第5話 神様はへそ曲がり

 翔太にもナッシーが見えるようになったことだし、ここらで一体何がどうなっているのか整理してみよう、ということになった。

 まずはナッシーに、覚えている限りの全てを話してもらわなければならない。名前を探すと言ったって、手がかり無しではどうしようもないのだから。

 ナッシーは、七海と翔太の協力するよという言葉に気を良くして、小さな社の中からポンと飛び出してきた。出てきた瞬間には、また幼稚園児サイズに戻っていて、ニコニコしながら二人の前にきちんと正座した。


『そうじゃな、そなたたちには少々難しい話かもしれんが、教えておかねばなるまいのう』


 どこまでも偉そうに、ちょいちょいと指でもっと近寄れと合図するナッシーだった。ムッとする翔太を宥め、七海はとにかく話を聞こうと目配せするのだった。

 そして三人は丸く座って、まるで秘密の作戦会議のように頭を寄せた。


『……そう、多分あれは出雲に出かけた帰りのことじゃったと思う』


 ナッシーは語り始めた。

 覚えている一番古い記憶は、出雲からの帰り道のことなのだそうだ。

 神様は年に一度、それは十月なのだが、出雲に集まって会議をするという。全国の大勢の神様たちが一同に会するのだ。ちなみに十月を神無月というのは、神様が出かけて地元からいなくなってしまうからなのだそうだ。

 ナッシーの記憶の始まりは、時は十月、その出雲で立ち尽くしているとことから始まるのだ。

 行きのことは覚えていないし、神様会議のことも覚えていない。でも出雲にいたのだから、いつものように会議に出て帰ろうとしていたのだろう。

 その時、ナッシーは何故かふと自分は何処に帰るのだったかな、と考えたらしい。だが全く分からなかった。そしてよくよく考えてみると、自分の名前も分からなくなっていた。ただ、秋風の中を揚々と歩いていただけなのに、突然、全てを忘れていたというのだ。


「なんで歩いてるだけで、何もかも忘れるんだよ!」


 翔太がすかさず突っ込んだ。


『知らん! わしこそ知りたいわ! 大体なぜ忘れたかなどと、そんなことにこだわったところで解決せんのじゃ。例えば九九ぅ!』

「それ、もういいから……」


 七海はため息をついて九九の例え話を遮った。屁理屈に付き合っていたら、話が進まなくなってしまう。イラついている翔太を、まあまあと宥めるつつ質問してみる。


「その時のこと、忘れてしまった時のことを、思い出せることだけでも話してみてよ」

『そう言うても、一人で歩いていただけなんじゃが…………うむ、良い天気じゃったと思う』

「他には無いのかよ!」


 やはり我慢できずに翔太が突っ込んだ。

 ナッシーは腕を組み、そんなに怒らなくても良いではないかと、しかめっ面をしながら呟きはじめた。


『参考になるか分からんが、わしはなあ、当時はこんなちびっ子では無かったのじゃ。そなたらよりももっと大人じゃった。それはもう誰もがうらやむ程の、輝くばかりの見目麗しき男盛りで……』

(自分で麗しきとか言うか?)

(ナルシスト入ってるよね)

『これ、ちゃんと聞いておるのか? ……それはそれは威風堂々たる立派な神じゃったのじゃ。それが、歩いておっただけじゃのに、なんの因果か、名なしになってしもうて……力を失うごとにちびになってしもうて……』


 ナッシーはしょんぼりと呟き続けた。

 何が起きたのか全く理解できなかった。突然と名前を忘れてしまったショックで、呆然と立ち尽くしていると、煌く装身具はボロボロと崩れて全て土くれとなり、艶やかな結い髪は解けて蓬髪に、輝く絹の衣装は色あせ綻びてしまった。あまりの恐ろしさに震えあがってしまった。

 自分を知っている者がどこかにいるだろうと思い、家路を急ぐ神々を捕まえては訊ねてみたが、皆知らぬと言う。そんなみすぼらしい神など知らぬと。

 ある神は、貧乏神ではないのかと笑い、ある神は、自分が何の神かも分からぬ者は、もはや神ではないと罵った。

 心にぽっかり穴が開いて、身体が少し縮んでしまった。一足歩むごとに頼りなく力が抜けてゆき、月日を重ねるごとに若返っていった。

 それは緩慢な死に向かうようで、酷く恐ろしかった。このままでは、いつかは手をついて這うようになり、無力な赤子に返って、最期には消え去るのかもしれない。


「でもさあ、歩いてただけで忘れるなんてあり得ねえだろ。バカじゃね?」


 翔太は鼻をほじりながら、うさん臭そうにナッシーを眺めていた。

 だんだん小さくなって消えてしまうと聞いて、ああ可哀想にと、七海はうっかり涙目になっていたが、翔太は思いっきりバカにした目つきだった。あんまり同情はしていないようだ。

