第15話 嘘と妹と正しさと

 "悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや"


「ちゃんちゃらおかしいよな。ならば善人でも悪人でもない僕ら平民はどうなるのさ」

 どういう話の流れで、そういう会話になったのか忘れたが、間宮とそんな話をした。

「平民って、なんかお前らしいな。俺なんかさ、オイタが過ぎるって顔で、彼女に睨まれているんだぜ。そんなにしょっちゅう浮気なんかしてねぇっつうの」

 こいつの女癖の悪さは折り紙つきだ。それも千羽鶴だ。

「この悪党が」

「いいじゃんか、せっかく生まれてきたんだ。楽しくやろうぜ、平民」


 間宮みたいにはなれない。

 僕は勝手に線を引いていた。

 姉貴みたいにはなれない。

 妹みたいにはなれない。

 みんなみたいには、なれないし、なりたくない。


 勧善懲悪などテレビドラマの中のことで、世の中善行を積むのも、罪を犯すのも人間である。

 人ひとりの中に善も悪もある――それが嫌だった。

 わかっていても、人間らしく生きることに、往生際の悪さを感じ、偽善と欺瞞を感じ、不自由さを自ら選んでいるようなバカバカしさを感じ、つまりは自分が嫌いだったのだ。


 人間はいい加減だから嫌いだ――その中でも特に、僕が嫌いだ。


 そんな僕をアデールは否定してくれる。

 "あんたって最低ね"


 今までそんな気持ちのいいことを言ってくれる人はいなかった。

 "お兄ちゃん、最低"

 そうだった、妹は例外的存在だった。


 文武両道の妹――才能の塊、エースで4番でスコアラー、羽佐間鈴音は、ひとりID野球妹だ。

 だが完全無欠に見える妹ではあるか、彼女に監督は務まらないし、キャプテンも務まらない。


 妹の弱点――彼女は嘘がつけないのだ。

「お兄ちゃんって、馬鹿っていうか、馬鹿だよね。悪い意味で」

 けんもほろろだ。

 スズちゃんのすごいところは、僕にだけではなく、誰にでも分け隔てなく、嘘がつけないのである。


 彼女は何でもできてしまう。それもかなり高いレベルでやれてしまう。

 もちろん高い才能を引き延ばす努力を惜しまない。それこそが才能と言っていいのだが、彼女からすると良くなるとわかっていてそれをしない意味がわからない


 甘い物を食べながら"ダイエットができない"と言っている人に向かって平気で、真顔で、真剣に"食べるなブタ"と言えてしまうのである。


「今の打球、取れたよね。試合に集中しなさいよ」

 ソフトボール大会。際どい当たりをアウトにできなかった選手に対して、みんなに聞こえるような大きな声で言ってしまう。見ているこっちがハラハラしてしまう。


「お前、もう少し言い方という物があるだろう」

 そう問いただすと、スズちゃんは不思議そうな顔をしてこう返す。

「なにそれ、誰得? なんでわたしが気を使わなきゃいけないのさ。っていうか、気を使っているからこそ注意しているんだし、注意するからには的確でなきゃいけないし、みんなに聞こえた方が一遍で済むし、何がいけないの? わたし? それともお兄ちゃん?」


「嗚呼、お前は正しい。だが、世の中、正しいだけでは何ともならんことがある――少なくともこの兄はそうだ」


「正しくて、力があったら、何にも問題ないよね。やっぱり、お兄ちゃんが悪いんじゃん」

 ぐうの音も出ない兄であった。


 そんな妹に対して、姉貴は猫可愛がりをする。

 しかし、妹は姉を恐れている。

 いや、この場合は怖がっているのではなく、畏れ多い存在と崇めているというのが正しい。


 "お姉ちゃんは絶対"

 スズちゃんがアヤネェを崇拝する理由はよくわからないが、僕にとっては好都合だ。僕の言うことはまるで聞かなくても、アヤネェを引き合いに出せば、どんな非効率、非合理的、理不尽なことでも妹は言うことを聞く。


 嘘をつかない妹は、嘘を見破ることができない。


 そして嘘をつかれるということが、どういうことなのかを、おそらく理解していない。


 嘘……僕は嘘について考える。

 嘘の中にこそ、真実があるのかもしれない。


 悪魔は必ず嘘をつく。

 そうわかっていたとしても、やはり計り知れないことがある。

 僕がデリアのことを気遣い、それを伝えるためには、嘘をつかなければならない。

「俺は、お前のことが嫌いだ」

「私も、あなたのことが嫌いよ」

「大嫌いだ」

「大嫌いよ」


 そして二人のやりとりを天使は微笑ましい光景を観るように眺めている。

 天使に見守られながら悪魔と恋の駆け引きをしているというプレイに僕はすっかりのめり込んでいたが、それをもう一日、つまり第六の選択をしたときも、同じことをするかどうかについては正直、迷いがあった。


「僕は、このままで、いいのだろうか」

 それはほとんど独り言のようなものだったが、デリアは僕の背中を指でなぞりながら、耳元で囁いた。


「何を今さら……良い訳がないでしょう。あなたは必ず失敗する。そして後悔するわよ」

 なるほど、君はそういう言い方をするんだった。


 だけど、確かに、僕は失敗し、後悔するのかもしれない。

 AVビデオを借りるのに、失敗するとかしないとか、そんな次元で今の状況を語れるはずがない。

 既定の回数はあと二回。


 第六の選択をアデールにした場合、僕はその時点で天使に偏ったことが確定する。逆に悪魔を選択した場合、どちらに偏るかは、第七の選択まで持ち越される。

 単純な善悪の判断であれば、何もわざわざ五分五分にする必要もないのだけれど、僕の心身はあろうことかデリアに傾いている。

 その自覚があるだけに、もし五分五分にした場合は、第七の選択を悪魔にしてしまうかもしれない。


 僕には、迷うことしかできなかった。

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