013

 遥真からは、僕が見えていないようだった。

 しかし、その顔には、昨日の怪我の所為で、絆創膏が何枚も貼られており、所々、まだ熱を持っているのも伺えた。

 だから、直視出来なかった。

 痛そうだから、ではない。

 罪悪感。そういった類の、後ろめたさ。

 それらの所為だった。

 相手が見えない遥真と、相手を見れない僕。

 何とも、変な感じであった。


「──人違いじゃないかい?君みたいな強面な奴、俺は知らないけど」

 いつものにやけ顔で、天は言ってみせた。

「とぼけんな。鬼だなんだと聞こえりゃ、嫌でも分かるぜ。それに美那が関わってんだろ。ンなら、邪魔させる訳には、いかねェよな?」

 ニッと歯を見せて笑う。

 あの笑い方は、喧嘩相手を見つけた笑い方。

 昔、僕と殴り合いをしてた時の笑い方。

 勿論、昨日は、見ていない。

 見る影も、なかった。

 ……にしても、そんな言い方しちゃうと、自分も鬼ですよ、と認めてしまったようなものなんだけど……。

 やっぱり僕より馬鹿なんだなぁ……。


 身動きを取ろうともしない天に、僕は、小さな声で耳打ちした。

「……おい天、どうする?あいつ、こういう時、凄い執拗いよ?」

「……まぁ、俺は構わないんだけど……ここじゃなんだ。人間が多いだろ?」

「おい!?」

 相手は──鬼だ。

 いくら怪奇探偵、怪異の専門家とはいえ、敵うものなのだろうか?

 荒事には慣れている。そうは言っていた、が……。

「へっ、上等だァ。全部吐いてもらうぜ……!」

「いや、かと言っても挑発してどうすんだ!?」

 僕の存在を相手に悟らせないためか、こちらを見て軽く舌を出すだけの少ない反応だけをして、その鬼に、面と向かって言ってみせた。

「まぁ、こっちは時間がないし、ちゃちゃっと済ませてもらうよ」

 ニッコリと笑う。

 少し、ほんの少し、その笑顔は、どこか、怖かった。

「あ?何言っ──」


 それは、瞬く間のことだった。

 天が、百八十センチ程あろうかという体躯の遥真を、片腕で、襟首を掴んで、軽々と、流れるように、路地裏へと投げ飛ばした。

 遥真は、放物線を描くように、人通りの無いその路地を、飛行する羽目となっていた。

「──は?」

 唖然としている遥真と違わず、僕も、状況が理解出来なかった。

 人が鬼を投げ飛ばした……?

 どんな日本昔ばなしだよ。

 いや、まず、そんなのあったっけ?

 そんな要らないことを考えていた。


「これも仕事なんでね……っ」

 そう言うと、天はたった一回の踏み込みと跳躍で、距離およそ十メートル、高さ約五メートル程先にいた遥真へと、易々と追いついた。

「痛いだろうけど、我慢しろよ?男の子だろ」

 小児科の医者の常套句のような事を言ってから、天は、宙を漂う無防備な遥真のその腹が空を仰いだ数瞬の内に、ムエタイ選手顔負けのミドルキックを空中で相手を撃ち落とすように、容赦なく放った。遥真は「がッ」と小さな嗚咽だけを残して、無残にも垂直に落下し、整備の甘いボロボロのアスファルトへと叩きつけられた。


 そんな、喧嘩の範疇を超えたような何かを眺めていただけの、肩に捕まっていただけの僕の視界に、妙なものが、嫌でも入ってきた。

 人間に、あってはならないもの。

 角と同様に、異質な存在だと、認知できるもの。

 天の頭には、


「……ぐッ……テメェも、……か……っ!」

 アスファルトの地面に叩きつけられ、遥真は、その威力によってなのか、身体を動かせないようだった。そして、そのすぐ隣に、両足を揃え、十点満点だろ?とでも言いたげに、天は悠々と着地した。

「そう。といっても、半分は、だけどね。もう半分は歴とした人間だよ」

 天は耳と同時に生え出たであろう、腰の辺りから生え出た自分の尾をわざとらしく揺らして、ニヤリと笑う。

 時偶、僕に当たってムズ痒いから、やめて欲しいんだけど。

……ハッ、道理で変な気配だと思った……クソ、しかも妖狐か……」

 妖狐。それぐらいは知っていた。

 人を化かし、国を化かす。

 姑息で、狡智に長ける、化け狐。

「お前……怪奇探偵って……」

「別に、妖怪が妖怪倒しちゃいけない、なんてことはないはずだろ?」

 その狐は、わざとらしく、肩を竦めてみせた。


 桔梗天。

 怪奇を追う、探偵であり、また、その者も、怪奇である、探偵。

 それ故に──


「さぁて、手負いにさらに痛い事させといて何なんだが……とりあえず手短に、話を聞かせてもらえるかい?俺も軽く、話しておきたい事があるんだよ」

「……話すことなんてねェな……」

「そんな連れないこと言うなよー。話聞かせてくれたら怪我も治すしさー」

 へらへらと笑いながら、そう言っていた。のだが、急に顔色を変え、続けて、「──蓮の命に関わる事なんだ。頼む」と、そう、真剣な様子で言った。

「蓮の……命、だと?……まさか、美那の奴……っ」

 その反応を見て、尾と耳を、体の中に収めるように仕舞い込みながら、その狐は再びニヤリと笑うのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る