第6話 神様は変なところで気が長い
お昼ご飯の後、三人は昨日お祭りがあった神社周辺を歩いてみることにした。
どの辺で懐かしい匂いがするのかを確認してみるのだ。神社の周辺が違うようなら、町をぶらりと歩きつつ、見覚えのある場所があれば入念に匂いを嗅いでみる、そんな適当な計画だった。
漠然と懐かしく感じるだけらしいので、この町にナッシーの神社があるのかどうかも分からないが、やるだけやってみようということになったのだ。
七海たちの住む町は山のすそ野にあって坂道が多く、田舎という程ではないが都会でもなく、駅前は賑やかだけど少し離れると静かになり、ほとんど住宅地だけど畑や田んぼも少し残っているマイナーなベッドタウンといったところだ。それから、京都や奈良みたいに古い歴史的なものがある訳でも無い。これといった特徴のない町なんじゃないかと七海は思っている。
ナッシーの名前に繋がるものが、本当にこの町にあるのだろうかと、未だに半信半疑だった。
下手くそなスキップをしながら、ナッシーは先頭を行く。そして時々、七海と翔太を振り返っては、目を細めてうなずくのだった。ちゃんと付いてきているか確かめているみたいだ。
『のう、翔太はいつも七海の家で昼飯を食うのか?』
「今その話は必要ない。黙って、匂いを嗅げ」
『これ! わしは犬ではないぞ! 雑談くらいしても良いじゃろが! 匂いもちゃんと嗅いどるわ!』
「いいから、行けよ」
翔太とナッシーは、なんというか迷コンビだなと、七海は笑う。
ナッシーの質問に答えるならば、翔太はたまに七海の家でお昼ごはんを一緒に食べることがあるが、いつもではない。
翔太のお母さんは毎日仕事があって、夏休みはお弁当を作ってから出かけるのだが、時々ふりかけご飯だけがお弁当箱に入ってたりする。そんな時は、七海の家におかずを貰いにやってくるのだ。ちなみに今日はふりかけご飯では無かったが、弁当持参で来ていた。
お母さんたちは学生時代からの親友なんだそうで、とても仲がいい。家族ぐるみの付き合いというヤツなのだ。七海と翔太は小さい時から一緒だったので、きょうだいみたいな感じもする。
でも、この頃は翔太と一緒にいるだけで友達がひやかすから、七海は学校ではあんまり近寄らないし、しゃべらないようにしている。それなのに、翔太はお構いなしに絡んできたりするので、ちょっと迷惑なのだ。
だけど、夏休みの間は友達の目を気にする必要はない。小さい頃のように、好きなだけ話せるのはとても楽しいものだ。それに今年の夏は、ナッシーの出現のせいで、さら楽しくなりそうだ。
「ねえナッシー、どんな感じ? 懐かしい匂いする?」
『うむ……匂いはしているんじゃが、微かじゃなぁ』
「なあ、名前忘れたのって、どんくらい前なんだよ。懐かしい匂いがするって言ったって、一年前に嗅いだのと昨日嗅いだのとじゃ、やっぱ記憶の残り方が違うんじゃないのか?」
「あ、そう言えばそうよね。あんまり前だと思い出しにくくなるよね」
いつ頃忘れたのかも、確かに手がかりになるのかもしれない。方角のことといい、七海が思い付かなかったことに翔太はよく気が付く。凄いなと素直に感心していた。
ところが、ナッシーはもじもじと言いにくそうにしている。
『まあ、その、あれじゃ……えっと……結構前、じゃったかの?』
「結構前ってどのくらいよ」
『ん……まあ、その……せ、千年くらい? だったかの?』
「……………は?」
『うん、千年、じゃな』
「……………」
思わず無言になって、立ち止まってしまった。ナッシーは、寝言でも言ってるんだろうか。桁を間違えてるんじゃないかと思う。
――はあぁぁ?! 千年って?! そんなのとっくに手がかり消えてるんじゃないの? ってか、千年も何してたのよ? 本当にちゃんと探したの?
