003

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「どうしたの?くーちゃん」

「…………え?」

 登校の最中、背後からふいにかけられた聞きなれた筈の声に、私は反応が遅れてしまった。

「なんか、少し考え事?してるのかなぁ、って感じだったから」

「……なんだアイハかぁ。大丈夫。大したことじゃないよ」

 そう言うと、アイハは頬膨らませつつ、可愛らしく目を細めた。

「なんだ、って……全く、心配してあげてるのに……!」

「ごめんごめん。ありがと」

 私は彼女の愉快な様子を見て、笑みを零してしまいながら、そう言った。

 彼女──雪笠ゆきがさ藍葉あいは──は私の言葉を聞くと、えへぇ、と気の抜けたような声を漏らして相好そうごうを崩した。


 彼女の言う通り、私は、確かに考え事をしていた。

 彼──日向蓮という存在に対して、どう接するのが正しいのか、という事を。


 彼は……こちら側……なんだろうか。それとも、もうこちら側と関わらせるべきではないのだろうか、と。


 彼はもう一般人じゃない。妖怪、心霊──怪奇が見えるようになってしまった人は、嫌でもこちら側と関わりを持たざるを得ないから。


 ソラに言われたことがある。「見えてしまった物に見えていない振りをしても、常人に見られる事の無い『見えてしまった物』には気付かれてしまう」。見て見ぬ振りは出来ないというよりも、この言葉は、それが本質的に不可能という意味だという。彼らを目は、脳は、視認してしまう──視て、認めてしまう。そこに、彼らがいるということを、理解してしまう。それは怪異を認める事であり、自ら彼らへと寄ってしまうことになる。

 それに、彼はたった一日でその分水嶺へと立たされた。それは、かなり不安定な状況だと思う。彼らや私達と、人間達のとても細い線で仕切られた境界線上に、彼は立っているのだ。

 もしこちら側に傾きすぎれば、こちら側へと飲み込まれ、私みたいに、なってしまうかもしれない。


 あの頃の、ただのバケモノだった私のように。



 そうなってしまえば、彼はもう──



 ──ただの怪奇だ。


 *


「よ、空。奇遇だな」

 短く髪を揃えた、中性的な顔立ちの女子生徒は、私を見るやいなや、そんな言葉を投げかけた。

「……同じクラスで、席があなたの後の生徒に、朝普通にあった時のセリフ、間違ってない?」

「ん?私の行動に間違いなんてないだろ?」

「そのどこから湧いてきてるか分からない自身はなんなのよ……」

「それが私だ。私たちの仲だ、知らないとは言わせないぞ、空」

「知らないわよ……どこまでお気楽なのよバカミツキ……」

「お気楽でもバカでもない、美月だ」


 雛村ひなむら美月みつき。この学校で男子を凌ぐほどの女子人気を誇る典型的な体育会系女子。勉学の方面はかなりなおざりだが、確かに性格や顔立ちは私でもカッコイイ、と感じるほどだ。背も大きくて、とても羨ましい。少しぐらい頂戴、と言うと、「取れるものなら取ってみろ。全部やるぞ」と言われた……全部……?


「おはよう、みーちゃん」

 先生に用事のあったらしいアイハが、教室にやって来ると、目にも止まらぬ速度でミツキは彼女に抱きついた。

「おはよう藍葉」

 無駄にいい声を出しているようだが、絵面のせいで本当に無駄になっている。

「……あの、みーちゃん。動けない、動けないよ……」

 中学生ながら女性らしい肉付きをしているアイハにがっしりと、がっつりとしがみつく友人は、とても友人とは思いたくなかった。

「あぁ、やはり藍葉は素晴らしいな……嫁にしてくれ」

「えー?私が旦那さんなの?逆なら分からなくもないケド……」

「アイハ……真面目に考えなくていいから……ほら、変態、早く、は、な、れ、ろッ」

 真面目に考えているアイハは取り敢えず置いておいて、目の前の変態を引き剥がすことにした。


 *


 退屈な授業が終わって、昼休み。私の席とミツキの席を中心として、私たちは集まってお昼ご飯を食べていた。

 私の弁当を見て二人は一年経っても相変わらず、面白いものを見るかのような顔をしていた。


 別にぐらい、珍しくもないと思うんだけど。男の子達もしているし。これでもものすごく我慢しているし。

 皆──特にアイハ──はたったそれだけでよく持つなぁ、と私は素直に感心してしまう。




 あっ、とミツキは不意に口にして、ニヤリと笑う。

「で、どうしたんだ?昨日は」

 ぎくり。

「そうそう。急に学校抜け出しちゃうんだもん……まぁ、いつもの事だけど」

 ぎくぎくり。

 ──やはり来たか。

 私は、彼女達──というよりも、家族以外の人間には、だが──に自分が怪奇探偵(見習い、だが)として働いている事は明かしていない。

 の、だけれど、学校という環境に身を投じている性で誰かが悲しい目に合うのは嫌だ。そして、学校を言い訳にしてしまうのも嫌だ。だから私は何かがあれば学校を抜け出して、すぐにその場に向かうようにしている。

