第7話 神様はあやかしを追いかける

『追え翔太! 猫又を捕まえるのじゃっ!』

「おう!」

『絶対逃がすでないぞ!』

「って、おい! 命令すんな!」


 文句を言いながらも、翔太は走り出した。猫が乗り越えたブロック塀に、ガッと足を掛け軽々とよじ登って覗き込む。だが塀の向こうは民家の庭なので、入るわけにはいかず、翔太はすぐに降りて来た。


「あんにゃろ、俺が乗り越えて来ないって分かってやがる! 余裕こいて歩いていきやがった! お前も来い!」


 翔太はダダダッとコンビニの駐車場を出て、道を走って行く。家を回り込んで、猫又の立ち去った方向に向かうようだ。

 ナッシーは両手をバッと広げて、翔太を追って走りかけた七海の前に立ちふさがる。邪魔してるのかと思ったら、抱っこの要求だった。


『わしは足が遅い!』

「もう! っていうか、なんで猫を追いかけないといけないのよ」


 仕方なく七海がしゃがむと、ナッシーはスルリと肩にまたがった。何するんだ、肩車なんて無理だと思ったが、全然体重は感じない。ナッシーが頭をポンポンして行けと合図したり、足を揺らしているのはしっかり感じるのに、重さはまるで無いのだ。なんだか不思議な感覚だ。

 七海はナッシーを担いで、どんどん先に行ってしまう翔太を追った。足の速い翔太に追いつける気はしないのだが。


「ねえ、ナッシー! 説明して!」


 いきなり猫又が現れるは、なぜかそれを追いかけるハメになるは、何が起きているのか意味が分らない。

 翔太だって絶対にわけ分かってないはずなのだが、細かいことは後回しにしているのか猪みたいに走っていってしまった。でも、七海はちゃんと説明してもらいたいのだ。

 ナッシーはとにかく追えと、急き立ててから、仕方ないから教えてやるといった感じで話し始めた。


 七海たちは普通は見えるはずのない「神様」が見え、意思の疎通ができるようになった。それは人でないモノが見えるようになったという事で、つまり七海と翔太は、ナッシーだけでなく、妖怪の類も見えるし話もできようになってしまったのだ。さっきの猫の声が聞こえたのはそのせいだ。

 ただし、猫又は元々は普通の猫だったので、その姿自体は普通の野良猫として誰にでも見えているのだが。


 ナッシーは、あやかしなんぞ珍しくない、その辺にいくらでもいるぞ、なんて軽く言う。ほら、あの交差点の真ん中にも足の無い誰ぞが立っておるぞ、とゾクリとするようなことをさらりと言う。幽霊なんて全く怖くないようだ。

 神様だから色々なモノが見えても平気、というか、自分がその色々なモノの部類に入っているんだから、怖いはずもないのだろう。

 七海もしゃべる猫に驚きはしたが、怖いとは思わなかった。むしろ、慌てふためく姿には愛嬌があると思ったくらいだ。


『あの猫又、中々の面構えをしとった。相当悪さを重ねてそうじゃ』

「悪さって、どんな?」

『人様の庭を荒らしてうんちしたり、ごみ箱を漁ったり、餌をかっぱらったり……じゃな』

「それって、ただの野良猫! それくらいいいじゃない」


 なぁんだと、笑った。

 悪さをする妖怪といっても可愛いもんねと思う。


『笑っている場合ではないぞ。猫又は、人を惑わしてさらったりもするのじゃ。あれは絶対、二、三人はヤったことのある顔じゃ』

「え……それはダメじゃない、止めなきゃ」


 人さらいもするなら、やっぱり危険な妖怪なのかと、真顔になる。

 頭の上から聞こえてくるナッシーの声は、不機嫌そうだった。


『ふーん。そうか、人をさらうのはダメじゃが、それ以外は良いというのか。七海は部屋を荒らされてもおやつを取られても、止めないのじゃな』

「いや、そういうことじゃなくて……」


 ナッシーは、何処に行ったか分からない猫に向けて、しれっと叫ぶ。


『おーい猫又ぁ、七海の部屋はうんちしてもいいんじゃとよー』

「わー、止めてよ! ごめん、それもダメですぅ!」

『ふん! 悪さは悪さじゃ。あれは良くて、これはダメなんか無いのじゃ』


 ナッシーはやっぱり、ちょっと理屈っぽくて面倒くさいヤツだと思う。

 翔太が先に曲がった角を、かなり遅れて七海も曲がると、随分先の方でハアハアと肩で息をしている翔太が見えた。キョロキョロとしているところを見ると、猫又に追いつけなかったか、見失ったのだろう。


『不甲斐ない男じゃの……』

「何をぉ?!」


 遠いのに翔太はとても耳聡く、ムキッと歯をむいた。ドスドスと大股で、七海に向かってくる。睨んでいるのはナッシーの事なんだろうけど、そんな怖い顔で近づいてこないで欲しい、と七海はちょっとたじろいでしまう。


