第13話 神様はミィさんと語り合う

 祠の土台となっていた岩の上に、ちょこんと竜神が座っている。色白過ぎるというか、皮膚が透けて下の血管や筋肉が見えてしまうような感じで、髪の毛は白っぽい金髪で眉もまつ毛も白くて、瞳が赤い。アルビノのいうヤツかもしれない。

 しかもガリガリにやせ細って、目ばかりがぎょろりとしているので、はっきり言って異相である。

 竜神の乗った石を囲むように七海たちは座り、鼻くそ太郎は少し離れた所から、おっかなびっくり様子を伺っていた。

 七海は竜神の前に、落ちていた盃をきれいに拭いてペットボトルのお茶を注いで置いて上げた。

 竜神の頬がパァッと赤くなる。ナッシーに初めてお水を上げた時のように、嬉しそうに目を輝かせていた。


『ああ……み、水……』


 竜神は、恐る恐るといった感じで、指をちょんとお茶に漬けた。

 この神様がこんなにも小さいのは、ナッシーのように力が弱まっているからだろうから、こうしてお供えをして拝んであげればきっと少しは元気が出てくるだろう。

 嬉しそうな竜神を見ると、七海の頬は緩んだ。


『ぴひゃー! うひょー! 水や! 水や! ひゃはー!』


 竜神はお茶に触れて、いきなり興奮状態になってしまったらしく、石の上でなんだかよく分からない踊りを始めてしまった。

 喜んでくれるのは嬉しいのだが、あまりのはっちゃけぶりに唖然とし、翔太と顔を見合わせてブフッと吹き出してしまった。


『して、そなたは竜神の何と申すのじゃ?』


 竜神の興奮が落ち着くのを見計らって、ナッシーが訪ねた。

 一口に竜神といっても、各地に色んな竜神がいて色んな特性があるわけだが、今ナッシーが質問しているのは、そういう属性ではなくこの小さな神様の個人名みたいなものを訊いているようだ。

 問われて、竜神はカクンと思い切り首をかしげた。眉間に深い皺が刻まれている。


『…………んー、えー、ゴホン。我はこの地の水脈を司りし……』

『それは分かっとる。竜神なら大抵は水がらみじゃろうが。で、名はなんと申す?』


 ナッシーに繰り返し質問されて、小さな白い竜神は嫌そうに眉をしかめた。長い間放っておかれ人から忘れられてしまったせいで、力が弱まり記憶もあやふやなのかもしれない。まるでナッシーと同じだ。

 竜神は自信なさげに呟くのだった。


『た、確か………………ぃさん?』

『竜神と蛇神は同一視されることもあるようじゃの。それはまあ良いとして。巳も固有名詞ではないのではないか?』

『う、うるさいわ! そう呼ばれとったんじゃ!』

『なぁんじゃぁ、自分の名前も覚えとらんのかぁ?』

――あんたがそれを言うのか……


 呆れ顔をするナッシーを、七海と翔太も呆れた顔で見下ろしていた。この竜神は自分が何の神様か覚えているだけ、ナッシーよりマシじゃないかと思う。


『巳ぃさんでええんじゃ! わいはこの土地の水を守る、由緒正しき巳ぃさんじゃ!』

『今はため池も水路も無いし、誰も巳ぃさんなんぞ覚えておらんようじゃがの』


 嫌味なナッシーだった。

 これは多分、ナッシーは何も覚えていないから、自分が何者であるかはっきり認識している竜神が羨ましくてならないのじゃないか、と七海は思う。

 見た目は竜神の方が落ちぶれ感が強いのだが、本当に消えかかり切羽詰まっているのはナッシーの方で、それが分っているからつい意地悪な言い方をしてしまうのかもしれない。だからといって嫌味をいうのは品性がよろしくない。


