第23話 神様は……

 七色にくるくると色を変える光をまとったナッシー。その姿は光の中で朧に揺れてよく見えないのだが、何度も深呼吸する音が聞こえてくる。そして何度も、あの、そのと繰り返してから、いつもより少し低い声で、ゆっくりゆっくりと語り始めたのだ。


『わしは初め、キラキラと光る小さな水滴の中にいたのじゃ。そのうちに、だんだん周りが明るくなって……清浄な空気と微細な水の粒が歌い始めて……まぶしいほどの日の光を浴びるうちに、なんだか楽しくなってきてわしも歌い始めて……。あまりに心地よくて心が弾んで歌に酔いしれて……この気持ちを表したくて、わしは夢中になって日の光に色をつけていったのじゃ。楽しくてたまらなかった。わしを見つめる数多の人間の瞳に、七色の橋がかかっているのが見えて、とても嬉しかった……』


 七海の心臓がドクドクと鳴って、ちょっと息が苦しくなるほどだった。ナッシーが語る光景が、目の前に広がってゆく気がする。

 ついにナッシーは見つけたのだ。

 光は徐々に収まってゆき、ナッシーの姿が再び七海たちの前に現れた。


「……ナッシーは虹の神様……なの?」


 ナッシーはにっこりと笑って、でもまた涙をぽろりと流し、コクリと頷いた。

 前より少し背が伸びた姿で。

 前より少し頬が引き締まった顔で。

 幼稚園の年少児の様だったナッシーは、入学したての小学生くらいの姿になっていた。

 探していたものがやっと見つかった。ミィさんの置き土産が、ナッシーの記憶を呼び覚ましてくれたのかもしれない。

 七海と翔太はワッと歓声を上げていた。


「やったな、ナッシー!」

「すごい! 虹だったんだね。ナッシーは虹の神様だったんだ! 良かったね、思い出せて本当に良かったね」


 七海はしゃがんでナッシーを見つめた。後から後から溢れてくる涙をそっと拭いてあげた。翔太もナッシーを囲むようにしゃがんで、くしゃくしゃと髪をかき混ぜるようにして撫でる。目を細めて優しく笑っていた。


「そんなに泣くことねーだろ」

「いいじゃない。うれし涙よ。ね、ナッシー」

『ん……わしもよく分らんのじゃが、涙がとまらんのじゃ。胸が熱いのじゃ』


 七海も目がじんと熱くなってきた。ナッシーはやっと思い出すことができたのだ。彼は虹の神様だった。姿が成長したということは、力が戻ってきたということなのだから。

 本当に良かったと、心から思った。

 きっとナッシーもホッとして、涙が止まらなくなったのだろう。七海はよしよしと軽くハグして、良かったねと何度も呟くのだった。

 翔太は立ち上がり腕を組んで空を眺めた。


「虹か……。なるほどなぁ……雨の後に出るもんな。確かに水がらみか、全然思いつかなかったけど。……あ、そういえばさっき、七海だったのか、とか言ってたのは、何?」


 尋ねると、ナッシーはうんうんと頷いた。


『そうなのじゃ。七海だったのじゃ。わしが懐かしいと感じていたのは』

「え? 何? 私?」


 ナッシーは目をウルウルさせて、七海を見つめる。その瞳はなんだか熱っぽくて、簡単に言葉にできない程の思いが込められているようで、七海は受け止めきれずにオロオロと視線を揺らしてしまった。





 ナッシーを真ん中にして、七海と翔太は東屋のベンチに腰掛けた。まだ興奮冷めやらず、何かと質問したくなるのだが、まずはナッシーに自分のペースで話してもらうことにした。


