025
目が覚めると、僕の腕は今朝のような黒々とした腕の形をした炭でもなければ、先程のように焼け焦げた、それとも違う黒色をしているわけでもなく、普段通りの、僕の腕になっていた。
自分で、『腕ぐらいやる』と啖呵を切った手前、少し、もやもやが否めないのだけど……。
素直に、喜ぶことにした。
「そう言えば、時間は……えっ」
時計の針は、疾うに二十時を指していた。
いつから戦っていたのかあまり良く覚えていないけれど、少なくとも、六時間も経ったのか……。
つまり、十四時には、間に合った。
僕は──体を取り返したのだ。
その代わりなのか、いくら僕が思っても、指先からも、火の粉一つ出なくなっていた。
彼女──鬼火は、役目を全うしたのかもしれない。
人への、妬み。そして、その感情と共に抱いていた──人への憧れ。
城崎の様子からすると、あの鬼火には、殺意を抱いた事への罪悪感、なんてものもあったのかもしれない。
だから、僕を、助けてくれたのかも知れない。
そんな事は、あの鬼火のみぞ知る、と言った感じなのだけど。
僕は鬼に、妬かれ、殺意という名の感情に、焼かれ、そして──鬼火に、
──でも、幾つか、気になる点がある。
何よりもまずは……。
「此処は……何処……?」
まさに見知らぬ天井であった。
僕の部屋でもなく、学校でもないし、見知った知人の家でもない……。
でも、何故か、安心するような──
「おっ、やーっと、起きたか少年。元気そうでなによりだ」
突然、見たこともない女性がノックもせずに入ってきた。
大きくゆとりのある丸首の半袖シャツ──詰まるところTシャツだが──に、男物のショートパンツ。
そして何よりも──豊満な胸が、嫌でも目に入った。
──おそらく、その為に一回り大きいのだろう。
「──少年。私の体を熱心に見るのは別にいいのだけれど、なにか、聞くことはないのかい?」
「……あっ、ご、ごめんなさい……!」
「いやいや?いいんだよ?お年頃だもんねぇ。にしても──やっぱり君可愛い顔してるね」
そう言うと、その女性は、僕に身を寄せて来た。
「ちょ、え、えっ、待っ!!な、何……ッ?!」
突然すぎる展開に、脳が追いつかない。
なんだこれ、なんだこの人……!?
「いやぁ、私、可愛い子が大好きでさ〜。君みたいな子、ほんと、食べちゃいたいくらい好きなんだよね〜」
「た、食べ……!?」
物理的なのか!?性的なのか!?どっちにしろ嫌だ!
それでも、どんどんと──顔が、胸が、近づいて────
不意に、ノックの音が響く。
「何してんの、
部屋の前で、開かれたドアに手を置きながら、ゴミを見るような目で、天はその人──薄氷を見ていた。
「くっ、遅かったか……残念……」
そう言うと、勿体ぶるように、残念そうに、僕から離れ、天と少し話した後、僕に笑顔で手を振ってから、部屋を後にした。
……この人、さっき、
……何回か僕が寝てる時に、来てたって、こと……だよね?