「大体、あいつを捕まえてどうしようってんだよ?!」

『猫又は長生きじゃからじゃ』

「意味、分からん!」

「あのさナッシー、もうちょっとちゃんと説明しようよ……」


 ナッシーには当然でも、こっちには分からないことがいっぱいあるんだって、早く気が付いて欲しいものだ。


「なんで肩車してんだよ……怪力女かよ。まあ神輿担ぎたいって言うくらいだしな」

「うるさい、バカ翔太」


 むすっとした翔太は、七海の肩に乗っかっているナッシーをグイと持ち上げた。

 が、予想外に軽いというかほとんど重さがなくて、翔太は勢いあまってよろけながら自分の頭の上まで、ナッシーを掲げ上げてしまった。口があんぐり開いている。


「軽っ! 紙みてぇ! ああ、様ね。カミはカミでも紙だったと……」

『違うわい!』





 猫又というのは、長く生きた猫が妖怪化したもので、怪談などでは人をさらったり食い殺したりする話もあるらしい。

 さっきの猫又が、怪談と同じことをしたかは別としても、相当長生きしていそうだとナッシーは言う。放つオーラが普通の猫とは段違いなんだそうだ。

 それから、猫の縄張りはさほど広くないので、あの猫又も恐らく地域密着型だろうと。多少、普通の猫より行動範囲が広いとしても、この町内で生きてきたはずだというのだ。

 となると、今まで野良猫だと思っていたのが、実は猫又だった、という事も結構あるのかもしれない。


『じゃから、とっ捕まえてこの辺りの歴史なんぞを吐かせたら、もしかしたらわしの名前に繋がるものがみつかるかもしれん!』

「なるほど、そういうこと。でもどっか行っちゃったよ?」


 町内といっても、そこそこ広い。町中を探しまわるなんて大変すぎると思う。

 だが翔太は自信ありげに答えた。


「大丈夫。猫って、毎日同じところをパトロールするんもんだから。俺んちのマロンもやってる。だから、そのうちまたコンビニに戻ってくるだろうし、今日はダメでも明日なら同じ時間帯に昼寝してると思うぜ」


 家で猫を飼っている翔太は、任せとけってといった顔をしている。

 ちなみにマロンちゃんとは、茶トラのとってもかわいい女の子だ。さっきの猫又みたいないかつい大柄でも、目つきの悪い顔でもなく、本当に気立ての良い美人さんで、翔太も七海もメロメロなのだ。


「本当? 妖怪でも、縄張りのパトロールとかするの?」

「するんじゃね? 妖怪っていっても猫だし」

『そうじゃ! そうじゃ!』

「とりあえず、その辺歩いてみる?」

『うむ! 行くぞ! ついて参れ!』


 ナッシーはとても張り切っている。元気よく、二人の前を歩き出した。

 それに嬉しそうだ。糸口を見つけて嬉しいのか、仲間ができてうれしいのか。さあ行くぞと、ぴょんぴょん飛び跳ねるのだった。





 結果から言うと、七海たちは夕方まで散々歩き回ったが、猫又の姿を再び見ることはできなかった。

 足が疲れて棒になり、背中を丸めて歩いていた。喋るのも、もう億劫だった。

 ナッシーはとっくに翔太の肩の上だ。張り切りっていたくせに、誰よりも疲れるのが早かった。

 長い影を引きずりながら、トボトボ歩いていると、ジュースを買ったコンビニの前に戻ってきているのに気付いた。


「あの猫又……ここに戻ってこないかなあ……」


 ほんの少し期待を込めて駐車場に行ってみたが、ごみ箱の陰には何もいなかった。

 三人同時にため息をついていた。


「帰ろうか……」

「うん」


 足を自宅の方へと向けた。

 と、前方の信号のない交差点の真ん中で、お婆さんが立ち止まっているのに気が付いた。

 七海は、ナッシーに狭間の空間に連れて行かれた時のことを思い出して、ドキリとする。四辻の真ん中に立ち止まるというシチュエーションがそっくりなのだ。なんとなく嫌な予感がする。

 翔太も思い出しているのだろう、少し頬が引きつっていて、足早にお婆さんに近づいていくのだった。

 まさかお婆さんが消えるとは思わなかったが、なんだかものすごく違和感を覚えたのだ。急いで向かううちに、お婆さんは七海たちの前を横切ってフラフラと歩き出した。


 そして、七海は違和感の正体に気が付いた。

 お婆さんは、パジャマの上にカーディガンを着ていたのだ。足は室内用のスリッパで、それぞれ色も違う。外に出かけるような恰好でない上に、この夏の盛りに毛糸のカーディガンなんてどう見てもヘンだ。

 七海たちには全く気付かず、前だけを見てお婆さんは歩いている。

 絶対おかしいよねと、翔太と目を合わせ、お婆さんを追って角を曲がった。

 お婆さんの丸い背中の向こうに、白いものが見える。


「あ、ああぁーー!!」

「いたーー!」


 白い猫又が、お婆さんにおいでおいでしていたのだ。前足を上げて、招き猫みたいな仕草で。

 お婆さんをさらおうというのだろうか。

 だが、猫又は七海と翔太の声に驚き、ブニャっと飛び上がり、毛を逆立てると一目散に走りだした。


『行けーー! 翔太ーー! 今度は逃がすなーー!』

「うおおおーー!」


 ナッシーを担いだ翔太が、猛烈に走り出した。

 七海は遅れをとったというより、お婆さんが気になってその場に残って、翔太の背中を見送ったのだった。

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