名なしの神様
外宮あくと
名なしの神様
第1話 神様は突然に
「実はわし、神様なんじゃが困っとるんじゃ。お前んちに泊めてくれんかの?」
小さな男の子が、七海を見上げてそう言った。
青い浴衣を着た三、四歳くらいの男の子だ。七海の短パンをねえねえと引っ張って、人懐っこくニコニコと笑っている。可愛い子ぶって、ちょっと小首をかしげたりなんかして。
しかし、七海の目は泳ぐばかりだ。
昼日中に突然、辺りが真っ暗になって驚いているというのに、更に訳の分からないことを言われて、「はあ?」と間抜けな声を出してしまった。
――あんた何なの? どうなってんの?! 私はただ、迷子だと思って助けてあげようと……あんた、迷子じゃなかったの? 妄想少年だったの? ってか、なんでいきなり真っ暗になったの! やだ、もう家に帰りたい!
ただ夏祭りを楽しんでいただけなのに、何がどうしてこうなった、ここはどこだと立ちつくすのだった。
*
今日は夏祭り。七海の家の近くにある神社のお祭りだ。
有名でも何でもない小さなお祭りだが、毎年楽しみにしている夏休みのイベントで、しかも今年は七海にとって特別なものになった。
中学生になり、初めて大人に混じって神輿を担ぐことができたのだから。
七海は幼稚園生の頃、わっしょいわっしょいと練り歩く神輿行列の活気あふれる様子に感動し、大きくなったら自分も絶対に担ぐと決めていた。幼馴染の翔太とも一緒にやろうねと、指切りげんまんで約束していた。
今日、その念願がようやく叶ったのだ。
七海はコキコキと肩を回しながら、さっきまで担いでいた神輿を眺める。世話役のおじさんがくれたジュースを境内の石段に座って飲みながら、やっぱ神輿っていいよなあなどと思うのだった。
暑いし重かったけど、そんなの関係ないくらい楽しかった。活気や華やかさも素敵だと思うのだが、一人では出来ないことを皆で力を合わせてやる、そういうのがカッコいいと感じていた。
約束通り一緒に神輿を担いだ翔太も、隣でゴクゴク喉を鳴らしてジュースを飲んでいる。いつもはピンピンと立ち上がっている短髪が、ぴとっとおでこに張り付き汗が滴っていた。シャワーを浴びたみたいだ。そして、何が可笑しいのか急にデヘヘと笑いだした。
「暑ぅ、自分の汗で溺れるぅ」
「頭に蛇口ついてんじゃない?」
「おう、蛇口壊れちまった! ってか七海はさあ、なんでこんなのやりたかったんだよ。バカじゃね?」
「翔太だって絶対に担ぐって言ってたじゃない、忘れたの? バーカ」
お互いにバカと言い合って笑った。
汗をぬぐい、また神輿に目をやった。黒塗りの屋根に朱色の飾り紐、やっぱり神輿はカッコいい。てっぺんに飾られている金の鳳凰が太陽の光に輝いている。
だが、ふと何かがおかしい気がしてきた。目を瞬き、よく観察してみると鳥は光を反射しているというより、自ら光っているように見えるのだ。
あれれと、七海はじっと見つめ、そして息を飲んだ。
ほわんと白く光る丸いものが、鳥の背中の上に現れたのだ。
――え? え? なに?
神輿は神様の乗り物だ。まさか本当に神様が乗っているのかと、目を丸くした。
「しょ、翔太?!」
思わず声を上げた時、糸のように細い光がさっと横切った。それは拝殿の方から流れてきて、神輿の上をかすめてゆく。まるで光の矢が神輿の上の光を射たような、そんな気がした。
「え……?」
七海は慌てて顔の汗を拭き、もう一度見つめる。だがもう光は見えなかった。鳳凰はごく普通にキラキラしていた。
「なんだよ」
「今、神輿の鳥がさあ、光ってなかった?」
「は? 光るってか反射じゃね? お前、反射も知らねえの? バカじゃね?」
「もう! じゃなくて、なんか光る玉が……ああ、もういいや」
一瞬だったし見間違いのような気もして、七海はそれ以上言わなかった。不思議な光が見えたなんて言ったら、絶対からかわれてしまう。翔太の「バカじゃね?」は慣れていてもムカつくのだ。
その後、二人は神社の前の道路にずらりと並んだ屋台を見て回った。
翔太に何食べると訊かれて、かき氷かなと答えながら、七海は屋台の列を眺めていた。
ふと屋台と屋台の間に、青い浴衣を着た小さな男の子がぼうっと立っているのを見つけた。おかっぱ頭のとても可愛らしい男の子で、多分幼稚園児だろう。一人で来たとは思えないので、お母さんは何処かなと、周りを見たがそれらしい人はいなかった。
――お母さんにここで待ってて、とか言われてるのかな?
