第10話 神様は見捨てられた

 七海はベッドに寝ころんで、ハアッと大きく息を吐いた。夕食も済み、シャワーも浴びて、寝る前のくつろぎタイムだった。

 今日は本当に疲れてしまった。沢山歩いたし走ったし、猫又を見つけるわ、迷子のお婆さんには遭遇するわ、色々あり過ぎて考えるのか嫌になってしまう。なのに次から次へと、断片化した今日の出来事が頭の中に浮かんできてしまう。


「ああ、結局、手がかりは無かったね……」

『……うむ』


 お婆さんを見送った後、帰る道々猫又に質問した。正確なところは分からないが、なんと猫又は齢六十を超えるらしい。ナッシーが言った通り、猫又は本当に長生きしていた。

 だが、分かったのはそれだけだった。ずっとこの辺りで暮らしてきたそうだが、ナッシーのことなんて全く知らないと言うし、何か古くからある曰くつきの建物や場所を知らないかと尋ねても、即座にそんなもの知るもんかと首を振るばかりだった。


『まったく、あの鼻くそ太郎め、役にたたん奴じゃ! 昔の猫又のような妖力もなければ、知力もない! あれでは単なる長生きしてるだけの猫じゃ。せめて、もっと地元の歴史研究でもしておけばよいものを! 六十年も無駄にダラダラしおって!』


 巣箱型の社の丸い入口から顔を出して、ナッシーが悪態をついていた。彼が名前を忘れたのは千年も前のことなのだから、還暦過ぎた程度のひよっこ猫又に当時に繋がる情報がある訳がない。猫が歴史の勉強なんかする理由もない。むしろ、手がかりなんて持っていなくて当たり前なのに、酷い難癖だ。

 六十年を無駄にしたなんて言うけれど、だったらナッシーは千年を無駄にしたんじゃないのと、七海はちょっと意地の悪いことを思ってしまう。


 鼻くそ太郎というのは、猫又に付けた名前だ。ちなみに翔太が名付け親である。

 全身真っ白だけど、鼻の横に一つだけある黒いブチが鼻くそみたいだといって、そう呼んだのだ。

 猫又の目がギラリと光り、全身の毛が逆立ったのは言うまでもない。翔太の頬には赤い線がまた増えたのだった。


「じゃあ! なんつう名前なんだよ!」

『お前みたいな阿呆に教えてたまるか! ニャンの名前はとってもとっても大事な名前なのニャ! 魂に刻まれた、大事なものなのニャ』


 フギャーと睨み合う猫又と翔太を、ナッシーは若干虚ろな目で眺めていた。地味に傷ついたらしい。大事な名前を失くした身としては、グサグサとくるものがあったのだろう。

 この後から、ナッシーは更に不機嫌になってしまったのだった。


 その鼻くそ太郎は今翔太の家にいる。

 ナッシーは、鼻くそ太郎も七海の部屋に連れて来るつもりにしていたようだったのだが。

 七海の家の前まで来たとき、翔太ん家の美猫マロンちゃんが丁度見回りから帰ってきて、その愛らしい姿に鼻くそ太郎は一目惚れしてしまったらしい。

 翔太の家に住むのだと勝手に決めて、マロンちゃんにニャンニャンと愛想を振りまき、後について中に入ってしまったのだった。


「おいこら! マロンに手ぇだしたら承知しねえぞ!」


 頭を掻きむしりながらも、しょうがねえなあと翔太は苦笑した。

 そしてピッと親指を立てて、任せとけと七海たちに頷く。


「あの鼻くそから、できるだけ聞き出してみるから」


 こうして、猫又は翔太に任せることになったのだった。

 ナッシーの名前に繋がる情報を引き出すのは難しいだろうが、少なくも七海や翔太よりは長生きしているのだから、この町の事はきっとよく知っているだろう。

 もしも猫又鼻くそ太郎の証言から「この町はナッシーの故郷ではない」ことが分ったとしたら、それはそれで収穫だ。無駄に探し回らなくても済み、別の場所に探しにいけるのだから。

 でも、今日一日歩いた感想として、ナッシーはやっぱりこの町だと言い張っている。

 七海は大きな欠伸をして、部屋の灯りを消した。ベッドにごろりと寝ころんだ。

 ナッシーも段ボールの社の中に引っ込む。


「おやすみナッシー。寝心地はいい?」

『上々じゃ』


 台詞とは裏腹にムスッとした返事の後は、しんと部屋は静まり返えった。

 疲れているのに、七海は目が冴えて仕方が無い。何度も寝返りを打ち、それから窓の外の街灯がうっすらと照らす天井を眺めた。


『…………のう、七海。わしは、なんで自分の名前を、自分の身の上を忘れてしもうたのじゃろうなあ……』

「なぜ忘れたかは問題ではないって言ったの、誰でしたっけ?」


 今までと言ってることが違うじゃないかと、呆れてしまう。九九がどうのこうの言って、屁理屈言ってたくせに何を言いだすのやらと。


『今日の婆さんを見て少し思ったのじゃ。人間は年を取れば、誰でも忘れっぽくなるもんじゃが、あの婆さんは認知症という病気のせいじゃろう。原因があって、忘れて易くなっておるという事じゃ』

