第20話 神様はへっちゃら

 台風一過。昨日と打って変わって、今朝は青空が広がっている。

 七海たちは早速、一日延期になってしまったミィさん詣でに出かけた。祠が壊れていないか心配だったし、ミィさんが吹き飛ばされたんじゃないかと気がきでなかった。

 自転車を漕いでいる間、七海も翔太も無言で、前かごに収まったナッシーだけが気持ちよさげに鼻歌を歌っていた。

 台風前夜、ナッシーは自分が水にまつわる神だと確信し、七海との出会いは太郎のように縁が巡り巡ってきたからこそだったのだと希望を見出して、ちょっと気分が良いようだ。

 何か考えが浮かんだのに、喉まで出かかって引っ込んでしまったことは、またいずれ時がくれば思い出すだろう、とすっかりお気楽モードだった。


 これを聞いた翔太は、ようやく情緒不安定が落ち着いたかと笑ったのだが、実はそうでもないと七海はため息をつく。

 ナッシーは、七海を自分の巫女だとやたらと繰り返し、デヘヘと照れ笑いなんかしちゃったりするのだ。初めて会った時にも言っていたが、波長が合うのだとか、運命の絆だとか言うし、家の中でも外でもまとわりついてくるのだ。なんだか頬を染めたりなんかして。

 異常だ。ちょっと気持ち悪い。情緒不安定は継続中だと思う。

 今朝も、翔太が七海に近づくと何気なさを装いつつも、間に入りこんじゃったりしているのだ。翔太は気が付いてないようだけれど。

 とにかく、ナッシーはなんだかヘンだと思う七海だった。


 などと思っている間に学校に到着した。

 校門の前に自転車を止め、歩いてフェンスまでいく。そして二人は、誰も見ていないことを確かめてから素早くフェンスを乗り越えた。

 林の中はぬかるんでいて、予想通り靴はあっという間に泥だらけになってしまった。

 風で折れた枝があちこちに落ちている。結構太い枝も折れていたし、木自体も根が浮いて斜めに傾いでいたりする。

 台風が残していった爪痕に、唖然とする七海だった。祠がまた横倒しになっているのを想像してしまって、ぶるぶると頭を振るのだった。


「祠、倒れてないといいね」

「うーん……無理じゃね?」

「ねえ! なんでさあ、そうだねって言えないかなぁ!」


 翔太だって、ミィさんを心配しているし祠も無事であればいいと思っているからこそ、朝から見に来ているはずなのに、全く素直でない。しかも、呆れる七海を見てヘラヘラ笑うのだから、小憎たらしいたらありゃしないのだった。


『七海よ。無理なものは無理なのだから、本人が無理と言うて何が悪いのじゃ? この翔太に、昨日の暴風でもびくともしない完璧な修理ができていたと思うのか? 思わんじゃろ? わしは絶対に無理じゃと確信しておる』

「クソやかましいわ!」

『なぜ怒る? そなたに加勢してやったのに』


 ふふんと笑うナッシーの方が、更に小憎たらしかった。

 悔しがる翔太の気持ちは分かるが、ぬかるんだ地面で地団太を踏むのは泥跳ねするのでやめて欲しい。

 体育館の裏を横に見つつ、裏門跡に近づいていく。ミィさんの祠はもうすぐだ。だが、もうすぐのはずなのに何も見えない。

 七海たちは無言で進んでいった。

 祠を修理して周囲の草をきれいに刈ったのは四日前だ。以前のように草ぼうぼうになるにはまだ早い。だから少し窪んだそこだけ草が無い。

 そして草が無いだけではなかった。


「…………」

「…………ミィさん」


 その窪みには雨水が溜まっていた。平たい石が辛うじて顔を出している。割れた木切れも浮かんでいた。真新しいベニヤ板も古い壁板も、数メートル先の草むらに沈み、ほんの少しだけ顔を覗かせている。

 祠は吹き飛ばされ、木にぶつかり砕けてしまったようなのだ。


『木っ端微塵、じゃな……』


 最悪の予想よりも最悪だった。ここまで酷いとは思いもしなかった。

 じわりと七海の目に涙が浮かんでくる。翔太も黙って拳を握り締めていた。二人は惨状を見つめて立ちすくんでいた。


『見事なまでの壊れっぷりじゃ』


 横倒しになっていた祠を起こしたのが、返って仇になったのかもしれない。風をもろに受けてしまったのだろう。

 屋根を張り替えたり壁を補強するだけはダメだったのだ。腐りかけていた柱も替えなくてはいけなかったし、土台にしっかり固定すべきだったのだろう。それができる技術も知識も持っていなかったが、もう少し気を遣っていればなんとかなったのではないかと、七海と翔太の胸にずしんと後悔が重く沈んでゆくのだった。


