第16話 神様は過去を引きずる

 気持ちを入れ替えたナッシーは、それからの三日間、七海と翔太と共に町の探索に励んだ。

 川沿いを歩いてみたり、橋を渡ってみたり、マンホールの穴から下水道を覗いてみたり、水道施設やプールに行ってみたり、公園のトイレで水を流してみたり、思いつく限り色々な場所を歩き回り匂いを嗅いでみたのだ。かけた労力に見合う結果は全く出なかったが。

 どこもなんとなく懐かしいし、どこも同じようにピンとこないんだそうだ。

 ダメ元で、家の中でも色々試してみた。トイレにも座ってみたし、湯船につかってみたり、シャワーも浴びてみた。が、やはりこれと言ってピンとくるものは無かったようだ。

 初めは、水関連に絞って探せばいいのだから、きっと何か手がかりくらいは掴めるだろうと意気込んでいたのに、さっぱり成果は上がらなかったのだ。

 ナッシーの嗅覚だよりの捜索は、三日目にして行き詰っていた。




「はあぁぁ……で、一体ナッシーは何者なんだよ……」


 今日も朝から七海の部屋にやってきた翔太は、ごろりと床に寝そべっている。七海お気に入りのクッションを勝手に枕にして、部屋の主よりも当たり前の顔して寛いているのだ。

 その翔太を腕組みをして見下ろすナッシーは『それが分るくらいなら苦労はせんのじゃ』と、相変わらず無駄に偉そうだ。

 七海はと言えば、もうツッコミを入れる気力も無かった。昨日歩きすぎたせいで、足の筋肉痛が辛くてたまらない。クッションを取り返す元気もない。

 流石に三人とも疲れて、今日は一日ゆっくりしようということになったのだ。というか、そろそろ作戦を考え直さなければいけないだろう。


「ねえ、明日でもミィさんとこ、行ってみる?」

「そだな」


 祠を修理した後、ミィさんと喧嘩して気まずくなってしまったナッシーが、行きたくない会いたくない、お前たちも絶対行くなとうるさくて、この三日お詣りができなかったのだ。

 ナッシーの名前探しに協力して欲しいというのもあるが、ミィさんも神様パワーが弱っていたから、出来るだけ毎日行ってあげようと思っていたのに、あれっきり会っていないので気になっていた。


『ミィなんぞに、助けを求めたところで、大したことは分からんと思うがの!』

「水にまつわる神かもしれないって教えてくれたじゃない」

『そもそも、その話がうさん臭いのじゃ。信用できん』


 ナッシーはべえっと舌をだした。

 まったく、ひどい感謝知らずだと七海はムッとする。段ボール製の巣箱もどきとはいえ翔太が作った社や、お供え物には素直にお礼を言ってくれたナッシーなのに、なぜか同類であるミィさんにはアタリがきついのが不思議でならない。


「ねえ! あのお祭りの時、ナッシーは神社の神様に問答無用って感じで追い払われてたでしょ」

『そうじゃ、アヤツわしの話をろくに聞きもせんで』

「だけど、ミィさんはちゃんと聞いてくれてじゃない! なんで信用できないなんて言うのよ。本当はミィさんが羨ましいだけなんでしょ。自分と同じ名なしかと思ったのに、ミィさんは自分がなんの神様かちゃんと覚えてたから」

『う、うるさい! うるさいうるさい、うるさいのじゃぁー! わしの気も知らんで勝手なことを言うな!』

「……ったく、ガキかよ」


 翔太がうんざりとした顔で言った。翔太も結構疲れているようで、いつもなら怒鳴り返しているところだというのに、ジト目で眺めるばかりだった。

 ナッシーは両手両足をバタバタさせて喚くものだから、本当の幼稚園児みたいだった。年は千歳以上でも、やっぱり姿が若返ると精神年齢も下がるのに違いないと、七海はため息もつく。

 しかし、これだけは言っておかねばならない。


「ねえ、ナッシー。私たち人間に、それもただの中学生に名前探しさせるより、神様のミィさんに協力してもらう方が、絶対良いはずでしょ。ナッシーはなんでミィさんにちゃんとお願いしないのよ!」


 ついに、七海はこの三日間ずっと不満に思っていたことを、言ってやった。ナッシーが自分でお願いしないことには始まらないのだから。

 ナッシーは口をパクパクして、何か言い返したそうにしていたが、不意に横を向いて口を尖らせてしまった。


『……神と名の付くヤツは、誰も助けようとしてくれんのだもん……』


 ナッシーは過去を引きずりまくるタイプらしい。口を尖らせて、ブツブツと愚痴を垂れ流し始めた。

 百年前、どこそこの神はあー言ったこー言った。その数百年前には、なんとかと言う神に、こうこう言われて酷い仕打ちをされた。さらにその前には、と延々と愚痴り続ける。

 ナッシーは、誰も相手にしてくれず助けてくれなかったことを、かなり恨んでいるのだ。

 それにしても、名前を忘れてからの約千年の間のことはよく覚えているのに、どうしてこうも綺麗さっぱり自分のことだけ忘れてしまったのか不思議だ。


――よっぽど悪い事して、一番偉い神様に罰を当てられたんじゃないの?