きっと翔太も同じことを思っているに違いない。「バカじゃね」は出なかったが、顔が
「なあ、七海……こないだ借りたマンガさあ、すっげー面白かったわ。ありがとな。続きある?」
「あれ最新巻。次のが出るのは来月」
「買ったら貸して」
「いいよ。…………って言うかさ、すごい棒読みになってるよ。顔もモアイみたい」
「お前もな」
『……おぉーい。どうしたのじゃ急に』
口を真一文字に結んだ無表情で、二人はナッシーを置いて歩いていった。
怒ればいいのか笑えばいいのか、とにかくドッと肩が重たくなった気がする。聞かなきゃよかったとさえ思った。
神さまだから長生きというか、ちょっとやそっとじゃ死なないのだろうが、千年も名なしをやっていたとは思いもしなかった。そんなに経ってしまった後で、今更何したって思い出せっこないように思う。
『これ、そこの二人。わしを無視するでない!』
ナッシーは地団太踏んで抗議している。
翔太は半目でじとーっと見つめてから、大げさなため息をついた。
「……千年も経ってたら、何もかも変わってるだろ。何が懐かしい感じがする、だ! いい加減なこと言うなよ、バカじゃね?」
『そんなことはない! 確かに匂いがするのじゃ!』
「ジュース買おうぜ、七海。喉乾いた」
「うん」
お手上げだと思う。
ナッシーがどうなってもいいとか、もう見捨てようとかいうわけでは無いが、とにかく呆れかえってしまった。中学生である自分たちに、どうやって解決しろというのか。
自動ドアが開くと、冷たい空気が溢れ出てきて気持ちがいい。炎天下を歩くのは結構きつかった。それでも、何か手がかりが見つかればと思って頑張っていたのに、なんだかやる気ががくんと落ちてしまった。
背後でドアが閉まり、ナッシーが外から恨めし気にじーっとこっちを見ている。仲間外れにするなよとでも言いたげだ。
でも、こんな大事な情報を後出しにする方も悪いと思う。
七海がお菓子を選んでいる間に、翔太はいつもよく飲む炭酸ジュースのペットボトルを三本掴むとレジに向かった。まったく、まったくと小さな声で何度も繰り返しながらお金を払い、さっさと店を出て行く。
そして、ガラスに張り付いて中を見ていたナッシーに、こっちに来いよと店の日影になっている駐車場の隅に誘った。
翔太はナッシーの前にしゃがんで、視線の高さを合わせた。
「お前な、気が長いにも程があるぞ。なんで名前探しに千年もかけてるんだよ。のん気過ぎだろ」
『千年かけようとなどと思ったことは一度もないわい! 気が付けば、かかってしまっただけじゃ! 何年かかろうが、わしは絶対名前を取り戻すつもりじゃぞ!』
「……でもさ、こんなのは最初が肝心なんじゃないのか?」
『じゃから、わしも一生懸命探したのじゃ! でも分からんかったのじゃ!』
「……ったく、しょうがねぇなあ」
七海は翔太が先に店を出てしまったことに気付くと、急いでスナック菓子を買い、店の外の二人に駆け寄っていった。丁度、翔太がペットボトルを一本ナッシーの前に置いたところだった。
「何してるの?」
「ナッシーにお供え。そのお菓子もここに置けよ」
翔太は自分のジュースを開けてぐびぐび飲みながら言った。そして、七海にもペットボトルを差し出す。
「お供え物でパワー出るんだろ? 気合い入れて、もっとパワー出せってんだ。そんで、これからは気が付いたことがあったらすぐに言うんだぞ!」
「ああ、なるほどー」
『ほっほー! 口が悪いだけではのうて、結構気が効くではないか。しかし、わしは人間のように飲んだりせんから、ジュースは二本で良かったのじゃぞ。わしのお下がりを飲めばよいのじゃ』
「おお、それも後で俺が飲むに決まってんだろ」
翔太のジュースはもう無くなっていた。
七海がクスクス笑いながら、ナッシーのジュースの隣にお菓子を置いた。そして二人一緒にパンパンと手を叩いて、ナッシーを拝んだのだった。
ニコニコと嬉しそうなナッシーが、ほんの少し光ったような気がした。
『うむ、ありがとうなのじゃ! がんばれそうじゃ』
「おっしゃ! じゃあ気を取り直していくぞー! おー!」
『おー!』
声を合わせると、自然に笑顔になった。
千年と聞いて萎えかけた気持ちが、少し上向いた。翔太っていいヤツだなと素直に思った。口は悪いけど前向きだし、割と優しいし。翔太がいてくれて本当に良かったと思う七海だった。
と、その時、ぶにゃおーと猫の鳴き声が聞こえてきた。
『やかましいニャ! 昼寝の邪魔ニャー! これだから人間の子どもは嫌いニャ!』
鳴き声と同時に妙な声も聞こえて、七海は後ろを振り返った。ごみ箱の陰から白い前足が見えている。
ハッと翔太と顔を見合わせた。それからナッシーを見る。
『ん? どうした、猫が喋っただけじゃぞ?』
「……だ、だけって言うな! 普通喋らないから!」
翔太が言うと、ごみ箱の陰から猫がすっと出てきた。
大きな猫だった。全身真っ白で、鼻の横に一つだけ丸いブチがあった。ふてぶてしい顔つきだ。
『……なんなのニャ、こいつら……』
「やだ! やっぱ喋ってるよ! な、ナッシー、なんでなんでなの!」
七海が思わず悲鳴のように声を上げると、猫がビクンとその場で飛び上がった。全身の毛が逆立っている。
七海たちも驚いていたが、猫の方でも驚いたようだ。まさか自分の声が聞かれるとは思っていなかったのだろう。
目をまん丸にして身体を低くしている猫は、威嚇態勢に入っていた。
『あ、あっち行けニャ!』
「やんのかこら!」
負けじと翔太がファイティングポーズをとると、猫は増々毛を逆立てブギャオーと変な鳴き声を上げた。その瞬間、尻尾が二本に別れていた。
『ふむ、やはり猫又じゃったか』
「え、猫又? 猫の妖怪? あ、ホントだ、尻尾が二本ある!」
『はふぁぁ、しまった! バ、バレたニャー!』
お尻を振り返り、慌てて腰をフリフリして器用に尻尾を一本に束ねた。じりじりと迫ってくる翔太に、シャーと牙を剥きつつ後退り、隅っこまで追い詰められると、物凄い勢いでジャンプし、ブロック塀を飛び越えてしまった。
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