第4話 神様はご利益を授ける

『おはよう。良い朝じゃの。ゆっくり眠れたし、こんなに気持ちよく起きられたのは久ぶりじゃ』


 目を開けると、七海のベッドのすぐ横で、ナッシーがニコニコ笑っていた。

 今日も良い天気みたいだ。セミがシャワシャワと元気に鳴いているのが聞こえる。暑さの厳しい時期ではあるが、七海の部屋は風が良く通り爽やかだった。


「ん、あ、おはよう。よく眠れたんだ。良かった」


 昨夜、ナッシーは呼び名を決めた後、クッションを重ねた上にパタンと倒れ込むとあっという間に寝てしまった。ずっと放浪していたというし、疲れが溜まっていたのだろう。

 七海はタオルを掛けてやり、その寝顔をしばらく見つめた。

 スースーと寝息を立ている様子は、ただの小さな子どもにしか見えない。整った綺麗な顔立ちをしているが、それだけだ。特別感はない。無防備な寝姿は、とても神様には見えないのだ。

 ほっぺをツンツンしてみたら、お餅みたいに柔らかくて気持ちが良かった。

 これが七海にしか見えないし触れないなんて、不思議だった。目の前で、こんなにもしっかりと存在しているのに。でも、確かに翔太には見えなかったし、触ることもできなかったのだ。

 ナッシーは何者なんだろうと答えの出ない事をずっと考えて、七海は中々眠れなかったのだが、彼の屈託のない笑顔と爽やかな風の目覚ましのおかげで、今日も元気に一日過ごせそうだと思った。


「先に目が覚めたんなら、起こしてくれても良かったんだけど?」

『うむ、そう思ったんじゃが、赤子のようなかわゆい寝顔じゃったので、ついつい眺めてしもうた』

――幼稚園児が何言ってんの! あんたの方が赤ちゃんに近いくせに……まあ、見た目通りの年じゃないんだろうけど。


 七海がもうっと肩をすくめると、ナッシーはウハハと笑った。





 道路を挟んで向かいの家に住んでいる翔太は、朝から七海の家にやって来た。昨日の別れ際に「朝飯食ったらすぐ行くからな」と宣言していた通りだった。

 小さい時からお互いの家を行き来しているので、翔太にとって七海の家は第二の我が家みたいになっている。たまに間違えて「ただいまー」なんて言って上がってくることもあるくらいだ。

 翔太は、七海の部屋にずかずか入ってくると、扇風機が回っているのに、勝手にエアコンをつけた。


「ったく、冷やしとけよな。窓閉めろ」

「午前中は、そんなに暑くないって」


 いきなり入って来て命令口調でいう翔太を、ギロリと睨んだ。自分でやればと手で合図する。


「まったくいつもいつも、偉そうなんだから……。ナッシーも翔太も、男の子ってなんでそんなに偉そうなの?」

「は? ナッシーって誰?」


 窓とドアを閉め、むむっと眉をしかめる翔太に、ほらっと七海は紙を差し出した。

 便箋の裏に書かれた「天之奈志大神(仮)」の文字を見て、翔太はなんじゃこりゃと首をひねった。


「神様のことよ。名前が無いと呼びにくいから、仮の名前をつけようってことになったの」

「仮のくせに御大層な名前付けちゃって……てんの、なし、だいまじん?」

『これ、勝手に大魔神にするでない。アメノナシノオオカミかっこ仮、じゃ』

「それはいいの。ナッシーって呼ぶことにしたから」

「ふうん。……で、何処にいるんだよ」

「そこ」


 扇風機の前にちょこんと正座して、あーと声を出しながら髪の毛をなびかせているナッシーを指さした。神様だからなのか、扇風機は遮るものなんて無いように、普通に部屋に風を送っていた。

