第18話 神様は猫又の行き先がわかる

 ナッシーが真っ赤な顔でそっぽを向いたところで、翔太から電話がかかってきた。何か忘れ物でもしたのかと思ったら、鼻くそ太郎がこっちに来てないかと尋ねてきたのだ。


「帰ってきてたじゃない。マロンちゃんとラブラブしてたの見たでしょ」


 翔太が帰る少し前に、七海の部屋から鼻くそ太郎の鳴き声と姿を見たのだ。

 あれから二時間程経っているが、もう夕方だし太郎が出かけるなんて変だなと七海は首を傾げた。


『俺が帰った時には確かにいたんだけど、今はいないんだ。いつの間に消えたんだか……まったく。もうすぐ雨が降りだしそうだってのに』

「また出かけちゃったの?」

『ん、まあそうだろうな。ちょっと探してくる。なんか婆ちゃんとこ行ったような気がするし……。雨で帰れなくなって雨宿りなんかしたら迷惑かけるしなあ』

「じゃあ、私も行く」


 電話を切ると七海は立ち上がり、ちらりとナッシーを見た。

 ついて行くっていうかと思ったのだが、そっぽ向いたままだった。


「私ちょっと行ってくるね。太郎さがしてくるから」


 返事は無かった。なんとなく気まずいので、七海はそれ以上声はかけなかった。

 鞄にスマホを入れて部屋を出ようと背を向けると、ナッシーの声が聞こえた。


『傘は持っていった方がよいぞ。それから、もしかしたらあの婆ちゃんがまた迷子になっていて、鼻くそはそれを探しにいったかもしれん。この天気にも関わらず出ていくくらいじゃからなあ』

「え? もしかして太郎って、離れててもお婆さんが何してるか分るの? 本当に迷子になってるかもしれないの?」

『多分な。あれでも一応猫又じゃし、かなり懐いとったからのお。それにしても、婆ちゃん助けに行って、自分も七海たちに心配かけるとは、何やっとるんだか……』

「ありがとう、ナッシー!」


 七海が勢いよく家を飛び出すと、既に玄関の前には自転車にまたがった翔太がいた。後ろに乗れと翔太が言う。久しぶりの二人乗りにちょっとドキドキしつつ乗ると、自転車はお婆さんの家に向かって走り出したのだった。