男の子がなんだか寂しそうに見えて、少し心配になる。祭り客も屋台の店主も、誰も男の子に声をかけようとしない。そこに人がいることに気付いていないようなのだ。放っておいていいのだろうかと、心配になる。
七海が男の子に気を取られていると、ポンポンと肩を叩かれた。
「金魚すくいしようぜ!」
翔太は言うなり走っていってしまった。七海はおろおろと翔太と男の子を交互に見た後、結局翔太を追った。
七海が金魚すくい屋さんに着いた時には、翔太はもう手にポイを持っていた。ニヘッと笑って、二本のうち一本のポイを差し出した。
「え? いいよ……それよりさっきさぁ……」
「一緒にやろうぜ!」
翔太は話も聞かずに早速ポイを水槽に突っ込んだ。赤い金魚がサーッと逃げてゆき、翔太のポイはすぐに破けてしまった。
七海はふうっとため息をついた。男の子が迷子かもしれないと、気になって仕方ないのだった。未使用のポイを翔太に手渡し、くるりと背を向けた。
「ごめん翔太、一人でやってて」
「へ? 待てよ、なんだよ急に!」
背中に翔太の声を聞きながら、どんどんと歩いていく。
そしてさっき男の子がいた所まで戻ってくると、ドキリと立ち止まった。誰もいなかったのだ。一人でどこかに行ったのか、迎えが来たのか。
七海は祭り客の間を縫って進み、道の先に目を凝らした。男の子がお母さんやお父さんと歩いていればいいと願いながら。
さっき声をかけなかったことを後悔しつつ足早に歩いてゆくと、青い浴衣の小さな後ろ姿が目に入った。
――やだ、一人じゃない! やっぱり、迷子なんだ!
七海は急いで駆け寄った。社務所に連れて行って、迷子の放送をしてもらおう、そんなことを思いながら。
男の子に追いつくと、しゃがんでなるだけ優しい声で言った。
「ねえ、僕、さっきから一人だよね? どうしたの? お母さんとはぐれたの?」
男の子は驚いたのか目をぱちくりする。真っ黒な瞳が潤んでいて、水に濡れた宝石のようで、七海はつい見惚れてしまった。
男の子の口はパクパクして何か言っているようなのだが、周りの音のせいか聞こえない。
「ごめん、もう一回言ってくれる?」
すると、男の子が満面の笑みを浮かべた。無邪気な可愛らしい笑顔なのだが、迷子なら笑えるような場面ではないはずで、なんだか奇妙だった。
七海がポカンとしていると、ギュッと手を握られた。と、いきなりぐいと引っ張られ、七海は前につんのめりそうになりながら立ち上がった。
男の子はそのまま走り出す。
――えっ? 何? なんなの?!
小さな子どもの力なのに何故か抵抗できなくて、引っ張られるまま七海は走り出したのだった。
「おーい、七海ぃ、どうしたんだよ。何走ってんだよ!」
遠くから翔太の声が追いかけてくる。その事にちょっとホッとしながらも、七海は操られるように走っていった。屋台の並ぶ通りを抜け、どんどんと。
はじめは道なりに進み、丁字路に突き当たると左に曲がり、真っ直ぐ行ってまた突き当たると今度は右に曲がる。
何度かそれを繰り返すうちに、神社から随分遠ざかってしまったようだ。
炎天下を走り続け七海は汗だくになり、息はだんだんと乱れてきた。それなのに男の子は元気に走っている。
もしかして、自分の家に向かっているのだろうか。だったら、声をかけなくても良かったのかもしれない。
それにしても、なんで手を引っ張るのか。一体、この子はなんなのだと少し不安になってきた。
と、急に男の子が立ち止まった。古るそうな家が並んだ細い路地、二本の道が交差した真ん中だった。
「はぁ、はぁ……ねえ、どうしたの?」
七海はもう何が何だか分からない。
男の子は何も答えずにっこり笑い、握った手に更に力を込めてくる。そして七海を中心として、その周りをぐるりと歩き始めた。
男の子が何をしたいのか分からないが、されるがままに七海もその場で回り始める。目の前に続く道を見送り、右側の道、そして今走ってきた後ろの道。翔太が走ってくるのが見えた。追いかけて来てくれたようだ。それから左側の道を見て、元の向きに戻る。
四辻の真ん中で一周したその瞬間、辺りが真っ暗になっていた。道も家も無くなって、真っ暗闇になってしまったのだ。
驚いて振り返っても何も見えない。翔太の姿も。
「や、やだ! 何!?」
「怖がらんでもええ。それより、わしの声が聞こえるようになったじゃろ?」
甲高い声のくせして、やたらと落ち着いた年寄くさい口調で男の子が言った。
ぎょっとして見下ろすと、辺りは真っ暗だというのに、男の子だけはしっかりはっきり見えている。怖がらなくていい、なんて言われても、これは怖い。
「のぉのぉ、助けてくれんかのぉ。実はわし、神様なんじゃが、困っとるんじゃ。実はすかんぴんの宿無しでなぁ。お前んちに泊めてくれんかの?」
「は? 何?」
「じゃからの、わしは神様でな、お前んちに泊まりたいんじゃ」
全く意味が分らない。別に分からなくてもいいような気もする。むしろ分からない方がいいのかもしれない。
「…………そうだ、私、翔太と金魚すくいやるんだった」
「これ、話を聞かんか」
「…………かき氷も買おうっと」
「聞けと言うとるのに! 困っとる神様がいたら、助けるのが人の道というものじゃぞ」
――どこが神様よ! どう見ても幼稚園児だし、むしろ座敷童。っていうか、普通は神様が人間を助けてくれるもんなんじゃないの?! いやいやその前に、この真っ暗けはなんなのよぉ!
思わず目を見開いて硬直してしまう七海だった。
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