 そこにエアコンからの涼しい風も徐々に加わってきて、気持ちがいいのかナッシーはうっとりとしていた。


『ふほぉ……涼しいのお、心地よいのぉ。文明の利器とは有り難いものじゃのぉ』

「扇風機とエアコンに感動してる……涼しいって」

「……ほんとに神様なのかよ」


 翔太の疑問は、七海にも痛い程よく分かる。一晩経っても、まだ神様だと実感できていない。不思議な子だとは思っているのだが。

 神様はもっと偉くて近寄りがたく威厳があるイメージだったのに、ナッシーにはそんなものは微塵もないのだから仕方がない。

 扇風機を消し、七海はクッションを敷いて床に座った。翔太はとっくにリラックスモードで、寝そべっていた。


『さて、翔太も来たことじゃし、始めようかの』


 ナッシーはクルリと二人に向き直った。


「何を始めるの?」

『社を作るのじゃ。この部屋にナッシー神社を作る!』

「はあ?!」

「なんだ! 名なしのヤツ何かしでかしたか?!」

『ナッシーと呼べ!』


 飛び起きた翔太に、七海は急いで伝えた。いちいち通訳しなければならないのは、結構面倒だ。何とかして、翔太にもナッシーが見えるようにできないものだろうかと思う。

 だがそれよりも、今は聞き捨てならない発言の方が問題だ。


「何よ、神社を作るって? 何言ってんの」

『いやいや、ちっこいのでええんじゃ。ほら、神棚とかあるじゃろ。なんとなくでよい。家っぽい形しとったら』

「えー、でもー……」

『野ざらしはもういやなんじゃあ。ちゃんと社に祀られたいんじゃあ』


 泊めてくれるだけでいいとか言ってたくせに、なんだか色々と注文が増えているのは、ちょっと反則なのではないだろうか。

 七海が困ったなぁと腕を組んでいたら、話を聞いた翔太は何故かニンマリ笑い、張り切って答えた。


「家っぽかったらいいんだな。よし、俺に任せろ! 工作は得意だ!」






「これで、どうだ!」


 翔太が段ボールで作った社を掲げて、エッヘンと威張った。どう見ても鳥の巣箱にしか見えないのだが、翔太は名なしにはこれ十分だろと笑っている。

 一応七海も手伝ったが、ほとんどは翔太が作ったものだ。段ボールを切り、ガムテープで張り合わせて組み立てただけなのだが。ちょっと可愛く、小鳥のシールも張ってみた。

 翔太は、最後の仕上げに「天之奈志大神(仮)」と書かれた便箋をチョキチョキと切って、巣箱の中に放り込んだ。


「ほら、お札も入れたし、完璧だ!」

「……これ全然神棚じゃないし、鳥が巣を作りに来ちゃいそうだし……」


 あきれ顔で七海がダメだししているというのに、ナッシーはウハハと笑いながら二人の周りを飛び跳ね始めた。


『わしの社の完成じゃぁ! すごいのお、翔太! 器用じゃのぉ! ナッシー神社の完成じゃ!』

「よ、喜んでるし……こんなんで」


 ナッシーはひとしきり喜びの舞を踊った後、巣箱いや社の前で立ち止まった。そして、急に真剣な顔になってじっと丸い入口を見つめた。

 何をするのかと、七海も真顔になって見ていると、ナッシーはえいっと掛け声をかけると、すっと中に吸い込まれるように小さくなって、社の中に納まってしまった。


「すごい! 入っちゃった!」

「え、中に入ったのかよ。って、そんなに小さいヤツだったのか?」

「ううん、幼稚園児サイズだったけど、縮んで入っていったのよ」


 二人は同時に穴を覗き込んだ。

 ナッシーは笑いながら、顔だけ出して七海と翔太を眺めている。


『ささ! 神が宿りしこの社を、あの本棚の上に置くのじゃ! ふっふっふ、わしの家じゃ、ナッシー神社じゃ』


 目じりを思いっきり下げ、緩み切った笑顔でナッシーは言った。雑な作りだし見た目は完全に巣箱なのに、それでも本当に嬉しそうだ。

