第29話 確信

「あっ、東京ばな奈が来た!」

「こら、スズ、そんな言い方ないでしょう」

「だって本当だもん、お兄ちゃんはついでだもん」

 実家に着くと皆が暖かく、それはもう、暖かく向かい入れてくれた。


 本当に、東京ばな奈を買ってきて、よかったよ。


 から揚げに、おでんに、餃子、僕の好きなものが所狭しと食卓に並んだ。

「酒でも飲むか」

 親父は、飲み相手が欲しかったようだ。

「ビールはお腹に溜まるから、他にない?」

 せっかくのご馳走を、たらふく食べたかった。

「缶酎ハイならあるわよ」

「それもらうわ」

 母はあまりお酒を飲まない。せいぜいこの缶酎ハイくらいである。

「まずは、一杯付き合え」

 親父はビール党だ。しかたがない。一杯だけ付き合うことにした。


「それでは、京次の就職を祝って、カンパーイ」

 親父としては、ほっとしているのだろう。

 自分が薦めた会社が、まさかこんなことになるとは夢にも思っていなかっただろう。

「一時はどうなるかと思ったけれど、まずは何よりだ」


 一応、ことの顛末をかいつまんで話をした。

「ほう、それはまた縁というやつだな。お前が頑張れば、その会社も経営再建できるかも知れないというわけか」


 妹はまるでそういう話に関心がないようだった。

「次はわたしの受験ね。ばっちり決めるから、期待していてね」

「大丈夫なのか? この前の模試、あまり良くなかったって言っていたじゃないか」


 スズちゃんから電話をもらったとき、僕がアデールとベッドの上で、どんな状態であったかを知られたら、きっと殺されるだろう。

「大丈夫よ、お兄ちゃん、たとえ世界が滅ぶことがあったとしても、わたしが受験に失敗することはないわ」


 正直、予想はしていた。

 不意にその言葉がでるのが嫌で、僕はスズちゃんに誘導をかけたのだ。

 妹の行動パターンなど、兄はすべて見透かしている。

 ただ、どんなに見透かすことができても、妹を出し抜くことはできない。


 なぜなら、妹はめっぽう強いのである。

 おそらく世界が滅亡することがあったとしても、妹だけは生き残るだろう。

 いや、アヤネェなら、それを防ぐことぐらいはやってのけそうだ。


「ねぇ、もしも世界が滅ぶのだとしたら、そうならないように、時間軸を巻き戻してやり直せるのだとしたら、皆ならどうする?」


「別にどうもしないさ。なぁ、母さん」

「そうね。お父さんがそういうなら、そうね」

 なるほど、夫婦とはそういうものなのかもしれない。

「その仮定はこの際、無意味ね。そんなこと考える暇があったら、彼女でも作りなさいな」

「本当、お兄ちゃんって、バカね」

 お姉さま、そして妹よ、ありがとう、そして余計なお世話だ。


 聞いた僕がバカだった。


 やはりこんな突拍子もない話は、誰にも相談なんかできやしない。

 わかっていたことだが、確認できてよかった。

 姉貴が『彼女、彼女』というのは、本当に今の自分たち夫婦に問題を抱えているのだろう。旦那さんからはそういうことを一切感じないのは、アヤネェだけが抱えている問題で、しかもそれを旦那に気付かれないと確信しているのだろう。


 あまり想像したくないが、おそらく旦那さんはアヤネェに隠れて浮気をしている。


 "許容できない嘘"とはそういうことなのだろう。

 そういえば、ある有名人が、妻が妊娠中に浮気をしたことが写真週刊誌にスッパ抜かれて、大騒ぎになったことがあった。

 結婚して立て続けに二人の子供を産んで育てて来た中で、そういうことがあったのだとしたら、アヤネェがそれを許すはずはないだろう。


 なんにしても、僕が主役で、僕が楽しまないわけには行かなかった。

 酔いすぎて余計なことを言わないようにだけ気をつけ、家族と楽しいひと時を過ごした。

 23時、姉夫婦が帰ったあと、風呂に入ってすぐに寝てしまった。


 その夜、僕は夢を見た。

 天使アデールが、僕の部屋に現れ、着ている服を脱ぎ、僕に迫ってくる。

 僕は抗うことはできず、欲動のまま、彼女を布団に押し倒し、アデールを抱きしめる。

「こんなトラップに引っかかるなんて、お前は本当にバカだな」


 背後から間宮の声がする。

「なんでお前がここにいる?」

「わたしが呼んだのよ」

 デリアの声。

 僕が抱いていたのは、アデールに変身したデリアだった。

 デリアは変身をとくと、四つん這いになって間宮のいるほうに這って行く。

「何を……するつもりだ」

「いいことしましょう」


 デリアは間宮にヘビのように絡みつき、長い舌を使って愛撫をする。

「やめろ、やめるんだ、二人とも」

 二人の淫行は激しさを増す。

「やめてくれ、やめろ」

 間宮はデリアの背後から顔を覗かせ、僕に言う。

「たとえ世界が滅びようとも、これはやめられないな」


 最悪の朝だ。

 僕は11月になろうというのに、びっしょりと汗をかいて目を覚ます。

 そして股間に不快感を覚え、中を確認する。


「夢精って、マジかよ」

 世界が滅ぶ――その言葉に翻弄されている自分が情けなかった。

 ティッシュできれいにふき取り、それでも熱くなっている自分の陰部に笑うしかなかった。


「こんな自分が、どうして選ばれたんだよ」

 それから二度寝をして、遅い朝食を食べたあと、僕は実家を後にした。


 世界は破滅する方向に向かっている。

 確実に。

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