 ナッシーはこの町に来たとき、なんとも言えない懐かしさを感じたのだと言う。

 どこが、何が懐かしいのは分からない。でも強くひきつけられて、ここが帰るべき場所であればよいのにと願うほどだったと。

 台風前日に、自分は水に関りのある神だとナッシーはようやく確信した。ミィさんを頭から疑っていたわけではないのだが、実を言うと今一つピンときていなかったらしいのだ。

 それまで、雨を予知できることはナッシーにとって当たり前のことで、当たったかどうか確認するまでもなく、気にもとめていなかった。だが、水に関わる者になりきって考えたみた時に、やっとそれが自分の能力の一つなのだと気付けたのだ。

 居場所を見つけた鼻くそ太郎が羨ましくて切なくて、このまま名無しのままずるずると七海の部屋に居てもいいのだろうかと、彼なりに真剣に思い悩んだ結果、閃くように確信したのだそうだ。


 それから、その時もう一つ気付いたことがあった。話が逸れたせいで、何を言いかけていたのか頭から飛んでしまっていたが、今はそれも思い出したらしい。

 とても高い所にいたような気がする。そう言おうとしていたのだと。

 確かに、虹ならば高い所にいたというのは合点のいく話だ。

 もしもあの時、雨が予知できると言った後にこれを口にしていたら、自分でも雨の神だと思い込んでしまったかもしれない。真実に近いところまできたとはいえ、それは誤りなのだから、決して名前を思い出せはしない。頭から抜けて丁度良かった、とナッシーは笑う。

 話の腰を折った上に、雨の神説を全否定してくれてありがとうと、ナッシーは七海に向かってニヤリと小憎たらしく笑うのだった。


 その上で、七海の直感力を褒めるのだった。

 切っても切れない縁で結ばれているからこそ、七海は間違いを正すことができたと。そして、その切れない縁が何であるのか、今はっきり分ったのだと言うのだ。


『七海は真実わしの巫女だったのじゃ。わしを大切に祀り崇めてくれた巫女の生まれ変わりなのじゃ』

「え、ええ? 生まれ変わりって……。巫女の? 私が? 」

『ナズナ。その巫女の名はナズナで、そなたはわしの巫女じゃった女の生まれ変わりじゃ。間違いない。ついさっきまでは、何の気なしにそなたをわしの巫女じゃと言うておったのじゃが、無意識のうちに真実にたどり着いていたのじゃなぁ……』


 七海は目をぱちくりさせて、ナッシーを見つめた。なんだか信じられないが、ふと縁は巡ってきてるじゃないかという翔太の言葉を思い出し、ドキリとする。

 これが七海とナッシーを繋いでいた縁なのかと。


『虹を見たそなたから、なんとも甘い良い香りがして……。そう、虹を見た途端にじゃ。一面に咲き乱れた花の香のようで、目眩がするほど香しくて……。今も、そなたの香りにわしはクラクラと酔っている……。懐かしいと感じていたのはこの町ではのうて、そなただったのじゃ、ナズナ……いや七海じゃったな』


 思わず、自分の腕をクンクン嗅いでみる七海だった。でも、全く花の匂いなんて感じない。神様の嗅覚と人間とはかなり違うらしい。

 ナッシー自身の閃きやミィさんの言葉もヒントになったし、なにより虹を見上げた時の七海から発せられた懐かしい香りが、記憶の一部を蘇らせてくれたと言うのだ。

 微笑みながら涙を流していた。やっと会えたと唇を震わせて。姿はまだまだ子どもだけど、それでも前より大きくなったナッシーは、まるで大人のような表情で七海を見つめる。


『ああ、会いたかった。再びそなたに会う為に、わしは彷徨い歩いていたのかもしれんなあ。名前ではのうて、そなたを探して……。あの猫又と同じだったというわけじゃ。……やっと見つけた。わしは虹から生まれた神じゃと分ったし、再びそなたに巡り合えて、わしは幸せじゃ。そなたがわしの帰る場所だったのじゃ』


 まるであの日の太郎の台詞の様だった。穏やかで、でも少し切なげで。

 七海には、本当に自分がナッシーの巫女だったナズナの生まれ変わりなのかなんて分りはしない。でも、一瞬にして成長したナッシーの言葉は重い。そんなバカなで片付けられる話ではなかった。

