第3話 神様は居候する

 結局、言いなりになるしかなかった。

 何度も頼まれたからというより、「不心得者には罰が当たると知らんのか?」と半ば脅迫されたからだった。

 更に言えば、泊めてあげると言わないことには、真っ暗闇の狭間の世界から解放してもらえそうになかったからである。


 本当はまだ少し疑っているけど、あの鳳凰に乗っていた光がこの子だというのなら、神様だと信じてもいいように思う。

 あの光は、決して恐ろしいものでは無く、美しく清らかで、神々しい光だったのだから。男の子の笑顔も、無邪気で愛らしいのだから。神様なら、きっと悪さはしないだろう。

 それに偉そうな態度をしながらも、不安気な表情で消えたくないと呟く男の子に、七海はうっかり同情してしまっていたのだ。

 男の子は満面の笑顔で飛び跳ねた。


「そうかそうか! 泊めてくれるか。では、しばらく世話になるぞ。そして、これでそなたはわしの氏子じゃ。氏神として、精一杯そなたを護ってやろうぞ!」

「う、氏子、になるの?」

「そうじゃとも! しっかり、わしを祀ってくれよ!」

「え? ええ~?」


 ニコニコと無邪気に笑っている。

 祀る人がいないと消えてしまうと聞かされたばかりでもあるし、こんなにも嬉しそうに言われると、嫌とは言えない。

 どうなることかと、ため息が出てしまった。


 そして男の子は、また七海の手を握り、この狭間の世界に来た時とは反対方向に回り始めた。元の場所に戻るのだという。

 七海もその場でゆっくりと回る。さっきと反対の左周りだった。

 一周回るとパッと明るくなり、いきなりムワンと暑い空気に包まれた。七海は元いた四辻に戻っていた。

 異空間への移動は、行きも帰りも驚く程あっという間で、だけど絶対夢じゃない証拠に、男の子はまだ側にいるしぎゅっと手を握っている。

 ごく普通の街並みがなんだか懐かしく見えて、七海は帰って来たことを確かめるように周りを見回した。

 振り返ると目の前に、これも丁度振り返ったところらしい翔太がいた。


「うわ!」

「うおお! 七海!?」


 二人同時に叫んでいた。ぶつかりそうな程の近さに、盛大に驚いてしまった。再会を喜ぶ余裕なんてない。しかも翔太は、すぐに七海の肩を掴んでゆさゆさと揺さぶってくる。結構、強い力だった。


「おい! 今、何処に行ってた! なんなんだよ、一瞬消えたぞお前! びっくりしたじゃねえか! もう戻ってこないのかと思ったじゃねえか!」

――そっか、私、消えてたんだ……。でも、一瞬だけ? 結構長い時間、話してたと思うけどなぁ……


 汗だくで、目の玉ひんむいて、真っ青な顔をして、翔太は叫んでいた。

 物凄く心配してくれていたことは分かるのだが、首がガクガクするので思い切り揺するのは止めて欲しい。


「お前、バッカじゃねえの! 勝手に消えんな! スゴ技使ってんじゃねえよ! 必殺技かよ!」

「いや、必殺技って……落ち着いてよ」

「う、うっせー! お前が悪い! 俺の前から居なくなるんじゃねえよ!」


 揺するのは止めてくれたが、掴んだ肩は離さない。鼻息荒くグッと唇を噛んで、翔太は横を向いてしまった。顔も目も赤くなっていた。何度も瞬きするまつ毛が小刻みに震えていた。

 いつもふざけてばかりいる翔太のこんな顔は、初めて見たような気がする。

 七海はドギマギして俯き、ごめんと呟いた。自分の何が悪かったのかは謎だなと思うのだが。


『お、この坊主、泣くのか? 泣くのか?』


 足元から、男の子の茶化すような声が聞こえてきて、七海はハッと我に返る。余計な事を言うなと男の子を睨んでから、照れ隠しでアハハと笑った。


「ありがとうね、心配してくれて。戻ってきたから、大丈夫だよ」

「…………」


 翔太は泣かなかったが、ものすごく動揺しているのが七海にも分かった。ちゃんと説明してあげた方がいいだろう。七海が消えてまた現れたのを見てしまったし、こんなに心配してくれたのに、なんでもないよとは言えない。


「あのさ、翔太はこの子見える?」

「はぁ? 誰もいねえじゃん! お前バカじゃね?」


 多分、言うだろうなと思ってたが、やっぱり言われた。

 わけが分らん、と翔太は怖い顔をして七海の手首を掴んで歩き出した。


――うげ! 止めてよ! 手、繋ぐの何年振り? ……また消えるかもって心配してくれてんのかなあ。


 なんだか振り払えずに、七海は少し俯きながら歩き出した。少し耳が熱かった。

 とりあえず神社に向かって帰りながら、七海は神輿の上に光が見えたことから、今までのことを全部話した。

 男の子が見えない翔太は、ずっと口を尖らせて「バカじゃね?」ばかり言うのだが、神様を七海の部屋を泊めることや、名前探しをすることになったという話は一応理解してくれたようだ。


