第22話 ゆりのリハビリ

 ゆりはリハビリを続けていた。車椅子だけじゃ生活できないので、松葉杖を使って歩いたり階段を上ったり下りたりの練習もしていた。

先週の通院では医師から、非常に順調な回復で筋肉もつき始めたから、もう少しで歩けるし、そのうち自転車だって乗れますよって言われたのだ。その時は嬉しかった。しかし、自宅に戻ると「そのうちか…」と溜息が出た。


大津から帰った次の日の放課後、琴は1組を訪ねた。

「お母さんのお迎えは何時?」

「今日は遅れるって。だから教室で勉強してく」

「じゃあちょっと一緒にいよう。お爺ちゃん、びっくりだったね」

「ああ、昔一緒に走ってたって話、こっちもびっくりしてた」

「でも2回も百キロ走れて何だか舞い上がっちゃったよ。ヨシノさんにまで褒められたし」

「ふーん」

「ゆりだって初めて百キロ走った時、嬉しかったでしょ」

「もう忘れたよ」

「やっぱりコウヘイさん、ヨシノさんと一緒だとちょっと緊張してる感じがする。

私が通訳しないと話しづらそうだし。でもヨシノさんだって嫌じゃなさそうだしな。どうなるんだあの二人」

「あのさ、コト、悪いんだけど自転車の話、もういいよ」

「え?なんで?」

「なんでじゃないよ。判るでしょ。みんなが一緒に乗っているのを見て、あたしだって何も感じないことないよ。あたしだって自転車、乗りたいんだよ」

 ゆりの眼には涙が溜まっていた。

「ごめん…ゆり。私無神経だった」

「これからだっていつ乗れるか判らない。なんかさ、人生で一番いい時に無駄な一年以上を過ごすなんて、あたし、何か悪いことした?」

 ゆりから普段は隠れている想いが噴き出した。

「生きてるんだから、それは感謝しなきゃとは思うけど、でもそれでもなんだか惨めで、みんながどんどん楽しく進んじゃって、あたしは未だに送り迎えしてもらわないと学校にだって来られなくて、なんで?なんでなのよ。無駄だった時間返してって思うよ、あたしだって」


琴は胸を突かれた。そうだった。私は、ゆりの気持ちも汲まず調子に乗り過ぎてる。でも、と琴は思った。この状況はまだ続くのだ。退院してやれやれだった頃から半年、今が第2コーナーなのかも知れない。ゆりは明るくて気丈で弱音吐かなくて勉強もできて、いつも私の先生だったけど、それでも同い年の友達なんだ。友達なんだよ。だから…可哀想だけで済ましちゃいけない。私は観客じゃない。一緒に走ってるんだって判らせないと。琴の心は躊躇を蹴飛ばした。


でもさ、琴は言った。


「私だけ乗って申し訳ないとは思う。でもさ、この一年は本当に無駄だった? 私はそうは思わない。ゆりにしか判らない宝石のような時間があったんじゃないかって時々思うの。それにそれはゆりだけじゃなくって、お小夜やワッフルに来るみんなが少しずつ違う形だけど、それぞれが持ったんじゃないかって。勿論、私もだよ。ゆりが助かったから言えることだけど、ゆりのお蔭で得られた暖かくてきれいなものがあったって思うの。もひとつさ、ゆりのお医者さんも、友達の孫だからってのもあったと思うけど、それ以上に『自転車乗ってるゆりだから助けなきゃ』って一所懸命やってくれたって聞いたし、新しいお薬が間に合って、それもゆりの所に届くようになったのも、これはもうキセキの連鎖にしか思えない。大勢の気持ちがみんな『ゆりを助ける』ことに集中してできた事だと思う。一年は無駄じゃなかったし、これから一年もあっという間だよ。来年は受験だけど、そのまた一年後はきっと『あの時は大変だったよねー、でも結局良かったね』って笑ってると思う。だからゆりも頑張って欲しい」


琴は一気に言い放った。ゆりの眼は無表情で、どこを見ているのか判らなかったけど。その日はビアンキの車椅子を押しながら、琴もゆりも無言だった。

 

自宅に戻ったゆりは塞ぎ込んだ。コトの言ってることは正しい。あたしがいじけてる。みんなはあたしのために時間を使ってくれた。それはよく判っている。よく判っているのか?ゆりは自問する。杖をついて玄関に行ってみた。夏休みにコトは来てくれたな。あたし、ひどい事言っちゃったけど。コトは成長したよな。あたしはどうなんだろ。まだ判らない。

 

置いたままのビアンキ。カワセミ号も走りたいに違いない。一年近く放りっぱなしなんて。そしてこれからだっていつ走れるか判らない。エメラルドグリーンのフレームを撫でながら、いろんな想いやいろんな人の顔が錯綜する。やがてゆりは決意した。あたしはともかく、カワセミ号には走らせる。

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