない。
♪チョリーン
「あ、琴ちゃん、いらっしゃい」
一等席でビアンキ車椅子のゆりが勉強していた。
「あ、ゆり、試験勉強なんだ」
「うん、今、日本史のオーブン焼きを頼んだところ」
「はあ、またわからん事を…。私はチョコバナナクレープにグレープフルーツジュース下さい。大体それって食べられるわけ?」
「食べたらみんな脳に入る」
「便利だねえ、ゆりの頭は」
ヨシノさんがクレープを二人分持ってきてくれる。
「わ、ラッキー。コトが来るといいことあるなあ」
「たまにはね」 琴が返す。
「そう、琴ちゃん」ヨシノさんが隣に座った。
「あのね、今度のビワイチ、私は走らないことにしたの」
「え?なんでですか?」
「私はゆりちゃんと一緒にゴールで待ってる」
「え?ゆりも来てくれるの?」
「そうだよ、カワセミ号を祝福しなくちゃいけないからね」
「それで私がビアンキ車椅子のドライバーってわけよ」
ヨシノさんが言った。そうか、近所じゃないからゆりを放っておくわけに行かない。琴は少し複雑な気持ちでヨシノさんの想いを受け止めた。
「それじゃ、コウヘイさんは?」
「彼は走るわよ。カワセミ号に何かあったら困るでしょ」
「はい。すずらんちゃんとは勝手が違うだろうから」
「だから、琴ちゃんとお爺様とコウヘイで走ってきてね」
「うん、わかった…」
その話は既にヨシノさんからコウヘイさんには伝わっていた。
『…それでコウヘイ、無事に琴ちゃんを連れて帰ったら、この前の話、返事します』
加えて、こんな話もコウヘイさんには伝えられていたのだ。
+++
期末テストが終わった次の土曜日、琴はショップに出掛けた。
「コウヘイさん、来ました」
「あ、琴ちゃん、わざわざ有難う。ビアンキを琴ちゃんに合わせておかないといけないから。それに少し乗っておいて欲しいんです。それぞれで癖がある筈だから、事前に知っておかないと距離が距離ですからね」
ショップには既にカワセミ号が運び込まれていた。琴はカワセミ号に乗ってみて、高さや長さを見てもらい、結局サドルは、すずらん号についているものと同じブランドのものに、ステムは少し短めのものに交換された。
「ま、これで概ね琴ちゃんのルイガノと似た感じになりましたけど、明日法隆寺まで走って少し慣れて下さい。僕も一緒に走りますから」
エメラルドグリーンのフレームには一年前に転倒した時に出来た傷があった。記憶をそうっと持ち上げるように琴はその傷を撫でた。カワセミちゃん、ゆりの傷もまだまだ深いんだ。その傷を少しでも癒すために走るんだよ。乗るのは私だけど、ゆりとキミは一緒に歩んでるんだよ。
翌日、コウヘイさんと琴は、ショップから法隆寺まで走った。坂はあるものの距離が短いので琴は難なくビアンキを乗りこなした。
「何とかなりそうですね」
「はい、気持ちよく走れますし、変速が軽い感じです」
「このビアンキは105ですからね。ワングレード上なんです」
「へえ、ブレーキもよく利く感じです」
「ああ、キャリパも替えましたからね。琴ちゃんもいよいよ味が判るようになってきましたね」
「へへー」
「じゃ、柿ソフト食べましょうか?」
「え?柿?パーシモンの柿ですか?」
「はい、名物なんですよ。暑い時のチャージには持ってこいです」
ああ、ゆりもそんな事言ってたな、琴は一年前の明日香での出来事を思い出していた。
「柿ソフト食べても鐘は鳴りませんけどね」
はあ…、これはヨシノさんが糸を引っ張る側になるのも無理はないわ…
密かに琴は思った。
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