第16話 ゆりの入院

 夏休みに入り、琴にはゆりの情報が入らなくなっていた。ゆりとのLINEは未読のまま、4組LINEも空っぽ。それに、そもそも琴はゆりの家を知らない事に気付いたのだ。そうだ、コウヘイさんに聞いてみよ。


 琴は普段着ですずらん号に乗ってショップに出掛けた。


「コウヘイさん、ゆりの家って知ってる?」

「そりゃ知ってますよ。たまに大先輩の命令で出張修理に行きますから」


 コウヘイさんは快く教えてくれた。


「でも、ゆりちゃん、具合悪いんだってね。大先輩も落ち込んでたから。何か判ったら教えて下さい」


 琴は癌の事は言い出せなかった。


 そのまま琴はすずらん号で教えてもらった住所に走った。ゆりの家は琴の家から1キロ位の住宅地にあった。


 ♪ピンポン


「はい?」

「あのう、麻影琴と言います。ゆりさんはいらっしゃいますか」

「ああ、この間送ってくれた麻影さん?ちょっと待ってね」


 すぐに玄関のドアが開き、頭にニット帽を被ったゆりが出てきた。


「ごめん、あんまり歩けないからここでもいい?」


 玄関の中の横に小さなテーブルと椅子があった。


 わざわざ有難うね、ゆりのお母さんが麦茶を持ってきてくれる。


「すみません。急にお邪魔して。すぐに帰りますので」

「髪が抜けちゃって、このザマなの。暑いんだけど見たくないから被ってる」

「うん、そうなんだ」

「もうすぐ手術なの。腫瘍になってる足の骨を削るんだって。もしかしたら切断かも知れない」


「え?そんな…」

「何だかこの頃みんなどうなってもいいって気がして。カワセミ号も見たくないんだ。歩きさえできないし」

「大丈夫だよ、きっと治るし、また走れるよ」 


 琴は戸惑いながら慰めてみた。


「コト、きれいごと言わなくっていいよ。転移してたら先が短いんだよ。お先真っ暗だよ」


 自棄気味にゆりが言った。


「4組のみんなは、ゆりを助けようって、お小夜が言ってたよ」

「だって、助けられないじゃない。だったら腫瘍を今取ってよ」


 ゆりはこみ上げて後ろ向いた。


「コト、今日は帰って。辛いから」


 琴は暗い気持ちで、ゆりの家を後にした。


 どうしたら…いいんだろ。足が治るかどうか、命が助かるかどうか、確かに私は無力だ。何もできやしない。 


 夜になり、琴の父が帰宅した。都合の良い事に、琴パパは製薬会社に勤めているのだ。


「パパ、パパの会社で骨の腫瘍に効く薬ってないの?」

「うーん、パパはコンピュータの仕事だから詳しくは判らないけど、腫瘍の新薬の臨床試験始めるって聞いた気がする」

「ふうん。でもパパがその薬を持って帰るってできないよね」

「そりゃそうだよ、そこら辺にある訳じゃないし。急にどうしたの?」

「ううん、何でもない」 


 琴はそれ以上言えなかった。


 翌晩、気になっていたのか、会社から帰った琴パパはこう切り出した。


「琴、やっぱり会社で新薬の試験始めたみたいだよ。それもここの医大で使うんだって。でもなんで?」


 事情を聴いた琴パパは、もう少し聞いてみると言ってくれた。


「で、ゆりちゃんは県立病院に入院なんだよね」


 さらに翌晩、琴パパはニュースを持って帰って来た。


「ちょっとびっくりしたよ。臨床試験やるっていう医大の先生が、県立にも行ってるんだって。もしかしたら、そのゆりちゃんって子に投薬するかもしれないよ。高校生にって営業が聞いて来たんだ。その高校生は比較的軽いみたいだけど、個人情報だからゆりちゃんかどうかまでは判らない。でも、なんか偶然というより必然を感じるな」