 今まで誰にも祀ってもらっていなかったから、段ボールといえども、自分の為に住処を作ってもらえたことが嬉しくてならないのかもしれない。

 喜んでくれるのはいいが、神様の威厳は皆無なので、ちょっと笑ってしまう。


「……ご利益なさそう」

『何を言う、ちゃんと幸運を授けるぞ』

「じゃあ、まずは泊まらせてあげてる私に幸運を頂戴よ」

『もうやったではないか! 神様と対等に話ができるとは、これ以上ない幸運じゃぞ』

「……あ、そう……」

『そうじゃの、七海は初めからわしが見えておったから、巫女として仕えることを許してやろう』

「ちょ、何よそれ! 更にこき使おうっていうの!?」

『翔太にもご利益をやらねばのう』


 ナッシーは、顔を突き出してじろじろと社を見ていた翔太の鼻先を、ちょんと指で触った。


「わあ!」


 翔太は弾かれたように後ろにすっ飛んでいって、社を指さしながらあわあわ言っている。


「ま、まじか! 小人がいる! コイツか? 七海が言ってた神様ってぇ!?」


 翔太にもナッシーが見えるようになったようだ。思いっきり目をまん丸にして、呆然としていた。これで翔太も完全に仲間だと、七海はちょっと安心した。


『ほほお……翔太もなかなかの素質を持っておるようじゃな。これは凄いことじゃぞ。実はの、今までにも何人かに、わしの姿が見えるように力を与えたことがあるんじゃが、誰も見えるようにならなんだのじゃ。うむ、これは凄いことじゃ! 七海も翔太も、わしに仕える星の下にあったということじゃな!』

「はあ?! なんで俺がお前に仕えなきゃいけねぇんだよ! っていうか、マジか?! 本物か?!」

「私たち召使いになる気はないんだからね! 勝手なこと言わないでよね!」


 混乱する翔太と抗議する七海を無視して、ナッシーは一人でうんうんと頷き、勝手に納得している。

 翔太にもナッシーが見えて話ができるようになったのは良いが、なんだか色々と注文が増える予感がして、七海は苦笑してしまうのだった。


『七海よ、感謝するぞ。昨日は泊めてもろうてお供えもしてもろうて、少しばかり力が戻ってきた。翔太にご利益を与えてやれたのも、七海のおかげじゃ。何より、人と触れ合うことで、わしは力を取り戻せるようじゃ。ほんに、そなたに出会えて良かった。礼を言うぞ』


 ナッシーはしみじみと言った。

 うっすらと涙まで浮かべて、神妙な顔で頭まで下げるので、七海はちょっと焦ってしまう。ナッシーの事は、正直言って迷惑なヤツだと思っていたのに、こんなに素直に感謝されると、どうしたらよいのかと思ってしまうのだ。

 とういか、神様が人間に頭を下げてもいいのだろうか。


『さて七海よ、巫女として初仕事じゃ。何か敷くものをくれ』


 巫女というより雑用係じゃないのとぼやきながら、七海がタオルハンカチを二枚、タンスから出してきて差し出すと、ナッシーはさっと中に引きずり込んでしまった。ゴソゴソと音が聞こえてくる。箱の中にタオルハンカチを敷き詰めて、居心地の良い部屋作りをしているのだろう。


『おお、これは良きかな良きかな』


 社の中から鼻歌が聞こえてきた。穴を覗くと、奥の壁に「天之奈志大神(仮)」のお札が張り付けてあって、絨毯のようになったタオルハンカチの上で、ナッシーが気持ちよさそうに寝ころんでいた。

 七海は思わずクスクスと笑った。ナッシーはとても素直で可愛らしい。口や態度は偉そうだけど、七海や翔太がナッシーの為にしたことには、全く文句を言わないし、心から喜んでくれるのだ。

 文句を言ったり、嫌な顔をしたりしたのは自分の方だなと、少し反省する。

 七海はナッシーの望み通り、社を本棚の上にそっと乗せてあげるのだった。

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