第17話 神様は確信する

「さてと、みんな自分の家に帰ったことだし? 俺も家に帰るわ」


 翔太はナッシーの巣箱もとい社に聞こえよがしに言った。拗ねてんじゃないぞと、トントンと壁を叩いてから、七海にピラピラと手をふって出て行ったのだった。


 しんと部屋は静まり返った。時計のカチカチという音がやけに大きく聞こえてくる。

 ナッシーはまた社に籠ったまま出て来なくなるのかなと、七海はため息をつきベッドに寝ころんでぼんやりと天井を見つめていた。


『あ、あ、ああぁぁーーーー!! そうか! そうじゃ、そうじゃったぁぁ!!』


 突然ナッシーが大声を上げ、ビビョーンと飛び出してきた。

 ヒッと悲鳴を上げ、思わず七海は飛び上がる。一瞬、身体がベッドから浮き上がったような気さえした。びっくりしすぎて声も出せない。

 ナッシーは、そんな七海に駆け寄るとピョンと膝に飛び乗り、腕を掴みゆっさゆっさと揺すりはじめた。


『き、聞け七海よ! 雨が降るぞ!』

「な、な、な、なん……」

『やっぱりわしは水に関わる神じゃったのじゃ! たった今、確信したのじゃ!』


 興奮して真っ赤になったナッシーは、無遠慮に七海の膝にまたがってベラベラと話始めたのだった。

 心臓がまだバクバク言っているので、あまり大きな声は出さないで欲しいと思う七海だった。

 ミィさんの言葉を信じていた七海としては、今まで疑いながら探してたのかこの忘れん坊神様はと呆れてしまう。でも確信を得たというのなら、一応ここは聞いておくべきだろうと耳を傾けるのだった。


 ナッシーが言うには、特別水が好きなわけではないが、突然の雨に降られたとしても不快ではないらしい。むしろ、かんかん照りで干上がってしまうより、じめじめと湿り気があるくらいの方が心地良いのだそうだ。

 そして、今気が付いたこととは、雨が降ると若干元気が出る気がするということだった。しかも、雨の予兆を感じ取れるような気もするらしい。もうじき降りそうだなと思った時は、かなりの確率で降るというのだ。


「え? え? もしかして、雨の神様?」

『んっふっふっふっふ……』


 ニマーっと笑うナッシーの顔をまじまじと見つめてから、七海はムウと考え込む。一瞬、手がかりを掴んだいや遂に思い出せたのか、とガッツポーズしかけたのだが、なにか引っかかるのだ。

 雨の神様。七海の直感が、これは違うと言っていた。


『七海よ。しかもわしは……』

「でもさあ、あくまでも、かも・・、なんでしょ? そういうのは確信って言わないよ。ってことは、雨の神様は違うんじゃない? 今までに数えきれないくらい雨に降られてきてるのにさ、ずっと気が付かないなんて変だし。だいたい、元気になる気がする・・・・、予兆が分る気がする・・・・、とか言っちゃって、気がするだけなんでしょ?」


 確信したという割に、ナッシーは不確定な言葉しか使っていないのだ。

 そこんとこどうなのよ、と顔を覗き込むと、むぐぐとナッシーは唸り声をあげた。みるみるうちに顔が赤く染まってゆく。


『う……くっ……わ、わしは、水に関わっていると確信したと言ったのじゃ! 雨の神とか言うたのは七海じゃぁ!』

「あ、そうだっけ?」


 七海がしれっと言うと、膝に乗ったままのナッシーが真っ赤な顔で睨み上げてきた。小さな拳をキュッと握って唇を噛みしめている。全身をプルプル震わせて、見たことも無いほど眉をハの字にしているのだ。もう今にも、零れるのではないかというくらい目には涙が溜まっていた。

 ナッシーが何か言いかけてたのも遮ってしまったし、言い過ぎたと七海は焦るのだった。彼は真剣だったのに、それを茶化してしまったのだから。


「ご、ごめん! ナッシーが水関連だって確信できたってことは、一歩前進だもんね! 嫌な言い方しちゃって、ごめんなさい」

『…………』


 よしよしと頭を撫でてナッシーを抱きしる。でも何も言ってくれなかった。

 七海はどうしようどうしようとオロオロと、ナッシーの背中をさすった。泣かすつもりも虐めるつもりも無く、雨の神は違うんじゃないかと言いたかっただけなのだが、嫌味っぽかったと後悔するのだった。

 ナッシーが、せっかく自分で自分が何者か見つけ出すことができそうだったのに、意気を削いでしまったかもしれない。


「うん、水関連だっていうのは私もそう思うよ。ナッシーが確信できたってことは、絶対水でビンゴだって! ごめんね、私が勝手に早とちりして。ねえナッシー、やる気、失くしたりしないでね……本当にごめん」


 おかっぱ頭をよしよしと撫で、またきゅっと抱きしめた。

 ナッシーは七海の胸に顔を埋めたままで何も言わない。だから、泣いているのか怒っているのか拗ねているのか分からなかった。分からないのだが、七海の腕から逃げ出そうとじたばた暴れ出したので、やっぱり怒ってるんだなとしょんぼりしてしまうのだった。

