第19話 神様は縁に気付く
「ね、不思議でしょう。これは母の母、つまり私の祖母の若い頃の写真なんだけど、抱いてる猫が太郎君にそっくりなもんだからびっくりして……」
幸子さんは先程まで、お婆さんの部屋を片付けていたそうだ。来月からお婆さんは介護施設に入所するらしくて、持って行く荷物の整理していたのだ。その為、お婆さんが出ていってしまったことに気付くのが遅れてしまったそうなのだ。
で、その片付け中に、古いアルバムからこの写真がヒラヒラと零れ落ちてきたらしい。幸子さんは、この写真の猫を見てすっかり驚いてしまったのだ。
「母がね、この頃『お母さんの猫が帰ってきた』って何度も言ってたのよ。自分が子どもの頃、家に猫がいたんだって言って。なんのことだろうって思ってたけど……。太郎君、本当にそっくりだから、昔飼ってた猫が帰ってきたって思ったのね……」
「そうだったんですね……」
七海は相槌を打ったが、きっと本当に太郎は昔お婆さんの家で飼われていた猫なんだと確信的に思っている。
今すぐ太郎に聞いてみたいのだが、幸子さんの前では無理だろう。猫と会話しているなんて、ただの不審人物だ。猫がそんなに長生きなわけないから、何をバカなこと言ってるの思われてしまうだろう。
というか、鼻くそ太郎はこっちの話なんかちっとも聞いてないようで、饅頭をかっぱらうスキを伺ってばかりいる。
七海が返した写真を受け取り、幸子さんは呟いた。
「ほんと、昔のことはよく覚えているのに……」
七海は、そうですねとも、そんなことないですよとも言えずに、目を伏せた。
お婆さんは、また幸子さんや今一緒に住んでいる家族が誰なのか、分らなくなることが多くなっているのかもしれない。幸子さんはげっそりと痩せていて、とても疲れているようだった。
またちょっと切ない気分になってきた。でも、ナッシーがついてこなくて良かったかも、とそこだけはホッとするのだった。もしもあの忘れん坊の神様が昔のことは覚えているなんて話を聞いていたら、またいじけてしまっただろうから。
全然話を聞いてない太郎に、ちょっとは聞きなさいよという意味を込めて、お饅頭を遠ざけた。
太郎は、ブニャンと鼻を鳴らしてからやっと饅頭から目を逸らした。相当食べたかったようだ。
そして不機嫌そうに、幸子さんの手にある写真をちらりと見た途端、ニャーニャーと騒ぎだした。
『ミツなのニャー! やっぱりそうだったのニャ! 婆ちゃんの匂いは、ミツの匂いに似てたのニャ! 小っちゃい時、ニャンが遊んであげた女の子だったのニャ!』
――やっぱり!
思いがけず、鼻くそ太郎の元の飼い主が判明したわけだけど、やっぱり幸子さんに報告するわけにはいかなかった。こいつは六十年以上生きてる猫又ですとは言えないのだし。
七海は翔太と顔を見合わせて頷きあった。これで、太郎がお婆さんを気にかけていた理由がやっと分った。大好きだった飼い主の面影を、お婆さんに重ねていたのだろう。昔を懐かしんでいたのだ。
そんなこととは知らない幸子さんは、おもむろに写真の裏をめくる。そこには小さな文字で何か書いてあった。
「この写真のこ、
『そうニャ! ニャンは一墨丸ニャ! 帰ってきたのニャ!』
「……あらあら、どうしちゃったの?」
鼻くそ太郎が、しきりに鳴いて幸子さんに身体をすりすりするもんだから、翔太はすみませんと苦笑しながら、後ろ足を掴んでこっちにずるずると引き寄せるのだった。
幸子さんは続けて文章を読み上げた。
「妻ミツと一墨丸。春の日の縁側にて。ミツが亡くなったあと、一墨丸も後を追うように姿を消してしまった。きっと今頃、二人は天国で仲良く暮らしていることだろう……。祖父が書いたんでしょうね」
『はニャ……。ニャンは死んだと思われてたのか……』
無理やり翔太の膝に抱えられた太郎は、ちょっとしょんぼりした声をだした。それから後は、静かに幸子さんの話を聞いていた。
「母は昔この町に住んでたのよ。小さい頃に祖母が亡くなって、その後すぐに東京に引っ越したらしいの。大人になって結婚して私が生まれて……それからずっと東京暮らし。でも二年前に私の夫の仕事でこの町にくることになってね。すごい偶然でしょう。母にとってこの町は故郷だし、父も亡くなって寂しかったのでしょうね、喜んで一緒についてきてくれたわ。まあ、今ではそのやり取りも忘れてるんだけどね……」
やっぱり鼻くそ太郎は捨てられたわけでは無かった。急に姿を消してしまったものだから、家族からは死んだと思われていたのだ。太郎が家出から戻った時には引っ越してしまっていて、それっきり離れ離れになってしまっていたのだ。
それが六十年の時間を経て、ようやく再会できた。
「太郎君、本当に一墨丸にそっくりね……。生まれ変わりなのかしら。ありがとう、母を見守ってくれて」
幸子さんは目を細めてそう言った。
*
雨が降り出す前にと、幸子さんに見送られてお婆さんの家を後にした。太郎は大人しく前かごに乗り、翔太は猛スピードで自転車を漕いだ。
