第2話 神様は語る

 わしは神様だ、と言ってニコニコ笑う男の子を、七海は呆然と見下ろした。何から突っ込めばいいのだろう。バクバクと鳴る心臓を押さえて大きく息を吐いた。


――助けるって、何? 何の話よ! 神様って、この子が? 信じられない何言ってんの、頭大丈夫? 気は確か? 家に泊めてくれって……はぁ? 迷子でしょ、違うの? 自分ちに帰りたくないの? 帰りなって! どうして自分のこと「わし」なんて言ってんの? 年寄かっ!


――っていうか、ここはどこなのよぉ!


 疑問と不安でいっぱいなのだが、何から質問すればいいのか分からない。口をパクパクさせながら、男の子を見つめるばかりだった。


「のぉ、お前んちに泊めてくれんか? わし、すかんぴんの宿無しなんじゃ」


 男の子が繰り返した。

 ねえお願い、と目をうるうるさせて小首をかしげて可愛い子ぶっているが、この真っ暗闇は、この子の仕業のような気がして、怖い。

 いいわよ、なんて言えるわけがない。

 七海は勇気を振り絞った。意を決して質問するのだ。


「す、すかんぴんって何よ!」


 男の子の言うことは全くもって意味不明なのだが、「すかんぴん」は言葉の意味さえ分からなかった。

 いや、本当は何も質問なんかせずに、私家に帰りますさようなら、と言った方がいいような気もするのだが。


「一文無しの事じゃ。文は分かるか? 昔のお金の単位じゃ」


 やれやれそんなことも知らんのかと、男の子は肩をすくめる。そして偉そうに堂々と胸を張った。


「要するに、お金もないし家もないということじゃ。じゃから、泊めてくれと言うとるのじゃ。分かったかの?」


 お金も家もないことを、威張らないで欲しい。

 一体この子の親は、今どこで何をしているんだろう。こんな小さな子に家がないという状況とは、どういうものなのか七海には想像できない。口から出まかせの可能性もあると思う。


「い、家が無い訳ないでしょ。お母さんやお父さんが探してるんじゃないの? 帰らないと……」

「いいや、家は無いし、親はおらん。わしは独りじゃ」

「親がいないなんて、あり得ないし……」

「まあ、わしを産んだ者はどこかにおるのかもしれんが、もう昔の話じゃ」

「真面目に話してよ…………って、それよりこれは何なの! 何処なの? なんで急に真っ暗になったのよ!」


 そう、何よりもまず、これを聞くべきだった。

 夕方と呼ぶにはまだ早い時間、さっきまで太陽がさんさんと照っていたのに、いきなり真っ暗闇になるなんて変だ。真っ暗なのにお互いの姿はちゃんと見えるなんて、更に変だ。

 暑さも遠のいている。冷気が漂うという程でもなく、爽やかで心地よい涼しさなのだが、いきなり気温が変わるなんて事もあり得ないことだ。

 はっきり言って、この状況は異常なのだ。


「うむ、神様の力を見せてやったのじゃ。そうすれば、いう事を聞いてくれるんじゃないかと思っての。じゃから泊めてくれんか? しばらく宿を貸してくれたら、それでええんじゃ」


 頭がくらくらしてしまう。

 目の前にいるのは、浴衣を来たおかっぱ頭のただの小さな男の子だ。

 だが、百歩譲ってこの子が神様だと認めるとしよう。真っ暗にしたのはこの子の力なのだと。でも、どうしてそこから泊めてくれに繋がるのか。


「なんでうちに泊まりたいのよ!」

「わしが見えるからじゃ。ふっふっふ、そなたとわしは波長が合うようじゃの。運命の絆というヤツじゃな」

「ヤダ! そんな絆、要らない! 気持ち悪い!」

「…………そ、そんなにはっきり言わずとも……」


 男の子は少し傷ついたような顔をしてよろけてしまったが、わけの分からない運命の絆なんて本気で要らないのだ。


「わし、もうずっと長いこと野ざらしでなあ、辛いんじゃ。やっとわしの姿が見える人間に出会ったのじゃから、ちょっとくらい休ませてくれても良いじゃろう。やせても枯れても神様じゃぞ。ささ、わしを崇めよ! 遠慮はいらん」

「無理ーぃ! もう、意味分かんない!」


 ブンブンと頭を振った。もう本当の本当に勘弁して欲しい。

 いきなり、真っ暗なへんてこな所に連れてくるなんて、この子は神様というより妖怪なんじゃないかと思う。


「仕方がないのお……」


 男の子は大げさにため息をついて、分かるように話してやるからよく聞くんだぞと、偉そうにふんぞり返った。小さな子どものくせに、態度だけは神様級に大きいので、七海はムッと口を歪めるのだった。

 でも、偉そうな割に笑顔はニコニコと人懐こいので、怖いという気持ちは何となく薄らいでいた。今自分に何が起こっているのか分からないけど、話くらいは聞いてあげてもいいかもしれないと思う七海だった。




 男の子の話によると、今、七海がいるのは、現世うつしよ常世とこよの境界線、狭間の世界なのだそうだ。

 ちなみに現世とはこの世のことで、常世とは簡単に言うと神様の国なのだとか。すぐに帰れるし、別に危険なことはないから、心配しなくていいということだ。

 自分が神様だということを証明するため、そして七海と話せるようにするために連れて来たのだという。

 この狭間の世界には、常世からの神聖な力がにじみ出していて、その力を借りて会話できるようにしたんだそうだ。

 そういえば初めに声をかけた時、男の子は返事をしたけど、何も聞こえなかったことを思い出す。

 神様だか何様だか知らないが、いきなり驚かせないで欲しいと思う。


「わしが神輿に乗ってたのも、見えておったじゃろ?」


 鳳凰の背に乗っていた光は、姿を変えたこの自称神様だったらしい。七海に自分が見えると知り、迷子のふりをして接触を試みたという訳だ。

 心配して損した気分だ。こんなことなら、無視しておけばよかったと七海は後悔する。


「神様なら、私の家に来なくても、さっさと神社に帰ればいいじゃない」


 七海が言うと、男の子は急に悲しそうな顔をした。


「あの神社に祀られてるのは、別の神じゃ。さっきも、ちょーっと軒先を借りようとしだけじゃのに、出ていけと怒鳴られてしもうた……そなたも見ておったじゃろ? アヤツめ、ほんにケチくさいヤツじゃ」