 それに、自分と再び会えて幸せだとか、ナッシーの帰る場所だとか言われて、ドキドキしてしまっている。なんだか聞きようによっては、恋の告白のようにも受け取れるではないかと。この所、いやにベタベタとして来てたから、ヘンに意識してしまう七海だった。


――いや、ナッシーは神様だし、巫女って言ったんであって、彼女って言ったんじゃないから……


 ゴホンゴホンと咳をして、それから質問した。


「わ、私、本当に巫女の生まれ変わりなの? でも、なんか全然わかんないんだけど」

『そなたはナズナじゃ。ナズナじゃから、わしを見ることができて、わしに思い出させることができたのじゃ』


 確かに、そう言われれば理屈としては納得できてしまう。巫女の生まれ変わりだから、初めからナッシーを見ることができたのだと。

 だが、そうはいっても七海には実感がわかない。なんだか他人事のようにそういうこともあるかもしれない、などと微妙に頷くのだった。


『虹なんぞ今までに何度も見たが、ちーとも閃いたりせんかったし何とも思わんかった。虹はただ虹じゃった。今だってこの虹が特別な訳ではなく、そなたが側にいたから思い出せたのじゃ。そなたはナズナじゃ』

「まあ、俺らには確かめようもないことだけどな。お前が嘘を言ってるとは思わねえよ」


 翔太の言う通り、確かめようがない。そして嘘だとも思えない。

 七海には全く自覚のない話だし、落ち着かない気分になるのだが、もう一度小さく頷いて一応受け入れることした。

 そしてナッシーに質問してみるのだった。肝心のことを、まだナッシーは話していないのだから。


「じゃあさ、私の前世の名前が分るくらいなんだから、自分の名前も思いだしたんだよね? まさか虹の神っていうのが名前じゃないでしょ? ナントカノミコトとかっていう感じの名前なの? 祀られてた社の場所とか思いだした?」

『…………ん、んん? わ、わ、わし、の名前……? 場所?』

「え? 何、その嫌な反応は……」


 ムムッと七海の眉間に皺がよる。

 ナッシーは出会った時より成長したにはしたが、まだ小学一年生くらいだ。彼の話だと、記憶喪失になった時は大人だったというのだから、完全に元に戻っているわけではないのだ。ということは……。


『…………そ、そ、それは……』

「それは?」

『分らん……』


――やっぱりか……。


『はっはっはっは!! じゃが、よいのじゃ! わしは充分満足なのじゃ! またナズナと、いや七海と会えたし、虹の神じゃったと分かったしの!』


 なんだかわざとらしいくらい、明るくワハハと笑うナッシーだった。

 七海と翔太も、顔を見合わせてプッと噴き出した。

 肝心な自分の名前は思い出せていないのに、先に巫女の名前を思い出しちゃうなんて笑うしかない。なんだかナッシーらしくて、返って安心してしまう。

 でも、きっともうすぐ全てを思い出せる、と希望も見えてきた。

 空にかかる虹の橋を見上げて、何はともあれ良かったと三人は笑い合うのだった。


『ミィの直感は当たっておったのじゃなあ……。わしをみて自分の眷属ではないかと言っておったが、まさに竜つながりじゃ』

「竜つながり?」

『昔、虹は天の蛇とか竜とか言われておったのじゃ』

「へえ……」


 そういえば、そんな話も聞いたことがあったような気がする。漢字の「虹」の虫偏は蛇を表しているとか。七海には全く蛇のようには見えず不思議に思ったものだ。

 その後三人は静かに虹を眺めた。

 七海は七色の竜がむっくりと顔を持ち上げて、自由に大空を飛び回ってゆく姿を夢想し、なんて素敵なんだろうと頬をほころばせた。


 あの夏祭りの日、名なし神様との不思議な出会いは、千年の時を越えた深い縁で結ばれていたせいだった。ナッシーに呆れたり怒ったりしながらも、放っておけず何とかしてあげなきゃ、助けてあげなきゃと思ったのは、彼と結ばれていた縁が回り巡ってきたからだったのだろう。七海は巫女の生まれ変わりだというのだから。

