002
結局、僕は断る理由もなく、こうして昨日あの戦いの後に僕が目覚めた二階の客間で、一夜を開けたのだった。
天が事件を解決するのに長くて一週間程かかるらしく、僕がこの家に住まう期間もそれと同様である。
一年間、誰もいない部屋で過ごしてきた僕が、こうして他人の家に厄介になっている、というのも変な感じだった。
不意に、ノックの音が響いた。
「少年。起きてるかい?ご飯できたぞー」
薄氷、と言っただろうか。あの人が料理を作ってくれるのか……いや、当番制、とかだろうか。
既にここまで、美味しそうな香りが漂ってきていた。
いやにでもお腹が減ってしまうような臭い。
誰かが、他の誰かに作った料理。
──この感覚は、とても、懐かしいものだった。
「はい、今行きますっ」
僕はそう言って、そそくさと制服に着替える。
待たせるのも申し訳ない、というのもあったが。何よりお腹が空いていたからだ。
生き物は、食欲には抗えないものだと、僕は思う。
「おはようございます。薄氷さん」
「おはよ──ん。なんだぁ、着替えちゃったの?寝間着姿、見たかったんだけどなぁ」
制服に身を包んだ僕と面と向かって、薄氷さんは開口一番にそんなことを言った。
「別に、そんな珍しいものでもないと思いますけど……」
確かに、少し変わっていたシャツであったから、早めに着替えたかったのはあったのだけど。
「だって、私の服を貸してあげたんだから、そりゃ見たくもなるでしょう」
「……はぁ」
またやられた。
俺の寝間着を貸してやるから使え、と言われたのをただの善意と、僕はなぜ鵜呑みにしてしまったのだろうか。
というか、アレはあなたのなのか。
「何?聞いてなかったの?あはは、天らしいね。別に私は構わないから好きに使っていいよー」
ちなみに先程まで着ていたTシャツには、「熱湯3分」とだけ、書いてあった。
──いや、何がだよ。熱湯で三分どうするんだよ。
好きに使えって言われても、全部こういう感じなのだとしたら、少し憚られるというか……。
「ほらほら、早く行かないとご飯冷めちゃうよ。ゴーゴーゴー!」
笑いながらそう言うと、彼女は僕の背を押しながら一階へと向かうのだった。
「おはよ。蓮」
一階のリビングには、既に白い髪の少女──空がいた。彼女も僕同様、既に制服に着替えており、その姿はだいぶ様になっていた。食事は既に終えたようで、学校の参考書を読んで暇を潰していたらしい。昨日の元気な様子とは少し違い、その様子は優等生のようにも感じた。
それにしても、長く伸びたその髪に目をとられそうになるが、それよりもやはり、左目を覆う眼帯に目がいってしまう。
家でも身に付けている眼帯、という事は、よっぽど隠したいものでもあるのだろうか。
「……おはよう、空ちゃん」
そう僕が言うと、空は自分に向けられた目線の先に気づいたのか、少し顔を逸らす。
……そうか。隠したいのは、僕に対して、か。
でも、その、とても、歳のせいもあってなのか、中二病めいて見えてしまうのは、僕のせいだろうか。
「具合はどう?昨日、あんな大立ち回りしたんだから、少しは響いてたりしてない?」
「……いや、特になんとも」
確かにそれは不思議だった。よっぽど葵の治癒が良かったのだろうか。はたまた、フィーのお陰なのか……。
「そっか。よかったね」
「う、うん……」
……何処と無く、距離を感じる気がする。
薄氷さんの容赦なさには驚いたけれど、普通、こんな感じだよなぁ……。
まぁ、たった一日知り合っただけの関係。僕にとっては生死を分ける分水嶺のような濃密な一日だったとしても、彼ら怪奇探偵からすれば昨日というのは大したことない一日なのかもしれない。
「じゃあ私は行くね。貴方も、早く支度した方がいいよ。
──薄氷姉、行ってきます」
「おーう、行ってらっしゃい。気をつけてねー」
そう薄氷さんとやり取りをした後、空は足早に出ていってしまった。それは僕には、まるで、逃げられたようにも感じた。
「ふふん。空ちゃん、少し緊張してるだけだよ。君が気にする事じゃないぞ、少年」
「ううん……そう、なんですかね……」
そう、だといいんだけれど……。
そう思いながらも、僕は薄氷さんが用意してくれた朝食を頂くこととした。
──誰かの手料理を食べるというのも、いつぶりなのだろうか。
久々に食べた他人の手料理は、想像を絶する美味しさだった。
