第16話 第六の選択

 どうしたらいいのかわからない。

 今までは正直成り行きに任せていただけである。

 僕は、この数日の間に、自分がどういう人間であるかをずっと監視されていた。

 そして僕も僕自身をずっと見つめていた。


 羽佐間京次は、僕という内面と、愚弟で、愚兄で、平民という外面から成り立っている小さな存在なのだ。

 そんな小さな僕が、世界の運命を握っているのだ。


 "迷って当然なんだ"


 24時間ごとに選択の時間は必ずくる。

 僕は何があっても選択を放棄しない限り、死ぬことはないのだから。


 それに7回の選択を経て、僕は最後の選択を迫られることになっている。


"一つ、選択者は168時間後に、最後の選択をしなければならないものとし、選択者はそれに必要な期限を任意で一度だけ宣言することができるものとする。ただし、その期限内に選択を放棄した場合、または選択者が死亡、事故、病気など、物理的な事由により実行不可能な場合、世界は滅びるものとする"


 つまり、僕は最後の選択を50年後にすることもできるし、1日後にすることもできる。

 しかしその場合、僕は第七の選択までと同じような不死の庇護をうけるわけではないのだ。

 もしも僕が最後の選択をする前に事故や病気や事件に巻き込まれて死亡してしまった時、世界は滅びることになる。

 もし僕が悪になれれば、自分が死んだ後の世界のことなど、知ったことではない。適当な期限をつけて、今まで通りに生活を送ればいいのだ。


"一つ、最後の選択の期限までの間、選択者は天使、悪魔とのコンタクトを一切禁止するものとする。また、選択に際し、選択者が第三者に本件に関する情報を開示することは自由とし、その際、記憶の改ざんなどは一切行わないものとする。したがって選択者は、規定の効力の期限が過ぎ、最後の選択をするまでの間に、天使と悪魔以外との情報公開を自由にできるものとする。ただし、最後の選択をした瞬間、第三者のそれらの記憶は全て抹消される"


 僕がもし、この最後の選択の重圧に耐えられない場合は、責任を他人になすりつけることも可能なのだ。

 いや、こんな重要な問題は全世界の人たちを巻き込んで、全体の総意として多数決でも、決闘でも、なんでもいいから公正に行えばいいのである。

 結果として第三者は記憶をすべて消去されるのだから、誰も心を痛めなくて済む。


 僕だけが苦しめばいい。


 僕は僕自身を一番信じていない。

 悪魔に魅入られた自分自身をどうして信じることができるだろうか。

 天使を傷つけ、悪魔に憐れまれる羽佐間京次という男は、世界で最も卑怯で、卑劣で、ひ弱で、非常識で、卑屈で、非力で、悲劇的に悲惨だ。


「デリア、僕はいったいぜんたい、どうしたらいいのだろうか」

「死ねば」


 デリアは即答した。僕は即死しそうなくらい生きた心地がしなかった。

「君は嘘が下手だね」

「あなたって、本当に嘘つきね」


 もう僕には頭の中でデリアの言葉を変換する気力を失くしていた。僕はあれこれと考えた挙句に、やさしくされたくて、第六の選択にアデールを選んだ。


 アデールはこんな僕でもやさしくしてくれた。すっかり折れて、曲がってしまった心を天使の歌声で癒してくれる。僕は子供のようにアデールに甘え、身も心も委ねた。

「京次様は、誰よりも重く、辛い選択をするにふさわしい人です。なぜならあなたは私たちに選ばれたのですから」


「僕が、選ばれた……、どうして、僕が、選ばれたんだ」

「それは京次様が、もっとも正しい選択ができる方だからです」


 デリアとは違う肌の質感、歌声のような美しい声、慈愛に満ち溢れ、触れる者を安心させるぬくもり。その純真さも無垢さも僕にはまぶしすぎる。

「まぁ、こんなに震えて……、いいのですよ。私があなたを癒して差し上げます」

 止どめなく、涙が流れる。その涙の粒の一つ一つをアデールはその温かい手で拭ってくれた。僕は彼女の柔らかい胸に顔をうずめ、永遠の安らぎを得たような気分になっていた。


 できることなら、このまま死んでしまいたい


 そう思った僕の心を感じたのか、アデールは涙ながらに僕に訴えた。

「死は常に、人の傍らにあります。それを取り除くことは誰にもできません。人は死の恐怖から逃れるために神を心に宿しました。この世界のどの生き物も、神を持っていませんし、同時に悪魔も持っていません。どうか、自ら死を引き寄せませんように。そして決して自分がいつか死ぬということを忘れてはいけません。この世の命すべてに、必ず終わりはあるのです。そこに選択権はありません」


「命を、選択する……権利」

「生きる義務と言い換えることもできます」


 何かが吹っ切れたような気がした。僕に取り憑いていた死相は、アデールの光によって消え去ったようだ。それと同時に僕は強烈な喉の渇きと空腹を感じ、お腹が情けない音を立てた。

「まぁ、お腹をすかしていらしたんですね。私、何か作りますね」

 僕は彼女の手を掴み、首を横に振った。

「いや、僕が作るよ。ご馳走する。あまり上手じゃないかもしれないけれど、僕が作るよ。食べてくれるかい?」

「はい、喜んで。京次様」

「とはいえ、たぶん冷蔵庫には何もないか……ちょっと買い物に行ってくるね」

「一緒に行きましょう。京次様」

「だめだよ。何を作るか、ばれちゃうじゃん……機密事項指定」


 僕はアデールを喜ばせたくて、機密事項を宣言した。

「機密事項了承しました。只今から1時間の間、機密事項モードとなります」

 僕は三日ぶりに部屋の外に出た。

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