風は強く空は真っ暗で、今にも降ってきそうだ。
「なあ、鼻くそ! お前、あの婆ちゃんと一緒に暮らしたいか?」
翔太は太郎に尋ねたけど、返事は無かった。太郎は黙ってかごの中で丸くなったままだ。
家の前に着いた時、ポツリと雨粒が落ちて来た。ついに降り出したかと思ったら、いきなりザーザーと本降りになってしまった。
翔太は慌てて、家の玄関
向かいの七海の家の玄関の前にはナッシーが立って、こちらを見ていた。
『少し遅かったようじゃの。婆ちゃんは無事に見つかったのかの?』
「まあね、転んじゃったみたいで少し怪我してたけど、大丈夫よ」
ナッシーは傘も持たずにすたすたと歩いてくる。濡れちゃうじゃないと言おうとしたが、不思議なことにナッシーは全く濡れなかった。雨をはじいている訳ではなく、雨がナッシーを素通りしているといった感じだった。
さすがは水に関する神様だ、と七海は妙に感心した。
ナッシーは腰に手を当てて、不思議そうに見ている鼻くそ太郎を見下ろした。
『鼻くそよ。七海に迷惑をかけ』
『鼻くそ言うニャ!』
ナッシーにみなまで言わさずに、文句を言う。そりゃ、一墨丸という素敵な名前があるのに鼻くそ太郎なんて呼ばれるの嫌だろうなと、七海は苦笑した。
「一墨丸っていうんだって。かっこいい名前よね。実はね、あのお婆さんのお母さんが元の飼い主さんだったの。太郎、いやいや一墨丸も、もしかしたらってそうかもって思ってたみたいだけど、今日昔の写真がでてきて、それが決定的な証拠になったってわけ」
『…………ふん、なーにが一墨丸じゃ。鼻くそ太郎で充分じゃろ』
『ウニャ! ニャンの名前はミツとミツの家族と七海だけが呼んでもいいのニャ! ナッシー神様といえども、ニャンをバカにするヤツには呼ばせないニャ!』
フーっと毛を逆立てる太郎だった。その目の前にしゃがんで、ナッシーはヘラヘラと笑った。
『では、翔太んところは出ていって、婆ちゃんちに引っ越すのかの?』
『…………ニャ』
さっき翔太に聞かれた時も、太郎は答えなかった。お婆ちゃんには会いたいけど、翔太の家の猫だと思われてるから、押しかけても戻されると思ってためらっているのかもしれない。それともマロンちゃんと離れたくないのか。
挙動不審に目を泳がせる太郎に笑いかけ、ナッシーは鼻をツンツンつついた。
『ま、良かったではないか。捨てられたなどというのは、そなたの被害妄想じゃったというわけじゃ。とはいえ、その被害妄想のおかげで猫又になり長生きしたからこそ、婆ちゃんに会えたのじゃから、人生どこで縁が回ってくるかわからんもんじゃなあ』
「そういえばそうね」
なるほどなと七海は頷いた。めぐり合わせってあるのだなと、不思議な気持ちになる。
自転車を止めて戻ってきた翔太が、玄関のドアに手をかけた。
「んで、お前どうすんの。一墨丸として生きていくのか鼻くそ太郎でいくのかどっちだ」
『……ウニャ……一墨丸かニャァ……でもミツはいないのニャ。婆ちゃんは好きだけど、とても懐かしいけど……元には戻れないのニャ。思いだすと寂しくなるのニャ。一墨丸でいるのは寂しいものニャ……』
「んじゃ、鼻くそ太郎でいいじゃん」
翔太が二ッと笑って玄関を開いた。
「ま、婆ちゃんとこ行きたくなったらいつでも行っちまっていいし、好きにしろよ」
『……毎日会いにいくニャ。施設に入っても会いに行くニャ』
開いたドアの奥から、マロンちゃんのにゃーんという鳴き声が聞こえてきた。
それに応えるように太郎もニャっと鳴いて、中に入っていった。
『それがよかろうよ。時間は巻き戻ったりせんのだから、進むしかないのじゃ。諸行無常じゃ』
腕を組んで、うむうむとじじむさいことを言いながら、ナッシーは立ち上がった。そして思い切り大きなため息をついた。
『太郎はこれから、一から生き直しじゃな。わしはと言えば……。一体わしの縁はいつ巡ってくるのじゃろうな……』
「は? 回ってきてるじゃん。気が付いてねーの? ナッシー、バカじゃね?」
翔太のバカじゃねが久しぶりに出た。ナッシーがムキっと目を吊り上げるが、翔太は平気な顔をしている。
「今まで、誰もお前を見ることできなかったんだろ? 自分でそう言ってたじゃねえか。それが今は七海と俺がいるんだぜ。これが縁の巡り合わせじゃないってんなら、なんなんだよ」
『おお……おお、そうじゃな! 回ってきておったわ!』
ふくれっ面が一瞬で明るくなった。
すぐにマイナス思考に陥って凹むのは、ナッシーの悪いところだけど、励まされると速攻機嫌が直る素直さは、単純だけどとても良い所だなと、七海はくすりと笑った。
ナッシーにも縁の巡り合わせの時は来ているのだ。それは七海と翔太側からみても、運命的な縁だということだ。
神様と縁で繋がっている、そう思うとちょっと神妙な気分になるのだった。
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