…………深く、考えようにしよう。
「ったく。おそよう、蓮。寝起きに姉が失礼した。だいぶぐっすりだったな?」
姉──なのか、今のは。
また、兄弟にしては、似てないようだったけれど……。
「う、うん……ありがとう……ここは天の家……かな?」
「そ。案の定、ぶっ倒れたからね。いくら相性が良かったからとはいえ、負担はあるみたいだね。そんで、あのまんま学校に置いて行こうとしたけど、空がうるさいから、渋々俺が持って帰ってきた」
「置いて行こうとすんなよ!?」
相も変わらず酷いやつだな……。
「いや、それより──あの鬼火は?」
「ちゃんと仕留めた。安心してくれ」
「他のみんなは?」
「鬼ーズは帰らせた。まぁ、今の彼らを縛り付けるのも酷だからね。それに、村の現状をどうにかしてほしいと依頼も受けちゃったし、話はそれからでもいいかなって」
「そっか。──葵、は?」
「あの後、すぐに目を覚ましたから、同じく、帰ってもらったよ。一緒に家に来ようとしてたけど、あんまり、神宮寺家に迷惑をかけたくはないからね。媚を売ろうか、とも思ったんだけど、怖いからやめた」
「そっか……そっかぁ、良かった」
ほっと、胸を撫で下ろし、しっかりと、今回の事件が解決したことに安堵した。
「──ちなみに言っとくけど、腕を治したのは俺じゃなくて、葵ちゃんだからな」
「え……葵が……?」
「負い目を感じたんだろ。自分の所為で、幼馴染の腕があんなんになっちまったんだからな。ちなみにこれ、内緒にしててって言われたんだけどね。まぁ、狐に口約束を頼む方が悪いよな」
…………また、助けられたのか。
今度は助けられたと思ったのに……。
結局、助けられたのは、僕だ。
「──ま、ちゃんと礼を言うこった。どうせ明日にでも学校で──」
「今、言いに行く」
「──ほぉ?ま、俺は別に構わないよ?まぁ、せめて連絡のひとつでも入れたらどうか、とは思うけれど。にしても……いやいや、なかなかどうして、人間というのは面白いなぁ」
「いや、すぐに行って、電話かけるから……大丈夫」
「そうかい?まぁ、それでいいんならいいけど。幸か不幸か、ちょうど今は神宮寺の家の前だから、家出たらすぐだよ」
そして、僕はベッドから体を起こし、天に連れられるように玄関へと向かった。
と言っても、僕がいた部屋から玄関は近く、二階にあったその部屋から少し通路を歩き、階段を降りるだけであった。
「──さて、んじゃ、ま、これで俺たちの関係は終いだ」
玄関で靴を履く僕に、天はそう言った。
「え、いや、五万円払ってないよ?」
「はっ」
──笑われた。
「何言ってんだ。体を取り返したのも、葵ちゃんを助けたのも、蓮だろ?俺が蓮に言った仕事内容は、『蓮を生き返らせてやる』だからね。金なんかもらえないよ」
この男は……よく分からない。
金が欲しくて、仕事をしてるんじゃないのか?
じゃあ、何のために、こんなこと……?
「まぁ、友人関係は慎重に、な。何処に誰がいて、そいつが何者なのか。そういった事にも注意しろよ。まぁ、無理だろうけど。あと、ちょっとお前体細すぎるから、飯はちゃんと食べろ。それと──あれ、なんだったかな、なんか言おうと思ってたんだが」
お前は僕の母親かよ。
「……はは、ありがとう。気をつけるよ」
「……うし、これでレンくんファイヤー万事解決だ。出来れば、もう俺の世話にならないでもらいたいが……難しいんだよな……こればっかりは……」
一歩踏み込めば、互いに、惹かれ合う。
妖怪とは、そういうものだから、だろう。
「──また、何かあったら頼むよ。だから──」
「分かってる。ほら、名刺持ってけ。まぁ、この電話番号に、お前からの電話が来ないことを祈ってるよ」
ひどくシンプルな名刺だった。その所為で、肩書きがとても浮いていた。これを狙ってやっているのだとしたら流石だと言いたい。
「…………うん」
「ほら、はやく行けよ。気が変わっちまうぞ、泣き虫くん」
僕はドアノブへと手をかけた。しかし、思いとどまる。
それは、言わなくてはいけない言葉があったから。
「……ありがとう」
「……だから……全部自分のおかげだろ?」
「いや、僕に手を指し伸ばしてくれて、ありがとう」
「…………困ってる奴がいたら手を伸ばす。普通だろ」
──そうか、この男は。金が欲しいわけでも、名声が欲しい訳でもないのか。
ただ、困ってる奴を、放っておけないだけなんだ。
──なんだよ、お前の方が、ヒーローみたいじゃないか。
「いいね、それ。僕も──いつか、出来るようになりたいな」
ドアを開く。
夜風が、頬を撫でる。
頬という、僕の身体を。
これから、いつもの日常に、戻る。
人の世界に──戻る。
妖怪と、別れることによって。
妖怪の世界から、離れるのだ。
「じゃあね、天」
「おう。二度とこっちに来るなよ、蓮」
天はそう言うと、今日一番の笑顔で笑い、ドアを閉めた。
──僕が出てきた家屋は、葵の家の向かい。随分と人が住んでいない筈の、
その違和感に気づくのは、もう少し後のことになる。
何故ならば、この時の僕は、目の前の家に住む、幼馴染のことで、頭がいっぱいになっていたからだった。
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