 もしも、七海がその前世を思い出せたら、ナッシーの名前も社の場所も分かるのかもしれない。しかしこれは、ナッシーが自分で思い出すより難しい話なのではないかと思う。そもそも七海には前世というものが今一つ理解できないのだし。


 そしてだんだんと虹が薄れてきた。

 七海はふと、虹が消えてしまったらまたナッシーは縮んでしまうのだろうかと不安になり、彼の手を握った。


『ん? どうしたのじゃ?』

「虹が消えたらパワーが弱まっちゃうのかなって思って、ちょっと心配になったの」

『大丈夫じゃ、さっきも言うたろ? あれはただの虹じゃ。わしにパワーをくれたのは七海なのじゃ。虹を見たそなたの感動の心が、わしに力をくれたのじゃ』

「そっか、なら良かった……」


 ぴょんとナッシーは椅子から降り、七海と翔太に向かい合った。

 そして、深々とお辞儀をしたのだった。


『ありがとう。これからもよろしくなのじゃ』

「う、うん」


 七海は頷きながら、クスリと苦笑する。

 この神様は無駄に偉そうに威張るかと思えば、こんな風に簡単に頭を下げてしまう。神様が人間に頭を下げていいのだろうかと今日も思うのだが、きっとこの素直さは彼の美点なのだろう。

 なんともいえない感慨にふける七海だった。


『では、ナッシー神社に帰るとしようかの!』


 花が咲いたように彼は笑う。

 七海の顔にも笑みが咲く。ナッシーが幸せそうに笑うのが、嬉しくてたまらなかった。

 そしてナッシーはポンと手を叩いた。


『そうじゃ、仮名を改名せねばらなん。お札も書き直すとしよう。ふむ、そうじゃの……あめぬじ奈志なし大神のおおかみ(仮) かっこかり といこうかの』

「ぬじ?」

『虹の古き言い方じゃ。呼び名はナッシーのままでよいぞ』


 ふふんと楽しそうに笑うナッシーだった。


『新しい仮名もついた事じゃし、社も改築しようではないか! ナッシー神社の大改装じゃ! 翔太よ、腕を振るう時が来たぞ! ついて参れ!』

「おいおい……」


 翔太が苦笑いしながら立ち上がると、ナッシーはいつものへたくそなスキップで駆けだしていった。

 七海は、頑張ってねと翔太の肩を叩いて笑うのだった。



 虹の消えた空は明るく澄み渡り、水滴の付いた公園の木々がキラキラと輝いている。

 自転車の前かごにナッシーを乗せて、よーいドンで翔太と二人走り出した。水たまりの中を飛沫を上げて勢いよく走っていく。

 夏の日差しはじりじりと暑かったけど、気分は爽快だった。

 ナッシーが元の姿に戻って、自分の社に戻れるのはまだまだ先かもしれない。なんだかんだで振り回されそうな予感もひしひしとする。でも、こんな風に誰かの為に真剣になってみるのも悪くはないなと七海は思った。


「ねえ、ナッシー! ちゃんとご利益ちょうだいよ!」

「あ、俺にもな!」

『名前を取り戻した暁にな!』


 七海は自分で言っておいて、ご利益ってなんだろうとクスリと笑う。欲しいものはもう目の前にあるのだから。

 ナッシーが笑っていたら、それだけで自分も幸せな気分になれるのだと、もう七海は気がついていた。


『天におわす神々よ、とくとご照覧あれ! 我、虹の神! 天翔ける竜なるぞ! 復活の日は近いのじゃ!』


 空を見上げてワハハと、小さな名なしの神様は元気いっぱいに笑うのだった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

名なしの神様 外宮あくと @act-tomiya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