「何人もの高校生が骨肉腫で県立病院に入院してるって事ないよね。きっとゆりだよ」

「そうだといいなあ。副作用とかなく上手くいくかな。ウチの薬だと何か責任感じるわ。琴と同い年だと尚更考えちゃう」


 神妙な顔の父を見ながら、それでも琴はもしかしたらって小さな希望が湧いてくるのを感じていた。


 翌週からゆりは入院した。腫瘍部分を切断し、他の骨をつぎ足す大手術だった。手術は無事に成功し、その後投薬治療が暫く続くという。琴パパは間接的にそれを聞いてきて、琴に伝えてくれた。


 ほんの少し気が楽になった琴は、すずらん号に乗って、以前にゆりと行った広陵町 のカフェ・ワッフルに行ってみた。


♪チョリーン


「こんにちは」

「あらー、琴ちゃん。一人で来てくれたんだ」


 ヨシノさんは覚えていてくれた。


「はい、ゆりの分も食べに来ました。今度はパンケーキ」


 はいよ、パンケーキ大盛りね、カウンターの向こうでマスターが笑って言った。


「ゆり、手術だったんです。上手く行ったみたいだけど」


 ヨシノさんもゆりの状況は知っていた。


「私のお父さんは、もしかしたら新しい薬をゆりに投薬しているかもって言ってました」

「え? 琴ちゃんのお父さんってお医者さんなの?」

「ううん、薬の会社でSEやってるので聞いて来たんです」

「あ、そうなんだ。ゆりちゃん、きっと大丈夫だよ。羽田さんってね、あ、ゆりちゃんのお爺ちゃんね、医大の先生と高校の同級生で、その先生も自転車に乗るんだって。だから、助けなきゃって頑張ってくれてるみたい。羽田さんが言ってた。だからきっとその新しいお薬をゆりちゃんに処方するんだよ」

「えー?なんて巡り会わせなんだ。みんな自転車で繋がってる!絶対ゆりは大丈夫だ!」


 琴は思わず叫んでしまった。


♪チョリーン  お客さんが入って来た。


「あ、コウヘイ。琴ちゃん来てるよ」


 ショップのコウヘイさんがサイクルジャージで入って来た。


「判ってますよ。絶品のルイガノが置いてあったから。琴ちゃん、きれいに乗ってくれて有難うね」

「今、琴ちゃんとゆりちゃんの話をしてたとこなの」

「そうなんですか。僕も羽田大先輩から聞きましたよ。手術、上手くいったみたいですね。彼女のことだからリハビリだってすぐにクリアして、元気に走るようになりますよ。暫くは形の違う2輪だけどねえ」

「え?そんな自転車もあるんですか?」


 琴はきょとんとした。


「いや、厳密には4輪かな。車椅子のことですよ、ホイルチェア。僕が車に載せて、ここに通いますよ。マスターも大サービスの筈だから、僕もラッキーしちゃう」

「コウヘイはダメよ。特別料金もらいます」

「えー?名前の通り、コウヘイにお願いしますよ、ヨシノさん」


 みんなが笑った。


 ヨシノさんやマスター、コウへイさんたちみんなで ゆりを包み込んでいる。きっとゆりは大丈夫だ。琴の眼の奥に暖かいものが滲んだ。


「きっとゆりは良くなると思います。だって、みんながこんなにゆりの事を想って、包み込んで祈ってるの、神様が知らない筈ないもん」


 琴は言った。カウンターの奥でマスターが返す。


「そうだよ、この店の名前はみんなを包み込むからワッフルって言うんだよ」

「そうなんですか?でも包まないワッフルもありますよね」コウヘイさんが言った。

「コウヘイは包まないけど可愛いゆりちゃんは包むんだよ」

「えー?特別料金取られる上に包んでもらえないなんて、ほんとコウヘイじゃないよお」


 琴は笑ってしまった。ゆりも早くここに戻っておいで。

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