『ここまでくると、いっそ潔いのぉ。清々しいくらいじゃ』


 ほほぉと感嘆の声を上げるナッシーを、二人は一斉に睨みつけた。


「お前っ! 黙れよ!」

「酷いよナッシー! ミィさんも祠と一緒に吹き飛ばされたかもしれないのに!」


 無神経な事を言っておいて、非難されるとキョトンと首をかしげるナッシー。なぜ七海たちが怒るのか分からないという顔だ。


『何を言うとるんじゃ? ミィは竜神じゃぞ。台風くらいどうということはないと、教えてやったではないか』

「でもいないじゃない!」

『そこにおるぞ』

「え?」


 ナッシーが祠の土台だった平たい石が浸かっている水たまりを指さした。

 驚いた七海はさっと視線を走らせ、小さなミィさんがこの水たまりで溺れてるんだろうかと、その姿を探した。でも、誰もいない。

 翔太が水たまりの縁にしゃがみ込んで覗き込んだ。

 すると、不意にポツンと水面に輪が浮かんだ。そして二重三重と輪が続けて広がってゆく。


「…………え?」

「ひゃっ!」


 思わず七海は後退り、翔太の後ろに隠れた。

 輪の中心から小さな真っ白な蛇が顔をだしたのだ。赤い目をして、口からは赤い舌をチロチロと出している。


『いやぁ、昨日は凄い嵐やったなあ』


 蛇が喋った。しかも聞き覚えのある声だ。


「……え? まさかミィさん、なの?」

『せやでぇ』


 確かに声はミィさんだ。呑気なその声に、ガクッと力が抜けてしまう七海だった。

 そもそもミィさんのミィは「巳」で、「巳」は蛇なのだから、彼の正体は白蛇ということらしい。

 びっくりさせないでよとブツブツ呟きながら、七海は翔太の陰から出てくる。


『ちょうどええ池やろ。せっかくやから、ちょっと泳いどってん。気持ちええでぇ、ハッハッハ』


 心配したのがバカらしくなるくらい、ミィさんは能天気に笑う。ここは笑う所ではないような気がするのだが。

 でも、吹き飛ばされたりしてなくて、元気で良かったとホッとした。


「ミィさんって蛇だったのね」

『ただの蛇とちゃうで。なんちゅうても、わいは竜神様やからな』

『どこの竜神かは覚えておらんのに、よく威張れるものじゃ』


 ナッシーがからかい始めたので、七海は止めなよと軽く頭をこづいた。何もかも忘れてるヤツの言うことか、と思う。第一、今から名前探しを頼む相手に、絡んでどうするんだとため息がでてしまう。


『……んん、せやなあ。今となっては大元がどこの誰でもええわ、っちゅう感じやな。昨日の雨が地面にいっぱい吸い込まれていって、地下の深ーい所を流れていく音が聞こえてきてな、なんか懐かしなって……』


 言い返してくると思ったのに、なんだかミィさんはかしこまった口調になっていた。水たまりの中をスーッと一周泳ぎ、七海たちの前で止まるとじっと見つめて来る。


『ありがとうな、七海、翔太。お前たちに会えてほんま良かった。楽しかったで。社、また壊れてもうたけど、修理してくれた時はめっちゃ嬉しかったし、お供えしてくれたんも凄い嬉しかったで。短い間やったけど、わい、今までで一番楽しかったわ。人間と話せるなんて、そうそうないからなあ。ほんまありがとうな、忘れへんで』


 ドキリと心臓が鳴った。

 なんだかお別れの言葉みたいで、なんで急にそんなこと言うのと、七海はプルプルと頭を振った。


「何言ってるの? 社ならまた作ろうよ。翔太が作ってくれるよ。ねっ翔太」

「え? お、俺ぇ? んー、ああ、まあな」

『二人とも優しいなぁ。でも正直いうて社はもうええねん。わいの役目はもうとうに終わっとったんやし。七海、翔太、ホンマ感謝してるで。元気にしいや』

「ちょ! ちょっと待ってよ!」


 七海は水たまりの縁にしゃがみ込んだ。

 まだ出会ったばかりなのに、さよならなんてしたくないのに、なんだかミィさんはもうすぐいなくなるようなことを言う。社が無くなって、神様パワーが減ってしまったのだろうか。まさか消えてしまうのだろうか。

 不安で胸がキュッとなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る