 腕を解いてナッシーを解放すると、物凄い勢いで飛び退いてしまった。


『む、む、胸ぇ!』

「は?」


 ナッシーは真っ赤な顔で七海を指さし、あわあわ言っている。


『お、おな、女子おなごが、そのムニムニをおのこの顔にくっつけるものではないわぁ!』


 真っ赤っかのゆでだこだった。全然、泣いてなかった。

 ぎゅっとハグすれば、当然胸はナッシーの顔に当たっただろうが、七海にしてみれば幼稚園児を抱きしめたようなものなので、恥ずかしくもなんともない。第一、膝に飛び乗ってきたのはナッシーの方だし、ほとんど自分から抱きつきに来たようなものだったじゃないかと思うのだ。

 ナッシーは七海のものの言い方に怒ったかと思えば、今度は胸が顔に当たったとか言って怒り出す。思わず笑ってしまった。


「何言ってんの。意識しすぎぃー」

――マセガキなんだから……。あ、でも中身は幼児じゃないんだった。身体は子ども、中身はお爺ちゃん……


 ぶふふと吹き出すと、ナッシーはダンダンと床を踏み鳴らした。


『これ! はしたないと思わんのか!』


 七海は目を瞬く。ハシタナイ、それってなんですか、ハグしちゃだめなんですか、と首を傾げた。


「……ナッシーって、やっぱり古いんだ。うん、千年以上前からいるんだもんね」


 思わず、感慨深く呟いてしまう七海だった。

 そのあと、慎みを知れとか、大和なでしこというものはとか、ナッシーはギャンギャンとよく分からないお説教をしだしたのだが、七海はするりと聞き流すのだった。

 適当にはいはいと生返事をして、それから尋ねた。


「いやさあ、私はナッシーのこと友達だと思ってるし、結構好きなんだけど、それもはしたない? ダメ?」


 両手を胸の前で握って上目づかいで、ちょっとばかりかわい子ぶってみた。

 目を吊り上げていたナッシーは、うぐっと息をのみ、プイと横を向く。


『ダメではない……』

「良かった。じゃあ、もういいじゃない。それより、水関連って確信したって話の続きを……さっき、何か言いかけてたでしょ?」

『ん? はっ! ああぁぁ!! なんとぉ!』

「なに?! 今度はなんなの!」

『…………すごいことが分ったはずなのに……わ、忘れてしもうた……』

「ええぇ?! ナッシーってさぁ、どんだけ忘れっぽいのよ!!」

『その胸のせいじゃ! その胸が悪いのじゃ!』

「…………」


 人のせいにしないでよと、溜息をつく七海だった。






 夕方から強い風が吹きだした。

 台風が近づいてきているのだ。今はまだ雨は降っていないが、いつ降りだしてもおかしくない空模様だ。

 昨日の予報では、七海たちの町はあまり影響を受けないはずだったのに、急に進路が変わってしまったようなのだ。明日は雨風が強くなるだろう。


 ナッシーは黙って正座し、七海がお供えしたお茶を飲むフリをしていた。七海には背を向けている。さっきから全然目を合わせてくれないのだ。

 胸を顔に当ててしまったのは、ただの事故のようなものなのに、何をいつまでも怒ってるのよと、七海も少々不機嫌になって黙りこくっていた。


――普通さあ、胸触られたって怒るのは女子の方でしょうが! まあ、話の腰を折っちゃって、思い出しかけたことを引っ込めちゃったのは悪かったけどさあ。


 全く会話がないのも苦痛なので、七海はなんとか会話の糸口を探ったのだが成功しなかった。

 ナッシーが雨の予兆が分ると言っていたので、それをきっかけにしようと「明日はひどい雨になるの?」と質問してみたのだが、冷めきった声で「さっきニュースを見て分かっておるじゃろうが」と返されてしまったのだった。取り付く島もない。

 もういいやと窓の外を眺めると、街路樹の枝がばさばさと揺れていた。


「ミィさん大丈夫かな……」


 台風のことをすっかり忘れて、明日行ってみようと言ったものの、行けるかどうか怪しいところだ。それに修理したばかりの祠がまた倒れるんじゃないかと心配になってくる。


「祠の屋根が飛んじゃったら、ミィさんまた雨ざらしになっちゃうなぁ」

『死にはせん』


 ふんと鼻を鳴らしてナッシーが呟いた。まだ、背中を向けたままだったが。

 確かに、神様であるミィさんが台風で死ぬことはないだろうけど、それでも心配なものは心配だ。


『ミィの心配なんぞせんでよい。そなたはわしの巫女なんじゃから、わしの心配だけしておれ』

――なんなの、偉そうに……


 はあっとため息をつくと、ムスッとしたナッシーがやっと振り返った。


『そうやって気に掛ける心が、既にミィを守ることになっとる。力の復活の助けにもなるしの。第一あれは竜神じゃし、こんな台風なんぞどうということもあるまい』

「それもそうね、竜神だもんね」

『……それより、そなたはずっとわしのことを思うておれ』


 ナッシーの頬が桜色になっているような気がして、七海はぽかんと口を開ける。

 ちょっと照れっと、目を逸らしながら言うのは止めて欲しい。


「……もしかして彼氏面しようってんでしょうか? ガキ……いやいや、神様のくせに」

『み、巫女としてわしを尊べというとるのじゃ!』


 七海は目を糸のようにして、ナッシーをじっとりと眺めるのだった。

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