第6話 天使に見守られながら

 僕はうっかり自分が童貞であることをしゃべり、そして更にうっかりした事に、天使アデールに対して機密事項を宣言してしまった。


 天使の表情が突然無機質になる。

「キミツジコウ "童貞が、そんな大事なことを選んでいいわけが、ないじゃんかよ" ヲ テンシノ キオクカラ サクジョ シマス。ヨロシイデスカ?」

「はい、削除してください」

 アデールは一度うなずき、顔を上げると元の可愛らしく、生き生きとした表情に戻った。


「あなたなら、あなたの選択したことなら、私、なんでも受け入れることができます」

 なるほど、こうやって機密事項は守られるのか。そしてはたと気づく。悪魔デリアのいやらしい視線に。


「ウルトラミス! いや、しかし、待てよ。問題ない。これはやむを得ない選択だ」

 アデールの顔には何のことだわからないという素直な疑問が経っている。

 そう、天使に対する秘密は悪魔に対する暴露に他ならない。

 悪魔と言う一番弱みを握られてはいけない存在に、開始1時間も経たないうちに、僕は渾身のオウンゴールを決めてしまった。


 なんということだ。これから僕は常に天使と悪魔の視線を気にしながら選択をしていかなければならい。

 たとえば、天使にあんなことや、こんなことをした後に、機密事項宣言をしたとする。だが、それは同時に悪魔との秘密の共有を意味する。なんてことだ。逆またしかりではないか!

 いや待て、ここで確認しておかなければならない。彼女はさっき僕の名前を言い、そして僕が数々の選択をしてきたことを知っている。彼女は、いや、彼女たちはいったい僕の何を知り、何を知らないのか。


 僕に秘密はあるのか?


「羽佐間京次様の個人情報につきましては、レンタルビデオ店に登録された情報、及び、店が保持している貸出履歴、防犯カメラに撮影された映像などが基本情報として天使と悪魔の間で共有されております。それら情報の第二階層――たとえば京次様の住所に対する位置情報や付随する基礎知識、ここが東京であり、日本であり地球のどの位置にあり、日本がどんな歴史を有しているかといった情報につきましては、閲覧可能な記憶情報としていつでも更新可能ですが、特に必要を認めない場合は、これらの情報は保管されたままの状態になります」


 つまり、僕が先日借りた『新・団地妻シリーズ 幼妻のため息』というワードは記憶しているが、必要に迫られない限りは"団地妻"の具体的イメージやどんな破廉恥なものであるかは、知らないでいてくれるという親切設計なわけだ。

 僕は安心しつつも、今後、僕の行く先々にどれだけの地雷が埋められ、どれだけの浮遊機雷が曲がり角の向こうにあるのか、先が思いやられた。


「ですので、基本的には、私には初対面として接していただければ、なんら問題はないかと思います」

 その初対面の子に、僕はスリーサイズや履いているパンツの色を聞いてしまったというわけか。


「なるほど、承知した。悪い冗談にしてはよくできているし、なんというか、面白くもあるのだけれど、さっきの質問でもう一度確認だ。世界が滅びるっていうのは、たとえば巨大な隕石が地球にぶつかるとか、人類が死滅するようなウイルスが蔓延するとか、あるいは一瞬にして地球上から人間が消えてなくなるとか、そういういことでいいのか?」


「滅亡の方法を選ぶことはできませんが、今上げたようなことは、可能性として選択肢にあるということしか、私にはわかりません。痛みを伴うものなのか、苦しみをともなうものなのか、悲しみに溢れるのか、何も知らないうちに消えてしまうのか……」

 アデールは少し震えている。僕は幼気な少女に無理強いをして、嫌な話をさせているような気分になり、心が痛んだ。


 話しを変えよう。


「わかった。なるべく滅亡はしなくて済むようにするよ。僕はこの後、いろいろやることをやったら寝ないといけない。明日は一応、学校に行く予定なんでね。君は……、そのぉ、アデールは、僕が寝ている間、テレビの中に戻って休むとか?」


 アデールは僕がコスプレだと思っていた背中についた羽を大きく広げ、そしてまた縮めた。人間で言うところの背伸びなのようなものなのか。

「いえ、一度実体化した私は次に選択が変わらない限り、ずっとこうしてここに居ます。あなたのそばにいます。ですから京次様が寝るということであれば、おそばに控えさせて頂きます」

「寝ないの?」

「はい」

「ずっと、僕を見ているの?」

「はい」


 お願いだからそんな目で見つめないで欲しい。いや、僕は見つめていたいけのだけれど。

「それはちょっと、気が散るというか、眠れないというか……」

「もちろん、ご一緒することも可能です。目を瞑ったままでいろとおっしゃるなら、目を瞑ったまま、おそばにいさせて頂きます」


 白衣の天使に見守られるならまだしも、天使に見守られるというのは、死の覚悟が必要な気がした。

「もし、僕がトイレに起きたら?」

「ここでお待ちしています」


 そこは、ご一緒しないんだ。


「トイレの窓から逃げ出したら」

「私にもデリアにも、あなたの存在を感じる能力があります。たとえどんなに死角に隠れても、私たちはいつでも京次様を感じることができます。それに実体化したからといっても、私たちは人間とは違います。この部屋に外からカギを掛けた程度では、閉じ込めることはできません」


 確かに外からカギを掛けたところで、中からカギを開けるのは天使や悪魔でなくても可能だろうが、もちろん、そういう意味で言っているのではないのだろう。

「空を飛んだり、壁をすり抜けたりできるってことかな?」

「そういうことが、ご所望とあれば」

 いえ、結構です。


 さて、このまるで冗談のような危機的な状況をいかに打破するか、そろそろ真面目に考えないといけない。

 まず最初に考えるべきこと。それは他に借りた二本のDVDをどうするかだ。


 先ほどはまったくリモコンの操作を受け入れなかったが、どうやらそこは占有されてしまっている。

 彼女たちは普通の人には見えないというのだから、こうしてここに居るところを誰かに観られても問題はない。

 むしろ問題は僕にはこれからの一週間、まるでプライベートの時間がないということだ。

 常に天使と悪魔に監視される中、日々を送ることになる。具体的な問題としては――


 嗚呼、そうなのだ。

 僕にはそういうものが、何もない。


 強いて言うなれば、それはAV鑑賞くらいのものだ。それ以外は何を覗かれようが、何を聞かれようが、童貞であることがバレたとしても、それは大したことではない。もしかしたら何も意識せずにいれば、今まで通り普通の生活ができるのかもしれない。


 AVを見ること以外に関しては……。


 僕は他に借りた二本を先に見なかったことを、後悔した。

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