「……そうね」

『原因を取り除けば、物忘れしなくなる、ということもあるじゃろう』

「あるかもね」

『わしも、忘れた原因を特定して排除すれば、思い出せるのじゃろうかのぉ』

「そっか、ナッシーは認知症だったんだ」

――幼稚園児の姿をした認知症の神様……うーん、シュール……


『何を言うか!』

「……まあそれは置いといて、今まで一度も原因を探ろうとしたことないわけ?」

『無くは無い。じゃが、自力ではさっぱり分からんかったのじゃ。誰も手伝ってくれんし、わしも意地になって一人でなんとかしようとしとったからのぉ……。あの頃は、まさか、こんなにも思い出せないままになるとは思いもしなんだ……』


 ナッシーのしんみりした声が、薄暗い部屋に広がる。

 恐らく、ナッシーはナッシーなりに努力したのだろう。

 でも、今日のお婆さんが自分で自分の症状の原因を特定して取り除く、なんてできないように、名前を忘れた本人であるナッシーにもその原因を見つけ出すなんて、無理な話だったのだろう。


『第三者的視点や、協力者の存在無くして、わしの名前は取り戻せないとようやく悟った時には数百年経っとったしのぉ』


 もっと早く気付けよ、と言いたくなるのを七海はぐっと堪える。

 気が長いのか意地っ張りが過ぎるのか、はたまた両方なのか、今となってはどうでもいいのだが、ここに至って人間である七海たちに助けを求めてきたということは、やはり切羽詰まっているということなのだろう。


――でも、やっぱり自業自得感はあるけどね……。


 意地を張っても何も良いことは無い、といういい見本だなと苦笑した。

 

『これ、七海! 笑ったの聞こえたぞ! まったく……わしだって、ただただ強情を張ってた訳ではないぞ。神様同士の交流というのは、結構難しいものなのじゃ。そもそも神とはたたるものじゃ。中には、相手が同族であっても一切お構いなし、というおっそろしい奴もおるのじゃぞ。わしの様に穏やかで品の良い神ばかりではないのじゃ。荒ぶる神など、近寄れたものではない。それに、名前を失くした奴なんぞ、もう神とは認められんという奴が大半じゃったしなあ。わしは、一人ぼっちじゃった。爪はじきじゃ。皆に見放されたんじゃ……』


 初めは怒っていた声が、だんだん力を失くしていった。

 ナッシーが呑気に遊んでばかりいたとは思ってなかったが、七海が想像していたよりも、ずっと過酷な年月を過ごしてきたのかもしれないと思うと、笑ったことをちょっと後悔した。

 それにしても神様仲間も冷たいものだなと思う。ナッシーが穏やかで品が良いかどうかは置いておくとしても、困っているのは確かなのだから少しくらい助けてあげてもいいのにと。


「記憶を失くす前のナッシーって…………実は、嫌われ者だったとか?」

『な、な、なんということをぉぉ! そ、そ、そ、そんなことある訳がなかろうがぁ! この愛らしくも神々しいわしが嫌われ者な訳が、な、な、ないじゃろうがぁ!』


 ムキになるナッシーの声が裏返っていた。

 冗談よ、と七海はクスクスと笑った。動揺しつつも、自分を賛美することは忘れないあたり、嫌われ者の片鱗が垣間見えるような気もするのだが、それはもう口にしないでおいた。

 記憶を失くす前と後で、性格が変わっていないとは言い切れないし、以前のナッシーがどうであれ、七海は今のナッシーしか知らないし、全然嫌いじゃないのだから。ナルシストっぽいけど、単純で素直なナッシーを、七海は弟みたいに可愛く思うのだった。


「……私は見放すつもり無いから……。そりゃ、絶対名前見つけてあげる、なんて言えないけど……ずっとここに居ていいし、お供えもしてあげる」

『おお! それは心強い! 頼んだぞ七海』

「うん、また明日考えよう」

『そうじゃの』


 おやすみと挨拶を交わして目を閉じた。


 もしも、お母さんやお父さんが年を取って七海のことを忘れてしまったらどうしよう。反対に七海が両親のことも翔太のことも、友だちも先生もみんな忘れてしまったらどうしよう。

 そんなことを考えると、切なくなってきた。


 誰かに忘れられてしまうということは、その人の思い出や人生の中から七海が消え去ってしまうということだ。その人の中では最初から存在しなかったということになってしまう。なんて悲しくて辛いことだろう。それが大事な人だったら、尚更に。

 そして反対に、自分が大事な人たちを忘れてしまったとしたら、誰だか知らない人が何故か親し気に声をかけてくる、そんな風に感じるのかもしれない。それが両親や友達だとは、全く理解できずに。周りが知らない人だらけに見えてしまうのだ。

 今までの思い出もごっそり消えてしまい、きっと七海は空っぽになってしまう。それはまるで死ぬのと同じようだと思った。


――そっか……私、ナッシーの辛さ、何にも分かって無かったんだ……


 七海は社を見上げて、ごめんねと心の中で呟いた。


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