第25話 バタフライ効果

 選択期日を決め『最後の選択』の内容を聞いた次の日の朝、僕は『天使か悪魔か』を含むDVD三本をレンタルビデオ店の返却ボックスに入れた。


 いつもよりも丁寧に。


 朝日が眩しい……秋だ。

 今日は小さい秋でも捜しに行こうか。

 この世界が滅びる。今ではないにしても、いずれ滅びると知ってしまい、妙な分かり方をしてしまった僕の目の前にある世界は、昨日とも、先月とも、1年前ともどこも違っていないはずなのに、まるで景色が違って見える。


 ふと頭の中に古い、古い曲が思い浮かんだ。


 確かサッチモという愛称呼ばれている黒人アーチストだ。

 目がくりくりして大きく、白い歯をむき出しにして愛嬌のある笑顔で歌うのが印象的でトランペット奏者だ。本名は、宇宙飛行士みたいな名前だった。


 そうアームストロング、ルイ・アームストロングの『この素晴らしき世界 (What a Wonderful World)』


 僕は街の中の植え込みに咲く、小さな花を見つけた。

 名前も知らないその花がとても愛しく思えた。

 空を見上げれば、ビルの谷間から青く澄んだ空が見える。

 ゆっくりと流れて行く白い雲。


 知らなかった。

 世界は、こんなにも素晴らしいんだ。


 美しいもの、素晴らしいものに囲まれて、僕は生きている。

 今を生きている。


 天使が囁く。

"そうですよ、京次様。世の中、悪いことばかりじゃないんですよ"


 だけど僕は知っている。

 この青い空の下で、人々が憎しみあい、奪い合い、騙しあい、そして殺しあっていることを


 悪魔が囁く。

"それが人の本性、嘘で固められたこの世界の、どこが素晴らしいというの"


「ああ、そうとも、それが人間だよ」

 僕は我に帰り、歩き出した。


 まず僕がやらなければならないこと。

 それは生きること、死なないで無事に『最後の選択の日』を迎えることである。

 困ったら誰かに助けを求めればいい。

 悩んだら打ち明ければいい。

 間違ったら、やり直せばいい。

 取り返しがつかなければ、謝ればいいし、そして過ちを正せばいい。


「学校に行くか」

 僕はゼミの先生から、さらに面接を受けられそうな企業を2件紹介してもらった。


 それから4社面接を受けて、2社の内定を頂いた。

 ひとつは印刷やホームページの製作などを請け負う会社で、もうひとつは、いわゆるIT系の会社で、データベースを活用し、経営分析に役立てる独自のシステムを開発中ということだった。


 どちらもいったん募集は締め切ったものの、内定辞退者がでたことにより、補充を検討していたそうだ。後者はゼミの卒業生が起業した会社で、社長はまだ30代前半だった。

 適性テストと人事課長の面接を受けた後、社長室に通された。

 役員面接があるかもしれないことは聞いていたが、社長が出てくるとは思ってもみなかった。


「僕はね、そりゃあ能力も大事だけどね。こういうことは縁だと思っている。羽佐間君が内定をもらっていたという企業ね。実はうちと取引の話があるんだ。奇遇だとは思わないかい? もしかしたら僕らはこれから、その会社の経営再建のために力をあわせるということになるかもしれないんだよ。それが叶えば、なんかすごいよね。うん、僕はそういうの、好きだなぁ」


神代成行(かみしろ なりゆき)社長は、独特の間で話をする。

少し前の僕なら、それを"胡散臭い"なんて思っていたかもしれない。実際、雰囲気は怪しげで、気を許せない――嘘は言っていないが含みのある言葉を好んで使っているように見えた。


 デリアとの会話のやり取りを思い出す。


「それに田嶋先生には、いろいろとお世話になっているんだよ。先生に統計の面白さを教わっていなかったら、今の自分はなかったからね。借りは、なるべく早く返したほうがいい。後になればなるほど、高くつくからね」


 僕が所属している田嶋ゼミは情報システムを研究テーマにしていた。特に統計を使った経営シミュレーションに力を入れていて、ゲーム感覚で研究ができた。

 もっとも僕がここを選んだのは、統計に興味があったわけではなく、卒業論文が、それらの研究をもとにしたデータ分析であり、文章を書くのが苦手な僕にとって、それは重要な要素だった。


「君たちが今使っている経営シュミレーションシステムね、うちの開発が手伝っているのよ。普通はしっかりとお金をもらわなければいけないところなんだけれどね。今は何かといい人材が取りにくい時期でさ。ああ、あのシステムを提供した時期は、逆に就職難だったのだけれど、そういうのはさ、続かないんだよね。転ばぬ先のなんとかってやつさ。なんせ僕らは未来を予測するのが、商売みたいなものだからね」


 楽しげに昔話を語っているように見えて、この男は僕に不自由な選択を迫っている。それだけ僕のことを評価してくれているというのであれば、ありがたい話だが、明らかに"断りにくい方向"に話を進めている。

「確かに、縁というのは、あるのかもしれません。遠い、遠い、何の関係もないようなひとつの選択が、未来に大きな影響を与えるかもしれないという話は、なんというか、ここ最近よく考えることなんです」


 僕はふと、この人になら、僕が抱えている問題を話してもいいのではないかという気分になり、少し含みのあるものの言い方をしてしまった。しまったと思った。


「"バタフライ効果"ってやつだね」

 この後、僕は神代社長から思わぬ言葉を聞くことになるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る