026

 ……どうしよう。

 かれこれ十分程だろうか。

 スマートフォンを手にし、電話帳を開いたまま──何も出来ないでいた。

 なんて、声をかけようか。どう、話せばいいのだろうか。呼び出した方がいいんだろうか。でも、こんな時間に、迷惑だろうか。電話なら、出てくれるとは思う、けれど……。インターホンは……無理だな、葵以外の人が出たら確実にヤバい。

 それに、これ以上家に近づくと、監視カメラであろうあのカメラに確実に映る。

 だから、電話なのだ。

「はぁ、やっぱり僕ってダメだなぁ……」

 その場に、へたり込むようにして座り込んでしまう。


 僕は、ダメだ。

 だって、第一、この家の大きさに圧倒されてしまうのだから。


 神宮寺──かの世界的名医、神宮寺蒼紫の一人娘。それだけでなく、妻である紗栄子は名門検事、また、蒼紫の姉、藍華は世界的女優、弟もまた──といった風に、一家全員、神宮寺の名を持つものは、どう足掻いてもエリート中のエリート。神宮寺は、名家中の名家である。特に、星ノ原に住む人間であれば、その名を知らない者はいない。

 今、葵が僕達と同じ平々凡々な学校に通学出来ているのも、かなりの条件を提示した上だと聞いている。

 そんな一人娘に恋心を抱いてしまったのが、この僕。親無し、取得無し、特技なし──死亡経験は有り。

 高嶺の花も高嶺の花。手を伸ばそうとすることさえ烏滸おこがましい。

 だから、何度も、諦めようとした。

 無理だと、何回も、言い聞かせようとした。

 ──それでも、無理だった。

 諦めた事は、数えきれない程ある。

 夢も、現実も、何個も諦めた。

 それでも──葵は、諦められなかった。

「……やっぱり、好きだなぁ、どうしようもないほど」


「誰が?」


「──ん?」

「うんうん、もう大丈夫そうだね。よかったよかった」

「……っ、あお、い……ッ!?」

 な、何で……!?

「ど、どうしたんだよ、こんな時間に……!」

「うん。それ完全に私のセリフだよね?人の家の前で燻ってる日向蓮くん?」

 ……まぁ、そう、ですね……

 その通りです。

「ま、いいけど。コンビニだよ、コンビニ。お菓子買いに行くの」

 こ、コンビニ……。

 いや、タイミングが良すぎるだろっ!

 これは、何なんだ……。

 誰が仕組んだんだ……ッ!

 神の悪戯、なのか……!?

「そ、そう、か……はは……」

「──それで、どうしたの?」

「あっ、いやぁ!?そのぉ……」

 無駄に、声を、荒らげてしまった。

「何かあるんでしょ、私に言いたいこと。あっ、助けたから、お礼でもして欲しいのかな?全く、現金な奴めー」

「ち、違……」

 目を、合わせられない。

 合わせ、たいのに。

「違うの?──あ、じゃあ結界のこと?あれは、そういった方面の勉強してるからなんだけど──」

「それも……違う」

 心臓が、高鳴る。

 静かにしてくれ……っ。

「んぅ?じゃあ、何?」

 それは……。

「──お礼を、言いに、きたんだ」

 やっと、目を見て、話せた。

 全身が、熱い。

 顔が紅潮してるのが、自分でも分かる。

「……お礼って、何のことかな?」

「天に、聞いたんだ……腕の事……」

「……はぁ、桔梗さんめ……相変わらずだなぁ……」

「ありがとう、本当に……また、助けられちゃったよ」

 手をひらひらと、見せてみる。

「──ううん。助けられたのは、私だから」

 葵は、顔を伏せてしまった。

「そ、そんなこと……僕は、何も……出来ることをしただけだから……」

「だからって……折角生き返ったのに、腕をあんなにしたの?」

「……全部、聞いたんだね……だって、あぁでもしないと、葵を、守れなかったから……」

「……蓮ッ」

 唐突に、肩を掴まれた。

 顔を、近づけられた。

「あんなこと、もうしちゃダメだからね!自分のこと、もっと大切にして!自己犠牲は、正義じゃないんだよ!?」

「だ、だって……約束したから……ッ」

 オレ達で、葵を守る──そう、誓ったから。

 勿論、それだけでないのだけれど。

「だからって、もう、危ないこと……しないで……っ……あんな、あんなの……耐えられないよ……ッ」

 ──強く、抱きしめられた。

 え、抱きしめ、は……え?