 そういえば神社で休んでいる時、神輿の鳳凰の上に光の玉が見えたと思ったら、社殿の方から光の矢みたいなのが飛んできたのだった。驚いて目をこすったら、神輿の上の光は消えていたのだった。

 七海が見たのは、神様同士の喧嘩だったということらしい。喧嘩と言っても、光の矢が、一方的に光の玉を負かしたという印象だが。


「じゃ、じゃあ、自分の神社に帰ればいいじゃない」

「それができるなら苦労はせんわい……」


 ちょっと泣きそうな顔になり、男の子はポツポツと話した。

 自称神様は、なんと自分の名前も祀られていた神社の場所も忘れてしまったというのだ。どこに帰ればいいのか、全く分からないらしい。ある意味、本当に迷子だったという訳だ。


「のう、わしは一体、何処の何という神じゃったのかのぉ?」

――わたしに訊くな!


 遠くを見る目で切なそうに問いかけてくるのだが、そんなこと七海に分かるはずもない。

 名前を忘れたということは、自分が何を司る神だったかも忘れているということだった。名前が神としての本質や実体や能力を表わしていたはずなのに、その名を忘れてしまったせいで、神の力も大部分を失ったんだそうだ。

 おまけに、名前を探して放浪していた為、この自称神様を祀ってくれる人がいなくなったそうで、これも悩みの種らしい。


 神は崇められ祀られていないと、信仰の力を得られない。それは簡単にいうと、お供え物をもらえなかったり忘れられたりすると、神様パワーがどんどん減っていくということらしい。

 そして、男の子の神様パワーは激減していて、この狭間の世界の力を借りないことには、七海に声を届けることも出来ないくらいだったのだ。

 この空間移動も、以前のようにいつでもどこでも簡単には出来なくなっている。霊的な力の強い四辻を見つけて出入口に使わなければ、無理なんだそうだ。さっき走り回ったのは、丁度良い四辻を探していたというわけだ。今の男の子には、神様だけど神様の奇跡はあまり起こせないらしい。

 そして、最後にぽつりと言った。

 人間に認知されない神様は、神様として存在していられない。いつか、消えてしまうのだという。


「わし、そろそろ消滅してしまうのかのぉ……」


 男の子は上目遣いで恨めし気に見つめてくるのだが、そんなこと言われたって七海には分からないしどうしようもない。名前を忘れたのは、男の子自身の責任のはずだ。


――大体、神様が自分の名前を忘れるとか、あり得ないでしょ。もしかして、頭を強く打っちゃったとか? そんなのおバカすぎるし……

「普通忘れないでしょ。なんで、忘れちゃったのよ。どうやったら自分のことを忘れられるのよ」


 溜息をつき呆れて呟くと、男の子はカッと目を剥いてまくしたててきた。


「む! そなたは自分が何かを忘れた時、なぜ忘れたか分かるのか! なぜ忘れたか分かるくらいなら、そもそも忘れたりせんのではないのか! 大事なのは『なぜ忘れたか』ではないのじゃ! 例えば九九! 小学二年で習った時は確かにちゃんと覚えてスラスラ暗唱できていてもじゃ、なぜかある時『七八何だっけ?』となったりするんじゃ。その時、なぜ忘れたのか忘れた原因は何か、などという些細なことにこだわっていては、算数の問題は一生解けん! 七八の答えをなんとか探し出すか、誰かに教えてもらうのが、建設的な解決方法じゃろうがぁ!」


――へ、屁理屈か!


 ぷんすか怒って、唾を飛ばして力説している。要するに、名前を忘れた過程のことも、忘れたのだろう。

 七海は更に呆れてしまった。


「……小学二年で九九習うってことは知ってるんだ……」

「常々、人間社会を観察しておれば、九九を何歳で習うかくらい分かる。そして、七八は五十六じゃ。名前を忘れる前の自分のことは思い出せんが、その後に見聞きしたことはちゃんと覚えておる!」

「そ、そうですか……」


 確かに、なぜ忘れてしまったのかを問いただしたところで解決にはならないだろう。でも、何も思い出せないくせに、そんなに威張らない欲しい。


「という訳で、わしは早く名前を見つけ出さにゃならんのじゃ。まだ死にとうないからのお。じゃから、わしが見えるそなたに、助けてくれと言うたのじゃ。わしを見ることのできる者は、そうそうおらんからなぁ。さあ、一緒に名前を探そう」


 自称神様の男の子の「助けてくれ」は、泊めてくれと名前を探してくれ、の二つの意味があったようだ。


――どうして、見えちゃったんだろう……


 七海はぐったりと身体が重くなるような気がした。とんでもないことに巻き込まれてしまった。何とかして逃げ出したいが、逃げられるだろうか。

 男の子は、何度も泊めてくれ泊めてくれと甲高い声で、駄々をこねるように繰り返している。


「わしは神様じゃぞ! 神様は大事にするもんじゃぞ! 大事にすれば、きっと良いことがあるぞ!」


 良い事なんて無くていいから、妙な事に関わらずにいる方がいい思ってしまう七海だった。


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