 落ち込んでいるナッシーに対して、面と向かって言うつもりはないが、ふとそんなことを思ってしまう。記憶喪失になったのは環境に要因があるのかナッシーに要因があるのか、その辺も探った方がいいのかもしれない。


――って言ってもなあ……どうすりゃいいのよ。


『……神なんぞ、自分勝手な奴ばかりなのじゃ!』

 

 まだぶつくさ言っているナッシーだった。

 あんたもその神様の一人なんでしょうが、と七海と翔太は顔を見合わせやれやれとため息をついた。ナッシーに関して言えば、神様は自分勝手というのはズバリその通りだなと思ってしまう。


 そんじゃそろそろ帰ろうかなと、翔太が立ち上がり窓に目を向けた時、外からニャーンと声が聞こえた。道路を挟んだ向かい側にある翔太の家に、鼻くそ太郎が帰ってきたようだ。


「あ、鼻くそ。今日は戻ってくるの早いな……婆ちゃん出かけなかったのかな」


 鼻くそ太郎は、毎日マロンちゃんと仲良く縄張りの定期巡回に出かけるらしい。でも帰ってくるのはバラバラなんだそうだ。鼻くそ太郎は巡回の後、決まってあのお婆さんの所に行くからだ。

 幸子さんに気に入ってもらえたのを良い事に、第二の我が家みたいに上がりこんで、お婆さんの膝の上で昼寝しているらしい。時々おやつも貰っているようだ。

 そして、お婆さんが一人で外出してしまったら、迷子にならないように一緒について行き、それとなく誘導して家まで送り届けるんだという。猫又のくせして、盲導犬や介助犬みたいなことをやっているようなのだ。


「太郎は、なんでそんなにお婆さんのこと気にかけてるんだろうね? 餌を貰ったことがあるからって言ってたけど、本当にそれだけなのかなぁ?」

「まあ、何か企んでるってわけでは無いと思うけどな。理由聞いても答えねぇんだけど。つーか、そんなに婆ちゃんが好きなら、あっちの猫になれってんだ!」


 ムウっと口を歪める翔太だった。

 七海はクスリと笑った。


「ちょっと、焼きもち?」

「違うわ!」

「心配しなくても大丈夫よ、マロンちゃんさえいれば太郎は翔太んちにずっといつくから」

「心配してねぇし、それも気にくわん!」


 ムキッと眉を吊り上げ少し赤くなる翔太だった。

 その翔太を押しのけて、ナッシーがつま先立ちをして窓を外を見た。鼻くそ太郎がまたニャーンと鳴き、翔太の家に入っていくところだった。ただいまの合図だろうか。


『かりそめとは言え、帰る家があってよいの……』


 寂しそうに呟くナッシーを、翔太は首をかしげて見下す。ちらりと七海を見てから、肩をすくめた。


「お前だって、今んとこは帰る家あるじゃねぇか。七海の部屋に居候させてもらってんじゃん」

『ん、ま、そうじゃったの……』

「……あのなあ、本当の家に帰りたいんならさ、あんま意地張ってねぇで、七海が言うようにミィさんにも協力してくれって頼んでみろよ」


 翔太にしてはいつもより優しい口調だった。

 ナッシーはじっと窓の外を見つめたまま、返事をしなかった。鼻くそ太郎とマロンがニャウンニャウンと鳴いている声が微かに聞こえてくる。七海も立ち上がって、ナッシーの隣で翔太の家を眺めた。翔太の部屋の窓際に二匹が現れて、仲良く並んでこっちを見ていた。

 鳴き声に混じって、もう一つの声、七海たち以外には聞こえない猫又の声も聞こえて来た。窓の向こうなのに、太郎の独り言は不思議とはっきり聞き取れた。


『ああ、マロンちゃんと一緒にいられて、お家があって、幸せなのニャン。……本当のお家にはもう帰れないけど……もうミツには会えないけど……』


 太郎の声は、とても穏やかで微笑みながら話しているような感じなのだけど、どこか寂し気な響きもあった。


「ミツって?」

『死んだ元飼い主のことじゃろ』

「ああ、なるほど……」


 昔に戻ることなんてできないと分かっていても、鼻くそ太郎は幸せだった昔を思い出して懐かしんでしまうようだ。

 なんとなくしんみりしてしまう三人だった。


『……婆ちゃんの膝は、懐かしい匂いに似てるんじゃろな、きっと。あやつもずっと帰る場所、いや自分の居場所を探しておったんじゃな。今は翔太の家があやつの居場所か。見つけられて良かったのぉ……』


 ナッシーが小さく呟いた。そして七海たちとは目を合わせずに背を向け、すたすたと本棚に歩いていく。そしてまた社の中に引っ込んでしまった。

 七海の胸がチリッと痛んだ。

 ナッシーは、ここを自分の居場所だとは思ってないのだと、七海は気付いてしまったのだ。居つかれては困ると思っていたはずなのに、ナッシーはこの部屋を安心できる家だとは思っていなかったのだと分かってしまうと、なぜか傷ついてしまう七海だった。

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