第19話 コウヘイさんの恋
ヨーロッパ娘とアメリカンの恋は成就するのか…
コウヘイさんは妙な気持ちを抑えきれずにいた。もうすぐバレンタインデイを迎える街は、寒い中に期待のチョコの香りが漂っている気がする。
ヨーロッパ娘はデローザのロードバイク・IDOL。ブラックのダウンチューブにピンク、ブラック、ホワイトのラインが織り交ざったトップチューブとフォーク。DE ROSAのロゴの中にはシンボルマークの真っ赤なハート。ヨシノさんに似て、きりっとした中に優しさが伺えるバイクだ。本当によく似合ってるよなあ。デローザをスリムなスポーツレディが駈るのはまるで一枚の絵のようだった。それを守るのはオレのS-WORKS。ブラック&レッドの、まるでレースのために生まれてきたかのようなハードなバイクだ。いい組み合わせだと思わないか?
コウヘイさんはショップの空気入れに語りかけた。ま、おまえに聞いても判らんわな。自分でも中学生みたいだと思うけど、初詣ライドでヨシノさんがデローサを走らせるのを目の当たりにして、どうやらオレはいわゆる[fall in love]状態になってるようだ。彼女だってきっとオレに悪い感じは持っていない。だけど焦っちゃいけない。何しろ彼女はオレより年上、安く見られてはいけないのだ。水中深く潜行し、ある地点でドバッと吹き上げる!
「おまえ、何してんの?」
店長が言った。
「うぇっ?」
コウヘイさんは聖火のように突きだしたレンチを見上げ、おずおずと戻した。
「すみません…」
「危ねえぞ、いきなり振り上げたらよ」
「はい。気を付けます…」
何やってんだオレは。本当に中学生じゃんか。
コウヘイさんの悩みなんぞはどこ吹く風でバレンタインデイが過ぎ、スーパーのチョコ売場は素早くホワイトデイ仕様に変わっていた。
コウヘイさんは時々ゆりとビアンキ車椅子を載せてカフェ・ワッフルにやって来る。ゆりが勉強している間、自転車雑誌を見たり、ゆりの勉強をのぞき込んだり、うろうろしてヨシノさんに怒られたりしていた。それはまるで、動物園のクマさんのようだった。
それがある日、コウヘイさんは一人でやって来た。勿論、S-WORKSシンザン号に乗って走ってきたのだ。
「あら、コウヘイ、今日は一人?」
ヨシノさんが怪訝な顔をした。
「そうです。僕だって一人で走る事ありますよ」
「ふーん。今日マスターいないからさ、あんまり難しいメニュー出せないけどいい?」
勿論コウヘイさんはマスターの留守を知って走ってきたのだ。
「ぜーんぜん。サンドウィッチとホットでお願いします」
「はいはい、ちょっと待っててね」
雑誌を読みながらサンドウィッチを頬張るコウヘイさんを見て、ヨシノさんは微弱な電気を感じていた。
「ね、今日、何なの?」
コウヘイさんは同じページばかり見ていた雑誌から目を離しコーヒーを飲み干すと、自分ではきっぱりとしたつもりの顔をヨシノさんに向けた。
「あ、あの、ヨシノさん、折り入ってお願いがあります」
弱いながらオーラが出ている。
「ボクと、ちゅきあってもらえませんか?」
少々噛んだにせよ、コウヘイさんは言い切った。オトコ・コウヘイ、今日のコウヘイは違うのだ。
「ん?それって私に言ってるの?」
ヨシノさんも弱いオーラに打たれて半歩後退していた。案外似た者同士なのかもしれない。
「もちろん、もちろん。あ、今答えなくていいです。ゆっくり考えてもらって、また聞きにきます。今日はこれで、お代はここで」
コウヘイさんはそのまま後ずさりしてシンザン号に飛び乗って帰った。
ヨシノさんは、残されたコーヒーカップとお皿を眺め、ふーっと溜息をついた。少しびっくりしたけど、悪くはないけど、そんな予感もしてたけど、でもどうしよう。ここで決めたらきっと一生ものだし。考えなきゃ。悩めヨシノ。人生の発射台だ。
翌日、羽田大先輩に送ってもらってゆりがやって来た。
「あ、いらっしゃい、ゆりちゃん今日は早いね」
「うん、もうテスト終わっちゃって、卒業式とかあるから半日なんだ」
ゆりはすっかり慣れた車椅子でクイックターンを決めて席に着いた。
「あ、どうする?ホットオレ?」
「うん、オレとケーキとかある?」
「ええっと、うん、チョコとチーズケーキあるよ。レアだけど」
「じゃあ、チーズケーキも」
マスターは2階に上がっているようで、ヨシノさんがカウンターに入って作っている。なんか、変?ゆりはヨシノさんの顔を伺った。
「はい、お待ちどうさま」
「あれ、これチョコだけど」
「そっか、チーズだっけ」
「うん、ねえヨシノさん。どうかしたの?」
「え?私、変に見える?」
「見える見える。いつもより半オクターブ低い感じ」
「ゆりちゃんには敵わないな」
「何かあった?」
「んー、言っていいのかな。秘密だよ。お父さんに知られると大変だから。ある人に付きあってって言われたの。それで悩んでる」
ゆりはピーンと来た。
「それってコウヘイさん?」
「なんで判るの?」
「それしか考えられないもん。コトもなんか空気が変だったって言ってたよ、お正月のライドで」
「え?そうかな?その時は何にも感じてなかったけどな」
「ヨシノさんじゃなくってコウヘイさんの方だよ。言葉がちょっと上滑りって言ってた」
「ええ?コトちゃんも?意外だなあ」
「でもさ、ヨシノさん、迷ってるっていうか、決めたくないんでしょ?」
「ううむ、ゆりちゃん、高一なのに卓見だねえ」
「女は安売りしちゃいけないのよ」
え? ヨシノさんはゆりの顔をまじまじと見た。
「ゆりちゃん 実は大人?」
「生死の境を彷徨ったら体得できたのよ」
ゆりはしれっと言った。
「なるほど、すぐ決めなくていいんだ」
ヨシノさんは、ゆりの言葉を聞いて、暫くペンディングを決めた。
「だよね」
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