第15話 神様は水っぽい

 お供え物を受け、上機嫌になったミィさんは、祠の前で仁王立ちになりナッシーに手招きした。とても親し気な笑顔をしている。


『ところでお前、もしかしてわいの眷属ちゃうんか?』

『ほ? ほほ? ほおぉぉ?』


 突然の言葉に、ナッシーは声を裏返らせ、七海と翔太は目をまん丸にして固まってしまった。


『ミィの眷属ということは……な、な、なんと! わしも竜神じゃったか!?』


 ビョンと飛び跳ね、ナッシーは祠の前に立つミィさんの前に滑り込むように正座した。期待と喜びで目がキラキラしている。

 釣られて七海と翔太も、並んで正座してしまった。ナッシーの正体が、本当に竜神なのか、大いに気になるところだ。

 しかし、ミィさんは小バカにしたようにフンっと鼻で笑った。


『ちゃうちゃう、水がらみなんちゃうかって言うとんねん。なんとなくやけど、お前水っぽいやん? 初めに見た時から、知り合いちゅうか遠い親戚みたいなんちゃうかなって思とってん』


 竜神ではないが、水にまつわる神である可能性あり、という事のようだ。

 それにしても、なんとなく水っぽいという台詞に、思わず七海と翔太は顔を見合わせてぷぷっと笑ってしまった。

 それに対して、言われた本人は全く気にしてないようで、かなり食いつきがいい。


『ほうほう! して、わしは川の神か、海の神か?』

『そんなんちゃうやろ。ドブ川とか、底なし沼とかとちゃうか?』

『…………ミィよ、ふざけておるのか?』

『なにゆうとんねん、本気やって! お前の正体探すん手つどうたってんねんで? 絶対、水がらみやって』

『水がらみはいいが、ドブ川とはなんじゃ! バカにしておるのか! わしはドブ川みたいに臭くない!』

『お前、ドブ川に失礼やぞ! 謝らんかい! 名なしのくせ!』

『なんじゃと!』

「まあまあまあまあ」


 睨み合う二人の神様を、あきれ顔の翔太が止めた。

 その横で、七海もはあと大きく息を吐いた。ドブ川や底なし沼だなんて言われてしまっては、ムッとしてしまう気持ちはまあ分かるのだが、すぐにカッカするのは止めて欲しいし、ミィさんもあんまり煽らないで欲しい。

 それにしてもミィさんは、ナッシーが水にまつわる神様だとかなり確信をもって言っているようで、これはすごい有力情報だと思う。

 ナッシーのどの辺が水っぽいのかてんで分からないが、竜神であるミィさんがそういうのなら多分そうなのだろう。

 海や川の神ではなくドブ川と言われて、ナッシーのテンションはダダ下がりになってしまったが、有名どころの神様だったら人間から忘れられるはずないのだし、きっとミィさんみたいに小さな祠に祀られていた小さな神様なのだろう。


『水っぽいんは確かやけど、それ以上はよう分からんわ。誰もお前を覚えとらんのやったら、もう何者でもないっちゅうことやし、この際大ざっぱに水の神様っちゅうことで収めといたらええんとちゃう? 知らんけど』

『うが! 分からんのなら、気を持たせるようなことを言うでない! ムカつくヤツじゃ!』


 ナッシーがミィさんのすぐ前でパンと手を叩くと、驚いた小さな神様はステンと転んで祠にぶつかった。


『何すんどい! この名なしぃ!』

『そなたがわしをバカにするからであろうが!』

『暴力反対! 悪霊退散! 邪神消え失せろ!』

『だ、だ、誰が邪神じゃぁ! し、失敬なぁっ!』

「やめなよ二人とも!」


 危うくつかみ合いになりかけた神様たちの間に、七海は慌てて割って入った。しかし、二人は落ちてる小石を投げ合うわ唾飛ばして怒鳴り合うわで、なんだかしっちゃかめっちゃかだ。七海が何度も止めてと言っても、どちらも聞く耳を持ってくれないのだ。

 翔太はしょうがねえなと笑いながら、ひょいと肩にナッシーを担ぎ上げる。


「はい、今日はもうお終い! ミィさん、また明日な! これで今夜はゆっくり休めるだろ。おいナッシー暴れんなよ」


 足をジタバタさせて、降ろせ離せと喚くナッシーを担いだまま、翔太は七海に行くぞと合図する。

 今日の目的である祠の修理はとりあえず完了したし、色々話も聞けたし、収穫はあったと言えるだろう。

 ミィさんに手を振り、七海たちは祠を後にした。





 家に帰ると、ナッシーは暗い顔をして段ボール製の社に引きこもってしまった。

 ミィさんに言われた「もう何者でもない」という言葉が、かなり気に入らなかったようだ。いや、気に入らないというよりも、今まで他に神様たちにも散々言われてきた屈辱を思い出して、少々鬱気味になっているようだった。

 段ボールの社に閉じこもって『どうせわしは……どうせそのうち消える……どうせ』と暗い声で何度も呟いているのだ。


 翔太は、陰気なヤツだなあ付き合いきれん、とあきれ顔をしながら、七海の社会の歴史の資料集をペラペラめくっていた。千年前に何か事件があったんじゃないか、という今日の推理の裏付けを始めているのだ。

 七海もそちらが気になって仕方が無いのだが、まずはナッシーに機嫌を直してもらおうと、お供えの用意をするのだった。

 お父さんのお酒をこっそり失敬し、コップに入れた。正式な神棚のお祀りの仕方にできるだけ近づけるために、水と塩と生米も用意した。すぐに片付けないと、お母さんに何しているのと怪しまれそうだ。