 さっきはあんなにノリノリで社を作ってあげたくせに、ナッシーが見えるようになった途端、なんだか態度が悪いのだ。


『それが、あり得たのじゃ。見よ! 現にわしは忘れてしもうたぞ!』

「そこで威張るな!」

「でもさ、その歩いてた時のことをよーくよーく思い出してみれば、何か手がかりが見つかるかもしれないでしょ」

『はぁーて……』


 何を思い出せばよいのか分からん、とナッシーはぷくーっと頬を膨らませて拗ねる。身体が若返ると、心の方も幼くなるのだろうかと七海はため息をついた。

 仏頂面してナッシーを眺めていた翔太が口を開いた。


「おいナッシー、方角はどっちに向かって歩いてたんだよ?」

『確か東に向かっておったと思う』

「じゃあ、出雲より東の方角に住んでたってことだよな。少なくとも九州地方じゃないだろ」


 七海は、翔太ナイス! と手を叩こうとしたが、ナッシーは大きく頭を振った。


『わしもそれは考えた。じゃが、どこかに寄り道をしてから帰ろうとしていたなら、その限りではないじゃろう?』

「……お前、しょっちゅう寄り道するタイプなのかよ」

『そんなことは覚えておらん。今のわしは寄り道大好きじゃから、その可能性は否定できんのぉ』


 ガーと歯を剥いて翔太は頭を掻きむしった。何をとっかかりにすればいいのかと、七海と目を合わせてため息をつくのだった。


『昨日も言うたが、この辺りは何とのぉ懐かしい感じがするのじゃ。だから近くまで帰ってきてる気がするんじゃがなあ……』

「見覚えがある感じなの?」

『いや、嗅ぎ覚えのある匂いという感じじゃな。土地の匂いじゃ。じゃが今までも、他の場所でも何度かそんな感じがしたから、当てになるかどうか……』

「当てにならないのかよ!」


 なんだか翔太は、ナッシーの突っ込み担当みたいになってきたなと、七海はクスクスと笑う。すると、翔太が笑い事じゃねえと、七海のことも睨んできた。


「お前ら、真剣みが足りねえ! 特にナッシー、自分の事だろ? もっと必死になれよ、バカじゃね? 匂いがするっていうんだったら、徹底的に嗅げよ! 前に嗅いだ匂いと同じなのか違うのか、わかるまでさあ!」

『……う、うむ、そ、そうじゃのぉ……』


――ああ! そっか、翔太はナッシーを心配してないんじゃなくて、真剣に探す気満々なんだ!


 翔太は口調はきついが、それだけ本気なのだ。七海はなんだか嬉しいような気持になった。

 ナッシーも少し気合を入れたのか、真面目な表情に変わった。


 その後も、三人は色々と話合った。

 懐かしいと思う場所を、探しても自分の神社が見つけられなかったということは、もう無くなってしまったのじゃないかと翔太が問うと、ナッシーはそんなことはないと否定する。


『人は神に畏れと敬意を持っておるからの、ちょっとやそっとの事では神社を取り壊したりはせんのじゃよ。古くからある神社は各地にいくらでもあるじゃろ。小さな祠も無数にある。どっかにわしの神社もあるはずじゃ』


 それなら、全国各地を歩きまわったナッシーに、どうして見つけられないのだろう。他の神さまの神社に変わってしまったのだろうか。

 ナッシーは、うむむと眉をしかめて、そういうこともあるかもしれないとため息をこぼす。自分でもその可能性を疑って、もしやと思う神社に探りをいれようとしたこともあるらしいのだが、狛犬に追い返されたりするのだそうだ。

 話を聞く翔太の顔は真面目だ。


「人間からお祈りしてもらってないから、力が弱まって子どもに戻っちゃってるんだろ? 忘れられてるんだろ? ってことは、やっぱりお祈りする神社が無くなってるってことじゃないのか?」

「違うよ、ナッシーがいない空っぽの神社にお祈りしてるから、その力がナッシーに届いてないんだと思うよ。それか、別の神様が居座ってて、ナッシーに行くはずの力が、その神様のものになっちゃってるのよ」


 二人は真剣に意見を交わす。

 ナッシーは深く考え込んでから、溜息をついた。


『……うーん、そうかもしれんし、そうでないかもしれんし。じゃが、社がどういう状態になっているかはともかく、祀られていたわしの「ご神体」はどこかにあるはずなのじゃ。わしが抜け出たあとの「ご神体」がな。それが無くなってしまったら、わしは完全に消えてしまうじゃろう』

「そっか、ナッシーがここにいるってことは、ご神体もどっかにあるってことなのね」

「あるけど、きちんと祀られてねえから、力が減ってるってことか」

『そんな感じかの……』


 途方にくれるナッシーは、昨日屋台の隙間に立っているのを見つけた時のように、不安げで寂し気に見えて、なんだか放っておけないと思ってしまう。なんとかして、神社に戻してあげたいし、そのためにも名前を思い出させてあげたい。

 とても難しい仕事だけど、力になってあげたいと、七海は心から思うのだ。

 カリカリと頭を掻いて、翔太が呟く。


「全くしょうがねえ神様だなあ。名前見つけたら、いっぱいご利益くれないと承知しないからな!」


 素直に「俺が見つけてあげるよ」とは言えない翔太は、とても分かりやすいへそ曲がりだと七海は思う。

 ナッシーも、これには気が付いたようでニコリと笑って、うんうんとうなずいていた。


『ご利益はあまり期待するでないぞ。わしも翔太の働きなんぞ期待はせんからの』

「けっ!」


 めちゃめちゃ嬉しそうに笑うナッシーも、結構なへそ曲がりだった。

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