薄氷さんの朝食に舌鼓を打っていると、天が起きてきた。
「……おはよ、蓮……」
天は、普通のシャツを着ていた。
どこから湧き出たかも分からぬセンスから生じたのであろう文字などは、一文字たりとも書いてなかった。
「……おはよう、天」
フードに包まれていない彼の顔はやけに幼く見え、眠気が覚めてないのだろうか。動きもゆっくりで、まるで子供のように見えた。
「薄氷のご飯おいしかった?」
「──え、あ、うん。凄く美味しかったよ」
「そっか、よかったよかったぁ、具合はどう?」
「だ、大丈夫、です」
「そっかそっかぁ……」
そう言いながら、天はコーヒーを口に含む。すると、目を大きく見開き、いつも通りの様子に戻った。
「後で薄氷にも言っておいてくれ。あいつはそういうストレートな感想に弱いからな」
晩飯も豪華になると思うぜ、と付け加え、いつもみたく、笑っていた。
◇ ◇ ◇ ◇
朝食を終えた天は、今後について話し出した。
「──さて、取り敢えずお前の家についてだけれど、アレはやっぱり一日二日でどうにかなるようなものじゃなさそうだ。数もだが、やけに妖力、霊力の高いヤツらばかりでさ。ありゃ骨が折れそうだ。単純な陰陽道だとまるで効かなくてさ、びっくりしちゃうよね。
──ありゃあのアパート、何かあるぞ。よく今の今まで何ともなかったね。いくら人が死んだからとはいえ、あれは異常だ。
ヨウリョク、だとかレイリョク、という聞きなれない単語は置いておいても、僕の家にいた彼らは、かなり厄介らしい、と言うことは分かった。
体を大きく伸ばしてから、彼は続けた。
「ま、とりあえず今は後回し。あ、そうだ。
ほら、とりあえずこれはなんとか持ってきたから、いる奴持ってけ」
彼は一枚の札を差し出してそう言った。
「……何これ」
僕は、そっとその札に手を触れた。
すると、勢いよく札から本が飛び出し、床に敷かれたカーペットの上に、無造作に積み重なった。
数度、見たことがあるような本だった。
「──これ、僕の教科書じゃないか。あんな状況中、こんなに掻き集めたの?」
まぁね、とだけ天は答えた。
「部屋を取り返せるのはまだ先になるからね。とりあえず、待たせてしまう詫びみたいなモンだよ」
確かにこの狐は、厄介、とは言ったが、出来ない、とは一言も言っていなかった。詫び、とは言うが本質はその証とでも言わんとばかりに、こうして教科書を集めてきたのだろう。
「ありがとう」
「…………ん」
天は返事の代わりに何かを投げてきた。僕は手で何度かお手玉のようにポンポンと浮かせた後、なんとかそれをキャッチする。
「──お守り?」
それにしては、とても重いような……。
「護符って言え、護符って。折角俺が夜なべして作ったんだからさ……そんな可愛い言い方をしないでくれよ」
「そうなんだ……ありがとう」
「……………………」
天は少しこそばゆそうに頬を掻いて、しばらく黙っていた。
「ん、どうかした?」
「……何でもない。じゃ、俺そろそろ行くから。多分当分帰ってこないけど、なんか危ない目にあったら護符のこと思い出せよ」
「え?そうなのか?僕まだこの家のルールとか帰り方とか、何も教えて貰ってないんだけど……」
特に帰り方は心配だ。
「別に、お前は普段通りにしていればいいよ。客人だしね。ま、元よりルールらしいルールはないけど。帰り方についても、任せてあるから、大丈夫だよ」
何をどう、誰に任せてあるのだろうか。
そんなことを思って相手に目をやると、吟味するような目で僕をまじまじと見ていた。
「──一応、ルールはある。
怪奇に一人で首を突っ込むな。
自分の力を過信するな。
危なくなったら──逃げろ
──分かったな?」
僕は、元からそのルールにあるような事が出来るような人間ではないので、取り敢えず頷くことにした。
にしても、それが家のルール?それはまるで──
──
そんな僕を見て。天はただ笑みを浮かべ、席を立つ。それと同時に、黒い霧の様な何かが体を包み込み、その霧が晴れたと同時に昨日と全く同じパーカー姿になっていた。
「じゃ、またな。学校頑張れよ。華の高校生」
天はそんな音だけを残し、その場から消えるように出かけてしまった
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