「実際、お前が二、三十秒くらい消えたの、俺、見ちゃったもんなぁ……」

「私的には二、三十分話してたような気がするけど。……信じてくれるんだよね? 良かった。今も私たちの前を歩いてるんだよ」


 七海は前方を行く男の子を指さして言った。

 ニヘへと笑いながら、二人の前をピョンコピョンコと跳ねている。


『氏子が二人! 氏子が二人!』

「…………翔太も氏子にするつもりみたいよ。変なスキップしながら、嬉しそうに言ってる」

「はあぁぁ?! なんで俺が……」


 男の子なんかいないだろなんて、もう言わないでくれることに、七海はホッとしながら、男の子の言葉を翔太に伝えるのだった。

 こんな不思議でややこしい事、一人で抱えているのは少しきつい。翔太が仲間になってくれたことを心強く思った。

 男の子はよく分からない鼻歌を歌いながら、下手くそなスキップで進んでいった。


「あ、今つまづいた。ってか、こけた。でも、何事も無かったかのように……」

『そ、そんなことまで伝えんで良い!』

「神様って意外とどんくさいのな」

「ほんと、どんくさいよね。名前忘れるし」

『やかましいわ! 無礼なことを言うと、祟るぞ!』


 七海は苦笑した。

 神様パワーがほとんど無い男の子に、祟ることなんてできっこないだろう。できるんだったら、言ってる間にバチを当てちゃえばいいのにとクスクス笑った。


「しゃあねえなあ……俺も協力するわ。何ができるか分かんねえけど」

「うん! ありがとう!」

『よしよし! 二人仲良く、わしを崇め奉り、祀るがよいぞ!』

「……我を崇めよって言ってる」

「偉そうだな、何の神様かも分かんねえくせに。おい! 俺の声聞こえてんだろ。あのなあ、もう勝手に七海に変な事すんなよ! そんで早めに出てけよ!」


 翔太の声が頼もしかった。

 七海のことを心配して、協力すると言ってくれたのだと、分かりすぎるくらい分かる台詞だった。幼馴染の意外な一面を見て、七海は嬉しいような恥ずかしいような気持になるのだった。





『日本中を歩きまわったんじゃが、この辺りがなんとのぉ懐かしいような気がしてなあ。もしかしたら、この辺で祀られておったんじゃないかと思ったんじゃが……あの神社では無かった。アヤツ、わしがちょっと近寄っただけで、名なしは出てけと騒ぎたておって……どいつもこいつも!』


 翔太と別れた後、男の子は七海の部屋の真ん中で、大の字になって寝ころんでいる。すっかり我が物顔だ。見えないのを良い事に、家の中を勝手に一人で探り、そして七海の部屋に腰を落ち着けたのだった。

 七海はお母さんに男の子のことを話そうかと何度も迷ったが、信じてもらえそうにないし、頭がおかしくなったと心配されても嫌なので、黙っていることにした。どうしてもの時には相談するかもしれないけれど。


 男の子はブツブツと文句を言っている。今までも、色んな神社に忍び込んでは追い出されたらしい。

 男の子としては、神域で少しでも力を蓄えたかったようだが、先住の神様はどこの誰とも分からぬ彼を、邪神と疑ったのか決して近寄らせなかったようだ。


『まったく、わしは絶対に災いの神ではないというのに!』

「……言い切れないでしょ? 名無しの神様なんて、正体分かんないんだから」

『では訊くが、そなたわしと出会って、なんか悪いことでもあったか? ないであろう? ならば、わしは悪神ではないということじゃ!』


 強引な論法だと思う。出会ったこと自体が災難だ、などと思ったりもするが口にするのはやめておいた。

 とは言え、七海も男の子が悪い神様のようには思えないのだった。

 先程、お供えとして、スナック菓子とジュースを上げると、顔を真っ赤にしてポロポロ涙を流して喜んだのだ。名なしになってから初めてだと言うのだ。その喜びの涙に偽りがあるようには思えなかった。

 ちなみに、お供え物は実際に食べたり飲んだりするわけでは無く、その食べ物などが持っている霊的なパワーを頂くんだそうだ。

 神様へのお供えは、正式には水と塩、生米、お酒なのだそうだが、もうこの際何でもいいのだと言って、ジュースを飲む真似をしお菓子を食べるふりをしていた。


「……あのさ、名前無いと呼びにくいよね。何かあだ名つけてみない?」


 七海が提案すると、男の子はむくりと起き上がり、小首をかしげた。そして、うんうんと頷く。


『あだ名か……仮の名前という訳じゃな。うんそれは良い考えじゃ』

「なんて、呼べばいい?」

『そなたが名付けてくれ!……七海とお揃いで「な」の付く名前がよいなあ』

「ええー、お揃いぃ……?」

『嫌そうにするでないわい。七海と名なしも語感が似ておるんじゃもん、お揃いがいい』


 また変なことを言うなあと、七海はムムッと眉を寄せて考える。


「名なしの神様だから……ナッシーとか?」


 言ってから、七海は冗談よとアハハと笑って誤魔化した。これは、いくらなんでも男の子が怒ると思ったのだ。安直だし、どこかのゆるキャラみたいだし。


『ほお! ナッシーか。これはまた洋風じゃな。それにしよう!』

「……え、いいの? こんなんで」

『良い良い。気に入った、ナッシーにしようぞ!』

「なんでもアリ?」


 居候の神様の仮の名前は簡単に決まった。

 ナッシーは、紙と鉛筆を持ってくるように言って、さらさらと文字を書き記した。


 天之奈志大神(仮)


 ちびっこのくせに、ナッシーは中々の達筆だった。


『ま、こんなもんかの。漢字を当てて由緒正しき尊き感を演出してみたぞ』

「……なんて読むの?」

『アメノナシノオオカミかっこ仮、じゃ。仮名の正式名称はこれでいこう。呼び名はナッシーで良い』

「アハハ! 仮名なのに正式名称って……変なの!」


 ナッシーも楽し気にウハハと笑いだすものだから、七海の笑いが止まらなくなってしまう。

 これから何が起こるのやら、なんだか楽しくなってくる七海だった。


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