第20話 嵐山へ
琴とゆりは二年生になった。春水高校では二年から進学希望によってクラスが分かれる。琴は文科系国立コースの5組、ゆりは理科系国立コースの1組になった。まだ車椅子が主のゆりだったが、2年1組はギリギリ一階だったので通学は以前と変わらなかった。
「どう?新しいクラス」
ビアンキ車椅子を押しながら琴は聞いた。
「うん、女子少ないんだ。女子の多い学校なのに、理系志望少ないって、ちょっと遅れてるんじゃないウチの高校」
「みんなおっとりしてるからねえ。まだ実感もわいてないだろうし。私はお小夜と同じになったよ」
「あ、そうか。あの子も結構できるんだよ」
「そうなんだ。みんな偉いなあ。あれ、お母さんまだだねえ」
ゆりんちの空色の車はまだ来ていなかった。
「桜、きれいだねえ」
風がひと掴み、二人の上に花びらを舞い散らす。
「うん、今年の桜は見れないかと思ってた」
「見れて良かった。そうそう、ゆりに聞きたかったんだけど、お爺ちゃんちに行くのにヨシノさんとか付いてきてもらえるかなあ」
「大丈夫と思うよ。でもヨシノさんもお泊りなの?」
「ううん、コウヘイさんにもお願いしようかなって思ってるから日帰りになる」
「あー、だったら百キロコースだな。二人は大丈夫だけど、問題はコトだよ」
「やっぱ、そっかー。でもなあ、一年経ったら爺様に見せるって決めてたからなあ」
「じゃあ、その前に嵐山とか行ったら?」
「嵐山? あのサイクリングロードの果てのとこ?」
「うん。往復で百キロ少しだから丁度いい練習になるよ。きれいな所だし」
「ふーん、じゃ、ヨシノさんに相談してみる」
「うん、でもあの二人、確実に怪しいから、あんまり刺激しないようにね」
「え?やっぱそうなんだ。どうしよう」
「普段通りだよ、普段通り。あ、車来た」
桜色のトンネルの中、空色のハッチバックがやって来た。
+++
♪チョリーン
「いらっしゃい、琴ちゃん」
「こんにちは。今日はご相談があります。でもその前にチョコバナナクレープとホットオレ下さい」
「はいはい、聞こえてるよー」カウンターでマスターが笑った。
「相談はそっちでね」
「で、なんでしょう?ご相談」
「あのね、私の爺様のこと、前に話したでしょ。爺様の所まで走ってゆきたいんだけど、日帰りだと百キロになるんだよ」
「あー、瀬田って言ってたわね」
「うん、それでゆりに相談したら、百キロの練習に嵐山行ったらって。ヨシノさんに相談してみって」
「あーなるほど。楽勝の相談ね。いつでも行くよ」
「それにね、コウヘイさんもどうかなって」
「え?コウヘイも?」
「うん、故障対策。って言ったら悪いけど、百キロなんて初めてだからちょっと不安かなって」
「はは、保険だね。いいんじゃない。喜ぶよ彼は。じゃ、今度の日曜に行こう」
「わお、有難う」
次の日曜日、三人は木津川サイクリングロードを走っていた。御幸橋を過ぎると
「ここから未体験ゾーンだあ」
「まだ、半分位ですよ」
今日はコウヘイさんが最後尾だ。ヨシノさんのハンドサインが出る。
「ここで休憩。車多いから気をつけて」
「わー、凄い人」
御幸橋の先の公園は桜の名所でもあるので、この季節はごった返すのだ。
「琴ちゃん、これから先は桂川沿いを走るけど、意外とママチャリ多いから、追越しに気をつけてね」
「はーい、サイン見てます」
サイクリングロードは走り易く、ずっと先に山々が見える。時々川べりに降りて、また上がって、交差する道路や線路を躱す。良い季節なので走っている自転車も多かった。
鴨川と桂川の分岐点近くで再度休憩し、橋を渡って右折、気持ちの良い道が続く。
新幹線のガードを潜って暫く走るとヨシノさんのハンドサインが左折を示した。次いでブレーキングのサイン。見ると前方から陸上選手らしき若き女性軍団がやって来る。スピードを落としながらヨシノさんが言った。