「あ、あぁ……ッ、あオ……っ」

 声にならない、音が出た、気が、する。

 自分が、よく、分からない。分かるのは、煩い程に、五月蝿い、心臓の音と、葵の、柔らかさと温かさ。

 誰かに、抱きしめられたのは、いつぶり、だろうか。

 誰かに、叱られたのは、いつぶり、だろうか。

 そのまま、葵は、泣き出してしまった。

 どうすることも出来ない僕は、ただ、その様子を、見つめるだけだった。






「……あの……おち、ついた?」

 葵は、やっと離してくれたかと思うと、僕の隣に座って、小さく頷いた。

 僕としては、離れてくれたことに、安堵と──少しの口惜しさはあったけれど──何よりも、泣き止んでくれたことの安心感が大きかった。

「そっか、良かった……」

 そして、しばしの沈黙。

 静寂に先に耐えられなくなったのは、葵の方だった。

「蓮は、すごいよ……昔っから……私なんかよりもずっと……」

「いや、いやいや……それはないよ。だって僕は──」

 僕は、何も出来ない。

 僕には、何も、ない。

「すごいよ……蓮はね、すごく、優しくて、自分の、やりたいことに、正直で……」

「……昔の、事だよ……」

 だって……今は、もう──

「でも、私を、助けてくれた。昔の約束を、忘れないで。すごく、嬉しかったし。私が言うのもなんだけど……すごい、かっこいい事だと思うよ」

「そんな……こと……」

「そんなこと、あるよ。だって、蓮は……昔から、私のヒーローだから」

「……ヒーロー、かぁ……」

 また、その言葉、か。


 僕は、ヒーローにはなれない。

 ヒーローになれるのは、天みたいに、誰にでも、手を指し伸ばせるような、そんな奴だけだ。

 僕みたいな──こんな人間には、なれる訳もない。


「……遥真の方が、強いだろ」

「強い、弱い、とかじゃないよ?確かに、遥真の方が、強いし、ぶっきらぼうだけれど、優しいところとか、かっこいいと思うよ」

「だろ?だから僕なんて──」

「でも、私のヒーローは蓮だよ」

 なんで。

 なんでそんなに、僕の事を……。


「だって、私、蓮の事好きだもん」


「……………………」


 鳩が、豆鉄砲を喰らった顔、というのは。

 あの時よりも、きっと、この先の僕の人生の中でも、今の僕の方が、ピッタリだと、思う。


「蓮?」

「……なんで、僕なんだ……?」

「なんで……って言われても……初めて会った時から、ずっと好きだから」

 僕と──同じだ。

「ずっと、好きで……だから、学校も、同じにして……勿論、遥真も好きだけど、それとは、また違う……なんて言えばいいのかな……女の子として、蓮が、好き……みたいな」

 ……なんだよ。葵の方が、十分、自分に、正直じゃないか。

 僕は──

「私が、好きな人が、私を守ってくれるって言ってくれた。そして、今日も、助けてくれた──その人を、ヒーローって言わなかったら、誰がヒーローなのかな……って……」

 恥ずかしそうに、葵は笑った。

 ──僕は、この笑顔が、守りたかった。

 でも、葵は、昔とは違って、強くなった。

 だから、守る必要が、無くなっていった。

「あぁ、熱いなぁ!──ごめんね、変な事、言っちゃったかも。お、お菓子がっ、足りないのかな!」

 ──それでも。

「……僕は、葵の、ヒーローでいて……いいのかな……」

 君の、ヒーローに、なりたかった。

 君の、ヒーローで、いたかった。

 君に、好きになって欲しかった。

 それは、昔の僕が出来た、唯一の事だったのかもしれない。

 なら僕は、それを、誇りにしたい。

 これからも、君を守りたい。

 昔みたいに、正直に、やりたいことが出来るようになる為に。



「僕は、葵が──」



 その為の第一歩としては、かなり、大きな一歩だったかもしれない。


 大きすぎて、バランスを崩して、転んでしまうかもしれない。


 それでも、言いたかった。伝えたかった。一層いっその事、ダメなら転んでしまえばいいと思った。



「──好きだ」



 僕の体は、心は──とても、熱かった。

 ──まだ、あの炎が消えていないかのように──

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