「……ねえナッシー、お供えだよ。元気だそうよ」


 段ボールに開いた丸い出入り口に向かって、七海はそっと話しかける。

 でも返事はない。

 パンパンと手を打って軽く拝み、続けた。


「今、翔太が年表調べてるよ。私もナッシーの名前を探すの、諦めてないよ」

『…………』

「きっといつか思い出せるよ。ナッシーだってどこかにご神体が残っているはずだって言ってたでしょ。一緒に探そうよ」

『…………』

「ね、だから、まずはお供え物からパワーもらってさ、元気だしてよ」


 やっとナッシーは、ちらりと顔を覗かせた。

 七海はにっこり微笑んで、更に語りかける。


「水に関わる神様かもしれないって、有力情報も掴んだんだしさ」

『……あのボケナス、きっと適当な事を言うとるだけじゃ』

「そうかなあ。自信が無かっただけじゃない? だってさ、仲間かもって思ったって言ってたし、友だちになれそうな雰囲気もあったじゃない」

『いいや、わしをバカにしておった!』


 折角、顔をだしたナッシーだったが、また引っ込んでしまった。


「もう放っとけよ。それよりさ、年表見てみろよ。千年前ってさ、藤原氏がどうたらこうたらとか、枕草子とか源氏物語とかでさ……それっぽいのねえぞ。それに、これって結局、京都の出来事だろ? 地方のことなんか分かんねぇじゃん?」

「うーん、だよね……」


 ナッシーのご機嫌取りはまた後でと、七海は翔太の隣に座った。年表を覗き込むと、翔太はスッと離れてため息をつく。お手上げといった顔だ。

 中学の資料集程度では、調べるにしても限界がある。平安時代の歴史といっても都の貴族社会の話ばかりだし、第一まだ授業で習ってもいない。

 諦めてないと言ったものの、七海も頭を抱えたくなってしまう。

 それでも、眉間に皺を寄せながら年表を見たところ、確かに翔太の言う通り西暦一〇〇〇年を中心に前後二、三〇年、特に目立った変事は載っていないし、いくら太字で藤原道長の名が書かれていたって、ナッシーと関係があるとは思えなかった。

 翔太が、ダルそうな声を上げながら伸びをする。


「例えばさ、洗濯板から洗濯機に代わったのって、超便利になって生活激変したわけだろ? これも一つの大事件だろ? そういう意味の大事件が、もしも平安時代にもあったとして、それを俺らで調べられると思うか?」

「うーん……どうなんだろう」

「おい、悩むなよ、バカじゃね? 無理に決まってんじゃん」

「バカっていうな!」


 ニヘへと笑う翔太に資料集を投げつけて、膨れる七海だった。

 図書館で調べるとしても、何をとっかかりにすればよいのかも分からない。この町の歴史だって、平安時代まで遡れるのかかなり怪しい。

 しかし、悩むまでもなく無理だという翔太は、多分正しいのだろうがムカつくのだ。無理だと言い切るな、と七海はキッと目を吊り上げるのだった。


「翔太は諦めたってこと?! この前は、私に真剣みが足りないとか言ったくせに!」


 七海が大声をだすと、ナッシーがコソッ顔をだして様子を伺い始めた。もう探すの止めた、なんて言われては大変だと、少々焦り始めたのかもしれない。


「違うって。歴史を調べるのはやっぱ俺らには無理だって言ってるだけ。おい! ナッシー! いつまでも不貞腐れてねぇで出て来い! お前が自分でやる気ださないと、どうにもならないだろ」


 仕方なし、とった具合にナッシーは社から出てきて、いつもの幼稚園児サイズになると七海の隣にちょこんと座った。


『わしにどうしろと言うのじゃ……』

「ミィの言う事を信じて、水関連で調べるしかねえだろ。こないだみたいに匂い嗅げよ。水のあるところのさ。地道にいこうぜ」

『う、うむ……』


 そういうことかと七海も頷く。

 ただ漠然と町を歩き回るだけより、水にちなんだ場所に限定して匂いを確かめてみるのなら、初めよりはやりやすそうだ。それにミィさんがもう少し力を取り戻したら、他にも思い出してくれるかもしれない。


「ってことで、明日は川の方に行ってみようか」

「そうだね」

『……うむ、でもミィは川の神ではないと言い切りよったぞ。おまけにわしを邪神などと言いよった』


 口を尖らせて、ナッシーが呟く。フンと軽く拗ねてみせるのだが、邪神という言葉を口にした時、少し唇が震え目が泳いでいるのを七海は見逃さなかった。

 ミィさんの悪口は、思った以上にナッシーにはずっしり重いボディブローとなって効いていたようだ。


 神様への最大級の悪口は「邪神」なのかもしれない。

 ナッシーは自分で自分が誰だか分からないから、否定しきれなくて不安になるのだろう。チラリと見上げてくる目は、なんだか頼りなさげだった。

 七海は、邪神だなんて思ってないよという意味でにっこりと微笑んでみせた。

 翔太にも、ナッシーの不安は伝わっているようで、苦笑しながら小さなおかっぱ頭をワシワシと撫でまわすのだった。


「気にすんなよ。それに川の神じゃないって分っただけ、前進したじゃないか。喜べよ。それ以外の可能性を探せばいいんだから」

『…………』

「翔太ってポジティブだよね」

「まあな。……そうだな、船の神様ってのもあるかも、だろ? まあ色々試してみようぜ。近づけばピンと来たりするかもしれないし」

『……そうじゃの』


 やっと、ナッシーはほんのりと笑みを見せた。

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