「アパレルメーカーの陸上部だよ。強豪なんだよね」
さすがは体育大卒、詳しい。
ピンクのお揃いジャージの彼女たちは、まるで雌鹿のようにしなやかに見えた。
「はー、カッコいいんだ」
琴は感心した。
「次の直角カーブ、砂がたくさんだから慎重に曲がってね」
グラウンドから飛んでくるのか路面は砂だらけ。スリップして転倒しかねない。琴はスピードを落とし、少年野球小僧の中をカーブした。サイクリングロードは畑の中に入ってゆき、やがて一般道の橋を渡り、ぐるっと回ってまた畑の中へ。今後は桂川の西側を走る。
「ここまで来ると、もうすぐって感じですねえ」
後ろでコウヘイさんがのんびり叫ぶ。道は一般道に出て、また専用道に出て、バーベキューの香りが充満する河川敷公園を通って、いよいよ嵐山に入った。
中之島と呼ばれる中州に渡る橋の手前でサイクリングロードは終わっていた。終点に[京都八幡木津自転車道 起点]の標識が立っている。
「あー、着いたあー」
「お疲れ、琴ちゃん、ついに嵐山到達ねー」ヨシノさんは余裕の微笑み。
「んー、でも思ったより平気みたい」
「坂がないですからね」コウヘイさんもサングラスを外して眩しそうに川を見る。
「じゃ、オムスビ行こうか?」
「オムスビ?」
「この近くにね、ヘルシーで可愛いランチのお店があるの」
「シャワーがあるとこですかね」
「そうそう、サイクリストやランナーに優しいお店。ウチもそうなりたいんだけど」
「マスター、五右衛門風呂ならって言いそうです」
「何言ってんのよコウヘイは。意味わからんし」
琴はゆりの忠告通り、なるべくそっとしておいた。自然体自然体…。
お昼を済ませた三人は、渡月橋まで行ってみた。橋には人が鈴なりになっている。
「とてもじゃないけど自転車で走ろうとは思わないわね」
「危ないですから、嵐山見物は時期をずらした方が良さそうです」
「でも、きれいねー、さすがは世界の観光地」
琴は少し、後ろ髪を引かれたが、あの人混みを見るととても観光ポタリングとは言い出せず、再びサイクリングロードに乗り出した。行きの経路を全く逆に走るだけで、帰りは少し早く感じる。桂川から木津川沿いを経て、いつもの集合場所に帰って来た時にはもう陽がすっかり傾いていた。
「あー、足が大変」
琴はうめいた。
「いや、でもよく走りましたね。これだけ走れたら大丈夫ですよ。どこでも行けます」
コウヘイさんは太鼓判を押してくれたけど、やはり百キロはきつかった。
「足のストレッチ、今日はちゃんとしておいてね。明日随分違うから」
「はい、有難うございました。達成感はあるけど今は足が痛い」
「ま、若いからすぐに戻りますよ。じゃ、気をつけて帰って下さいね」
「有難うございました」
「じゃね」
ヨシノさんはまだ広陵町まで走るんだ。凄いなあと感心しながら琴はマンションへの坂道を登った。すずらん号もお疲れ様。でもこれで爺様んちまで行けそうだ。駐輪場で琴はすずらん号のハンドルを撫で、サドルを撫でて階段を上がった。
「ただいま~」
ヨロヨロと琴は玄関を開けた。
「あーお帰りー。あらあらこれはしんどそうだ」
「うん、強烈だ。でも百キロ走ったよー」
「へえ、凄いねえ。ウチの琴とは思えない」
「んー、お風呂入るー」
「はいはい、そうなると思ったからもうお風呂入ってるよ」
「ありがたやー、いいお母さんだ」
「そうよ、毎日感謝なさい」
「んー、取り敢えず今日は感謝するう」
琴の百キロは達成された。ワンステップ昇格!次はいよいよ爺様んところだ。心の中で温めていたびっくり箱が遂に孵化する。またヨシノさんに連絡しなきゃ。
えーもう?とか言われそうだけど、一年前から決めてたことだ。一気に走ってしまいたい。琴のやる気は盛り上がって、その夜はなかなか寝付かれなかった。
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