「やめなよ、ナッシー」

「そうそう、嫉妬なんて見苦しいぞ」


 翔太がゲヘヘと笑った。

 この後、ナッシーがムキになって喚き散らして翔太とケンカになるわ、竜神がナッシーは何者だ、人間のくせに神が見えるお前らは何者だ、邪神の遣いか妖怪かと騒ぎ立てるわ、鼻くそ太郎がもうイヤだ帰りたいと鳴きだすわで大騒ぎになってしまった。

 真夏の雑木林の中で、自分たちは一体何をやってるんだろうと、こんなところを誰かに見つかったら言い訳のしようがない、と七海は遠い目になってしまう。

 しかし、ぐったりしているわけにはいかない。まずは落ち着けと、コンビニで買ってきた飲み物とパンをお供えして、やかましく子どもっぽい二人の神様を必死で宥めたのだった。




 正確な名前が分からないので、取りあえずこの小さな白い神様はミィさんと呼ぶことにした。

 色々とまとめると、ミィさんはどこかの神社から御霊分けされて、この辺りにあったため池と水路の近くで祀られていたらしい。

 湧き水が枯れませんように、田畑が潤いますように、豊作になりますようにと願いを掛けられ、長い年月を経てため池の湧き水の神としてしっかりと根付いていったのだ。

 しかし、時代と共に田畑はどんどんと減ってゆき、ため池もあまり必要とされなくなり、ミィさんの元に訪れる人も減っていった。

 推測通り、学校建設の折にミィさんは今の場所に移されてしまったそうだ。初めはお参りに来る人もいるにはいたが、それもすぐに途絶えることになり、更に学校が拡張されたことで人目から遠ざかり、最近になって雑木林ごとフェンスで囲われてしまい、完全に忘れ去られてしまったのだった。


『だいぶ前のことやけどな……。だんだん田んぼも減るし、ため池もほったらかしやし、わいのこともほったらかし……やっぱそんなん腹立つやん? せやから、わい、ため池の湧き水、枯らしたってん! ちゃんとわいに謝って、もう一回きちんと祀ってくれたら元に戻したろって思とったんや。せやけどな、そん時にはほとんど田んぼ無くなってて、別に誰も困らんかってん。反対に、ホンマにわいのこと祀らんようになってしもて……最悪や。ため池枯らしたん裏目に出てもうたんや。移転させられてからは、マジで一人ぼっちやったし……。また昔みたいに、みんなと一緒に仲良う……いや、もう無理やわなあ……』


 ミィさんはとても寂しそうだった。

 祀られなくなって、余計に意地を張って水源を戻さずにいたせいで、枯れたため池が埋め立てられてしまった。するとどんどん力が弱まってしまったらしい。

 いっそこの場所から離れようかと考えたが、やはり住み慣れた土地を捨てるのは忍びないらしい。それに、無理だと言いつつも、ミィさんは昔のように人々との交流を、もう一度復活させたいとも思っているようなのだ。


 七海のパンのお供え物で、落ち着きを取り戻した二人の神様は、まだ少しむくれながらも大人しく座っている。七海と翔太が、お供えのお下がりを食べ終わるのを待ちながら、ナッシーは一通り自分の事情と、七海や翔太のことを話して聞かせていた。

 突然自分が誰か分からなくなったというくだりでは、ミィさんは腹を抱えて笑い、ナッシーにむぎゅーッと握りつぶされそうになっていた。

 七海には人に非ざる者を見る力があると聞くと、ほうほうと興味深そうに頷いていた。

 不思議な縁で出会ったこのミィさんだが、ナッシーの過去に繋がる情報を何かもっているのだろうか。七海はそっと質問してみる。


「あの、ナッシーはこの町に懐かしい匂いを感じるって言ってるんだけど、ミィさんみたいに、この近くに壊れちゃたりお祀りされてない祠とか神社って他にもありますか?」

『知らんなあ。昔は、よお水路を通って、遠くの田んぼまで様子を見に行ったりしとったけど、もう何十年もここから動いとらんもん。そんな忘れられた神社があるとかないとか、聞いたこともないし……だいたいその阿保の何某なにがしが記憶喪失になったのん、千年前やろ? わい、その頃にはまだここに来とらんもん、知らんわ』