 ──そもそも私が人間として普通に生きる方が無理、というものなのだけど。


「くーちゃん?黙ってないで何か言ってよー」

 むにぃっ、とほっぺたを抓られる。

「い、痛っ、言う、言う言う、言うから……!」

 別に凄い痛くてやめて欲しい訳では無いんだけれど、自然とそう口に出していた。何故か私は、アイハにこういうことをされると弱い。というよりも、妹と弟が数人もいると、上手い、というと変かもしれないが、やはり慣れるのだろうか。

「それで?非行に及んだのは何故でしょーか?」

 そう、つまり私は適当な言い訳をつき続けてるという訳だったりする。だけど、甘く見ないでほしい。こんな生活を一年送ってきた経験と、あんな兄を持つが故のホラ吹きスキルを発揮する時だ!

「──ずっとすっっっっ、ごく見たかった映画が昼の分で終わりだったの。だから抜け出して、見に行ったの」

 もちろん嘘だし、実際はあんまり、映画館は好きではない。あんまりじっとしているのが得意ではないから、なんだけど。

「ふむ?何というタイトルだ?」

 まぁ、来るよね、その質問。もちろん想定済み。

「どうせ知らないわよ。わざわざ電車で何駅も乗り継が無いといけない程遠い劇場でしか上映してないぐらいだし……」

 どうだ、いつもの学校脱走癖からすれば、なかなか筋は通っていると思うけれど……?



「何味のポップコーン食べた?」

 アイハがなんの脈絡もなく謎の質問をして来た。

「……えっと……」

「はい、嘘だね」「なんだ、また嘘か」

 にしても食べたの前提なんだ。まぁ、食べるけど──なんて思っていると、二人は、さも当然のようにそう言ってのけた。


「なんで!?」

「だってくーちゃんが」「それは空が」

「「昨日食べた物忘れるハズないから」」


 ──何それ!?


「……べ、別にそんなことないでしょ……?」

「どうかなー?じゃあ、昨日の朝ごはんは?」

「白米と豆腐、長葱、わかめの入った味噌汁に焼き鮭と胡瓜、白菜、茄子、蕪の浅漬けのザ・和食」

 久々のソラのご飯美味しかったなぁ。ウスライ程じゃないとしても、ソラも料理上手だからなぁ。

「では先週、水曜日の午後。私達が立ち寄ったクレープ屋で何を食べた?」

「バナナストロベリーチョコホイップスペシャルバニラアイス」

 また食べたいな、あれ。お値段も良心的だし。

「──で、昨日のポップコーンは?」

「……きゃ、キャラメル?」

 語尾が上がってしまったことに自ら顔を伏せる。

 それは最早、敗北を認めたようなものだった。


「あはは、相変わらず嘘が下手だなぁくーちゃん」

「な、なんで……こんなはずじゃあ……」


 というより、私そんな特技めいたもの持ってたのか……私よりも私を知ってるんじゃないの、この二人……?


「いやいや、最近、まるで勝ててないからな、空」

「年明けからは、私達の全勝かな?」

「あ、あれぇ?そうだっけぇ……?」

 まぁ、本当は覚えてるんだけど。


「現実を見るんだな──さて、今日こそ話してもらおうか?」

「いっつも本当は何してるのかなぁ?」


 実は、これは割と毎度のように行われている恒例行事みたいなものである。

 知り合った頃は何となく流せていたのだけれど、最近は、やはり気になってきたのか割と疑り深くなって、騙せなくなってきている。


 でも、私はいつも、こう返すしかない。


「……ごめん……何回聞かれても、言えない」


 嫌われるのは怖い。避けられたくない。けれど、それよりも、何よりも、この人達をこちら側へと引き込む訳にはいかない。

 私のせいで、誰かが傷つくのは、嫌だ。特に、この二人は──


 二人は、脱力したように、残念そうに自らの椅子にもたれかかった。

「はぁ、やっぱりダメかぁ……気になるなぁ……」

「……ごめん」

「謝るなよ。ただ、心配なだけだ……私は、空の事を親友だと思っているからな」

「私も。だから、いつか話してくれると嬉しいな」


 ──親友、か。


 二人は、私の正体を知っても、で、居てくれるのだろうか?


「……ありがとう」

 その言葉に、二人は笑顔を返してくれた。


 ──ズキリ、と体の何処かが、痛かった。

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