第5話 規則事項

 信じられないことだが、僕は今、天使を目の前にし、その肩越しに悪魔を見ている。いうなれば清純系の新人AV女優のデビュー作とお姉さん系痴女タイプのAV女優の作品をザッピングして見ている状態である。


 嗚呼、そんなことだから僕はダメなのだ。


 心の奥底でため息交じりの声が聞こえる。そんな僕の複雑かつ矮小な心情を余所に、天使アデールは規則事項を読み始めた。


第1条 選択

 一つ、これから24時間ごとに天使か悪魔、どちらかを切り替え20秒前に選択しなければならない。ただし次回分に限りあらかじめ予約をすることができる。予約の変更は、切り替え20秒前からのカウントダウン中に一度だけできるものとする。


 一つ、次回予約をせず、選択可能時間を過ぎた場合、世界は滅びるものとする。


 一つ、選択は最初の1回目から24時間ごとに7回行うものとし、24時間を選択した天使と悪魔と生活をともにしなければならない。


 一つ、選択された天使または悪魔は現実世界に実体化する。ただし他の人間には、五感によって認識することはできない。選択されなかった天使または悪魔はテレビの中に映像化されれ、選択者の行動を監視するものとする。


 ここまで聞いて、僕はようやく突っ込むタイミングを得た。

「ちょっと待て、世界が滅びるって……」

 アデールは、僕を無視するかのように機械的に規則事項を読み続ける。


 第2条 情報

 一つ、選択者のすべての行動は記録され、天使、悪魔はその情報を原則共有するものとする。

 ただし選択者が機密事項と宣言した情報についてはこの限りではない。天使、悪魔のそれぞれに機密事項として宣言された行動、言動があった範囲の時間の記憶は、機密事項を宣言された天使、または悪魔の記憶から削除される。

 この場合、両方に対しても機密事項であることを宣言することはできないものとする。また機密事項の総発動時間は12時間を超えてはならず、連続して1時間を超えてはならない。

 これらの制限に抵触した場合、そのとき宣言した機密は全て天使、悪魔双方に公開されるものとする。


 一つ、これらすべての情報は選択者、天使、悪魔の三者間の機密事項とし、第三者に漏えいした場合は、その記憶を抹消するものとする。ただし、選択者、天使、悪魔の三者が合意した場合のみ、第三者への情報開示は可能となる。


 第3条 最後の選択

 一つ、選択者は168時間後に、最後の選択をしなければならないものとし、選択者はそれに必要な期限を任意で一度だけ宣言することができるものとする。

 ただし、その期限内に選択を放棄した場合、または選択者が死亡、事故、病気など、物理的な事由により実行不可能な場合、世界は滅びるものとする。


 一つ、最後の選択の期限までの間、選択者は天使、悪魔とのコンタクトを一切禁止するものとする。

 また、選択に際し、選択者が第三者に本件に関する情報を開示することは自由とし、その際、記憶の改ざんなどは一切行わないものとする。

 したがって選択者は、規定の効力の期限が過ぎ、最後の選択をするまでの間に、天使と悪魔以外との情報公開を自由にできるものとする。ただし、最後の選択をした瞬間、第三者のそれらの記憶は全て抹消される。


 第4条 効力と効果

 一つ、天使、悪魔はそれぞれ不滅、不眠、不休であり、生物学的ないかなる制限も受けないものとする。


 一つ、選択者はこれより168時間は天使と悪魔の加護を受け、不死身とする。

 ただし選択者が世界の滅亡を望む場合はこの限りではない。

 また、選択者が宣言した選択期日までの間は天使と悪魔の加護は受けられないものとする。


「――とまぁ、こんな感じなんですけれど、何かわからない事、質問とかございますか?」


 アデールの癖なのだろうか。

 句読点のところで必ず一度、瞬きをする。それが小動物みたいで可愛くて仕方がなかった。


 さて、質問をしなければならない。何から聞くか。まずは大前提となることから聞くべきだろう。

「えーっと、それでは質問させて頂きます。質問には嘘偽りなく、正しい答えを返してくれますか?」

「はい、私はどんな質問にも正しい答えを返します。ただし、知らないことは応えられません。わからないことは私が可能性を考慮していくつかの答えの提示はすることはありますが、それが答えとは限りません」

「では、スリーサイズを教えてください」

「計ったことがないのでわかりません」

「では今日の下着の色は、何色ですか?」

「履いていないので、わかりません」


 実はそうではないかと、うすうす感じていた。というか、薄々見えていた。これで確信した。天使は嘘をつかない。ならばあとはこの質問しかないだろう。

「悪魔は真実を答えますか?」

「いいえ」

「悪魔は嘘をつきますか?」

「はい」

「あそこに映っているのは悪魔ですか」

「はい」


 やはりそうか。悪魔は真実を語らない。そして嘘をつく。

 まぁいい。どのみち悪魔を選ぶつもりはない。これでいよいよ本丸を突ける。僕は一旦、気持ちを落ち着かせるために台所まで行き、冷蔵庫からペットボトルを取り出す。

 天使に何か飲むかと聞くと、私は大丈夫です。要りませんと答えた。

 天使は普段、何を飲み、何を食べているのかを聞いてみようと思ったが、それは後回しだ。


 僕は自分の分だけ冷蔵庫から取り出し、三分の一ほど一気に飲み干し、天使が舞い降りた10畳の居間に舞い戻り、僕がちゃぶ台と呼んでいる小さなテーブルの前に腰を下ろした。

「で、世界が滅ぶというのは具体的にどういうことなのかな。そんで、僕が選択をしないと、世界が滅びるとかだいたいどうしてこう言うことになったのか……、まぁ、過程はいいとしても、その最後の選択って、いったい何なわけ、世界は、僕に、何を、やらそうとしているわけ!」

 落ち着いて話そうとしたが、やはり二十歳そこそこの若造が、ありえないほどの可愛い女子を前にして、ありえないほど突拍子もない質問をするなど、冷静にできるはずもなかった。


「答えられません……」

「はぁ?」

「最後の選択がどういうものかは、私もデリアも知りません」

 アデールは申し訳なさそうな表情で僕を見つめている。

 どうやったこんなに瞳がきらきらと輝くのが、これも後で教えてもらうしかない。

 その後ろでは悪魔が僕に微笑んでいる。

 まるで"私なら何でも知っているわよ"と言わんばかりの不敵な笑みを浮かべて僕を見ている。

 僕は一瞬で魅入られそうになり、目をそらす。


 嘘だ。あいつはそうやって嘘をついている。


「世界はあなたによりよき選択をさせようとしているのだと思います。つまりそれは、あなたがよりよき選択をしてくれる……、そうあなたがここ数年続けてきた、間違いのない選択の数々が、きっと評価されたのだと思います。どれも推測ですが、私はそう思うし、そう信じることができる。きっと、あなたなら……」


 僕はすっかり堕ちてしまった。そんな表情で見つめられたら、もう押し倒すか、引き回すか、それでもだめなら謝るしかない。

「AVを選ぶように、世界の命運を俺が選んで、それでなんとかなる世の中……、世界ってそんなに軽い物じゃないだろうが!」

 僕は座りながらにして腰を抜かし、身体を後ろにそらしてセミダブルのベッドに寄りかかった。

「童貞が、そんな大事なことを選んでいいわけが、ないじゃんかよ」

 うかつにも、うかつにも、僕は口を滑らせた。

「あっ、今の、今の機密事項! 聴かなかったことにして」

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