『なぁんじゃ、まだまだひよっこか』

『やかましわぁ!』


 ミィさんがここで祀られ始めたのは、ナッシーの長い放浪の歴史と比べれば、随分最近のことのようだ。

 御霊分けされる前の大元の竜神は、千年よりもっと古い神様かもしれないが、分れられてここに居ついたこの「ミィさん」は、神様としてはまだまだ年若い部類なのかもしれない。幼稚園児みたいな姿のナッシーの方が年上というのは、なんだか不思議だ。

 ナッシーは盃のお茶を飲むフリをしながら、澄まして言った。


『ミィは竜神としての自分をはっきり自覚しておるからの、わしとは違う。名前を失くしたのではのうて、加齢でボケとるだけじゃな』

『ボケとらんわい! お前こそ、なんもかんも忘れやがって、人間に助けてもらっとるとか、阿保まるだしやないか!』

『何を言う。ちゃんとご利益も与えておる。これはギブアンドテイクというヤツじゃ』

『は? 岐阜ぎふ安藤あんどうで行く? 何っとんねん、阿保ちゃうか』

『…………学の無いヤツじゃ』

「ブハハ! バッカじゃね!」


 翔太は腹を抱えて笑っていた。神様二人に向かって、バカと思いっきり言える翔太は、中々肝っ玉が太いというか怖いもの知らずだ。と言っても、七海もクスクス笑っているのだが。


「ったくしょうがねえなあ。祠を修理してやるよ。そしたらナッシーみたいにちょっとは神様パワー回復するんだろ?」

『マジかぁ! 中坊! わいの祠直してくれるん?!』


 ミィさんの歓喜の声に、翔太がへへっと笑った。

 だが、七海は本気なのかと驚いた。ここは外だから、ナッシーの時のように、段ボールで作るわけにはいかないというのに。雨風に耐えられるものでないと、修理したとは言えないし、神様相手に軽々しく言って大丈夫なのかと心配になる。


「ちょ、ちょっと翔太、修理するったって、どうするのよ。大丈夫なの?」

「とりあえず、倒れてるやつを元の場所に置いて、屋根を打ち付けて……まあ、今より酷い事にはならねえと思うぞ」

「そりゃ、まあ……」


 現在、祠は土台の石の上から完全に落っこちて横倒し状態だ。屋根も取れている。この状態と比べれば、たとえ犬小屋みたいになったとしても、マシと言えばマシなのかもしれないが。

 ミィさんは、七海の心配をよそに、喜んで走り回り始めた。


『ほんなら、ついでにどどーーんとでっかいのを』

『調子に乗るでない。巣箱で充分じゃ』

『え、ええぇぇ?』


 ナッシーの一言に、ミィさんは露骨に嫌そうな顔をしたが、翔太の任せたら多分巣箱もどきになること間違いなしだ。


『なあ、ホンマに作ってくれるん? 直せるん? できるん? ええのん?』

「前の祠と同じものができるなんて、絶対思うなよ。マジでしょぼいからな」


 頭をポリポリと掻いて笑う翔太を見て、ミィさんはホッと息を吐いた。そしてウンウンと頷き笑い返すのだが、涙目にもなっている。喜びと期待が半分、不安と困惑が半分といった、微妙な顔をしていた。

 だが修理すると言っても、今は何もできない。作業は明日、工具や板などの材料をそろえてから始めることになる。


 この後、少しおしゃべりをしていから、また明日ねと手を振って、七海たちはミィさんの祠を後にした。ミィさんもブンブンと手を振って、いつまでも「待ってるでぇ、絶対来てやー!」と叫び続けていた。

 今日という日は、ミィさんにとっても劇的な日になったことだろう。

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