 翔太が全速力で漕ぐものだから、七海は振り落とされそうになる。遠慮がちに翔太の腰につかまるのだった。


「ねえ、翔太もやっぱりお婆さんがまた迷子になってるって思う?」

「まあな、なーんか嫌な予感するし」

「だね……」


 空は薄暗く風も吹き、今にも降ってきそうだ。

 次の角を曲がればお婆さんの家というところで、鼻くそ太郎の声が聞こえてきた。


『早くついてきてニャ! 早く、早くニャ!』


 曲がった途端、白猫が走っていく後ろ姿が見えた。それを追って必死に走る幸子さんも。これは、やはりお婆さんがいなくなったのだと七海と翔太は確信するのだった。


「幸子さん!」


 思いきり自転車を漕いで追いつき、翔太が声をかけた。


「どうしたっすか? お婆さん、また一人で散歩に行っちゃったんすか?」

「あ、あなたはこの前の……。ええ……気が付いたら居なくなってて」

「うちの猫、来たっすよね?」

「そうなのよ」

「その前から、お婆さん居なかったんすか?」

「ええ、多分。探しに行こうと玄関を出たら、あの猫ちゃんがものすごくニャーニャー鳴いてて……。なんだかついて来いって言ってるみたいだったから……」


 幸子さんは青ざめた顔で息を切らしながら、ずっと前の方を走っていく鼻くそ太郎を指さした。すると、太郎が立ち止まってこちらを振り返り苛立った声を上げた。


『翔太、早く来るニャ! この先の公園なのニャ! すぐそこなのニャ! 婆ちゃん転んで立てなくなったニャ! 早く迎えにいくニャ!』

「え?! そ、そんな……」


 思わず、大変すぐ助けにいかなきゃ、と口走りそうになる七海だったが、翔太が遮った。


「じゃあ、俺らが猫についていってみるっすから、幸子さんは待っててください! 大丈夫っす、任せてください!」


 幸子さんには太郎の声は聞こえないのだから、余計なことを言って心配させるわけにいかない。

 さあ行くニャ! っと叫んで走る鼻くそ太郎を追って、翔太もびゅんと自転車を走らせた。

 勢いよく公園に入っていくと、ベンチの前に女の人がいるのが見えた。その人の陰になってよく見えないけど、誰かが座っているようだった。


『あそこニャ!』


 翔太と七海は自転車を降り、そのベンチへと近づいていった。

 女の人はしきりに話しかけている様子で、何度も頷いたり首を傾げたりしてた。それから鞄からスマホを取り出した。


「あの、すみません」


 翔太が声をかける。

 すると女の人が振り返り、ベンチに座っているお婆さんが見えた。泥がついていて、おでこに擦り傷もできていた。


「あ、やっぱ祖母ちゃんだ! ったく探したんだぞ!」


 翔太は馴れ馴れしく話しかける。七海も、すみませんと頭を下げてお婆さんに近寄っていった。

 女の人が、ちょっとホッとしたような顔で言った。


「あ、君のお祖母さんなの?」

「はい、そうっす。俺、孫っす」


 翔太の返答に、七海はハア? と声を出しそうになったが堪えた。

 孫って言っておくのが、確かに一番面倒くさくないのかもしれない。どういう関係って聞かれても説明しにくいし、猫がついて来いって言ったからなんて、もっと言えないのだから。翔太ってとっさに機転の利く奴だなあと感心する七海だった。

 見計らったように鼻くそ太郎が、にゃぁんと甘えた声でお婆さんの足に擦り寄った。お婆さんは嬉しそうにその頭を撫で、膝の上に抱き上げる。


「あらあら、迎えに来てくれたのねえ。ありがとうねえ」


 お婆さんは多分鼻くそ太郎に言ったのだろうけど、良いタイミングだった。

 女の人は、七海と翔太を孫だと信じてくれたようで、表情を和らげ微笑んでくれた。


「すみません、祖母ちゃんちょっと認知症なんす……」

「やっぱりそうだったのね……。転んでたんでここに座らせたんだけど、なかなか立てないみたいで……。雨も降りそうだし、お家に連れていって差し上げようと思ったんだけど、住所も分からないみたいで困ってたのよ。警察に電話しようとしてたところでね」

「ありがとうございます。ご迷惑かけてすみません」

「いえいえ、いいのよ。お祖母さん、足が痛いみたいだけど、二人で連れて帰れる?」

「大丈夫っす! 家近いし、俺おんぶするっす」


 翔太は、ニカっと笑って言った。

 女の人も安心したように笑って、それじゃあ気を付けてねと言って去っていった。





 幸子さんが冷えた麦茶を出してくれた。座卓の上には美味しそうなお饅頭もある。

 七海たちはお婆さん家の和室の客間に通されていた。

 翔太がお婆さんを背負って家まで連れ帰り、怪我の手当ても終えて一息ついたところだった。お婆さんは今、ベッドで寝ている。


「本当にありがとう。助かったわ」


 幸子さんが深々と頭を下げた。

 鼻くそ太郎が取り持った縁で繋がりができたとはいえ、赤の他人に迷惑をかけてしまったと、幸子さんは恐縮しきりなのだった。

 だけど、太郎も時々お邪魔しておやつ貰ったりしてるので、おあいこだよねと七海と翔太は笑う。


「本当に、不思議な猫ちゃんよね……。母の居場所を教えてくれるなんて。ありがとうね……」


 幸子さんは、鼻くそ太郎の頭をよしよし撫でた。

 太郎はというと、お饅頭が気になってというか、食べたくてたまらない様子で座卓に今にも飛び乗りそうだ。でも翔太がギンと睨みを効かせているため、かろうじて踏みとどまっている。


――さっきはお婆さんの危機を報せて、さすが猫又っていうか、賢い忠猫って感じだったのに、今はただの食いしん坊猫じゃない。


 七海はくすっと笑った。

 幸子さんは太郎を撫でているうちに、ふと何かを思い出したようで、ちょっと待っててねと言って立ち上がった。そして、タンスから古い写真を出してきた。


「これ見てくれる?」


 そう言って差し出された写真には、猫を抱いた着物の女の人が映っていた。モノクロで、年季が入っているのか全体に黄ばみがひどく、所々色あせていた。

 七海はその写真を見ているうちに、ふとその猫が鼻くそ太郎にそっくりなことに気付いた。全身真っ白なのに、鼻の横に一つだけ黒いブチがある。なんとなくふてぶてしい顔つきのその猫は、今饅頭を狙っている鼻くそ太郎そのものだった。


「ねえ、翔太……これって」

「マジか……似てるっていうか……」


七海と翔太は頷きあった。これは、きっと六十年生きてきた鼻くそ太郎本人に違いないと思うのだった。


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