第30話 天使と悪魔と四月馬鹿
静岡から戻った僕は、それから折り目正しく、規則正しい日々を送り、風邪も引かず、怪我もせず、人に恨まれることもなく、日々を過ごした。
安全第一、無茶も無理も無謀も禁じて、ただただ、AV鑑賞に集中した。
僕は失敗しない。
そして迎えた3月30日の深夜、3月31日の零時、最後の選択のときを迎えた。
"では、お答えください"
「答えはNOだ」
"NO、すなわち、続けるということでよろしいでしょうか?"
「そうだ。やり直さない。このまま続ける」
"やり直さない場合、人類が滅びる可能性は――"
「なんだ、この前よりも少し増えていないか?」
"数値は常に変動します"
「なら、良くもなれば、悪くもなるわけだろう。滅びると決まったわけじゃない」
"あなたはこれまで、ずっとよりよき選択をなさってきました。そのあなたが、そうだというのであれば、まだ、人類には希望はあるのでしょう"
「それほど僕は人を信じているわけじゃない。だからやり直したからってうまくいくとは限らない。そうだろう?」
"未知数と実数を比べることは困難です"
「やり直すって言うのは、どうにもズルをしているようで、それじゃあ、いつまでたっても、失敗を繰り返すような気がするんだ。正直100パーセント、この選択でよかったと言える自信はないんだ」
"選択を変更しますか? まだ確定はしていません"
「いや、もう、あれこれ考えるのは止めた。どんなに長い時間をかけたって、失敗するときは失敗をする」
"では、選択を確定してよろしいですか"
僕は押し黙り、もう一度自問自答をする。
「ねぇ、アデール。僕の選択は間違っているだろうか」
「私は京次様のことを信じています」
「なぁ、デリア。お前はどう思う?」
「最低の選択ね。きっと後悔するわ」
僕は脳内で天使と悪魔を作りだし、この数か月間、ずっとディスカッションをしてきた。それで得られた結論。
「人は所詮、人でしかない。神の世界に登ることもできなければ、悪魔の世界に堕ちることもできない。人が人らしくあること。それは受け入れること、拒むこと、迷う事、信じること、疑う事、許すこと、認めない事、諦めること、こだわり続けること……不完全であることだ。いや、違う……こうじゃない」
「人は不完全なものです。不完全であればこそ、滅びることもあるでしょう。生命が必ず、死を迎えるように、人もまた滅びという死を避けることはできない。死が常に傍らにあるからこそ、生をまっとうできるのです」
相手が神のような存在であるのか、宇宙人であるのか、未来人であるのか、わからない。
僕は僕なりに丁寧にその存在に対して訴えかけた。
「命は永遠ではない、不完全だからこそ、不滅ではないからこそ、生きているという実感がある。生きることに、迷いも悩みもする人間だからこそ、過ちも栄達も人間らしい。人が生きる証とはそういうことではないかと……僕は思うのです」
僕は大きく息をして興奮している自分を落ち着かせた。
「だから、僕はやり直さないという選択をします。あなたがどんなに偉い存在であるのか、僕には計り知れませんが、一言言わせてもらえれば……」
僕は画面に映ったアデールとデリアを見つめながら言い放った。
「絶対に後悔しない選択なんかない! AVを借りるのも、人類の存亡もだ! それが生きているってことだ!」
"最後の選択を受け付けました"
僕の選択は果たして、間違っていたのかもしれない。
だからと言って、"人類が歴史をやり直す"とはどういうことなのか――僕にはまるで分らなかった。
僕は『天使か悪魔か』のDVDをプレイヤーから取り出し、社会人になる前の最後の夜をイメージビデオの新作とSMものの新作の二本立てを鑑賞して過ごした。
もうこれでいい。
今回が最後だ。
翌朝、DVDを返却ボックスに入れて、天使と悪魔に別れを告げた。
明けて4月1日の朝、僕は新しい人生の一歩を踏み出した。
社会人としてのこれから、どんな選択を強いられるのか
右か左か
白か黒か
上か下か
北か南か東か西か
目の前を二人の女性が歩いている
一人は白いブラウスとスカート、春らしいキラキラした女の子
もう一人は上下を黒でビシッと決めたキャリアウーマン風のお姉さん
嗚呼、どっちも素敵だ
二人はずっと同じ方向に歩いている
おや、二人は知り合いなのか
ときどき会話をしているように見える
僕は神代社長が代表を勤めるIT企業――GOKコープレーションは五反田駅から徒歩10分のところにあるトッポいオフィスビルの7階にある。
どうやら前の二人と同じビルのようだ。
どことなく、感じが誰かに似ていると思ったが、あまり考えないようにした。
二人はそのまま同じエレベーターに乗り、こちらに振り向いた。
その顔は……天使の微笑みと、悪魔の微笑を連想させた。
そういえば今日は、四月馬鹿(エイプリルフール)か。なんだかすでに、何か大いなる存在に、嘘をつかれている気分になるのは、なんでだろう?
しかし、この日を選んだのは、僕だ。
新たな船出にふさわしい一日になるのかどうか。
期待に胸をふくらませ、不安に胸を躍らせる。
選択したのは僕だ。
たとえ世界が滅亡することが運命だとしても、僕はそれに抗う選択をする。
そんな大きな嘘を、せめて今日一日はついてやる。
天使と悪魔のささやきに、耳を傾けながら――
天使か悪魔か めけめけ @meque_meque
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