第27話 社交辞令

 週末、僕は実家に帰ることになった。

 姉夫婦も来るらしい。

 スズちゃんからメールが来た。


 お兄ちゃん、就職おめでとう

 よかったね

 ついこの前まで、世界が破滅しちゃいそうな悲壮感を漂わせていたのに

 まるで世界を救ったヒーローの凱旋帰国だね

 お土産、東京ばな奈よろしく


 また東京ばな奈だ。

 妹の奴、どれだけ東京ばな奈が好きなんだ。

 ちなみに僕はバナナが嫌いだ。

 世界が滅亡するのと同じくらいに、バナナが嫌いだ。

 妹はそれを知っていて、自分の取り分が多くなる東京ばな奈を要求している。


 本当のところ東京ばな奈は食べられる。

 バナナ味であって、バナナそのものではないのだから。

 でも、子供の頃、あれにはバナナが入っているものだと思ったし、そうではないということを知った頃には、妹に「お兄ちゃん、バナナが入っていると思っていたんだって、バカみたい」と笑われてしまった。


 今更、どの顔をして東京ばな奈を食べていいのかわからない。

 たとえ、世界が破滅しようとも、妹の前では絶対に食べない。


 東京駅は相変わらず人でごった返している。

「交通費は出してあげるから、新幹線使って帰ってきなさい」


 ありがたく新幹線ひかりに乗って、静岡に向かった。

 お土産に東京ばな奈を実家用と姉夫婦ように二箱買った。

 姉夫婦のお土産のほうは可愛いパンダの絵がついている。


 静岡に帰るのは正月以来で、10月に帰るのは初めてのことだ。いつもなら、家族以外に、地元の仲間にも連絡を入れて、飲みに行ったりするが、この時期に連絡をとっても、地元にいない奴も多い。

 お忍びというわけではなかったが、正直、そこまで気が回らなかったというのが本当のところだった。


 しかしこういうときには、思わぬことが起きるものである。

 会いたいと思っても会えないような人との波長と時間軸は、僕が普段ならやらない行動の結果として重なり合ってしまうことがあるのかもしれない。


 一日分の着替えを入れたカバンを背負い、お土産袋を両手に提げた格好で、新幹線の改札口を出たところで、僕はその人と目があった。

 中学三年から高校一年の間、付き合った彼女――望月日向(もちづきひなた)だ。


 時間が止まる。

 僕はすっかり忘却の彼方に消し去ってしまった苦い思い出を早送りのビデオテープのように脳内で再生し、息をのんだ。

「あっ、ひな……望月さん、こんにちは、久しぶり」

 思わず"ひなた"と呼びかけて、名字で言い直した。

「お久しぶり。帰省? っていうか、望月さんって、なんか変、ひなたでいいよ」


 ショートヘアだった髪型がロングに変わり、化粧もしている。

 ビジネススーツが決まっている。そうか彼女は高校を卒業後、地元の短大に進学したと聞いている。つまり社会人として二年先輩ということになるのだろう。


「ああ、実は紆余曲折あって、ようやく就職が決まったんだ。その報告で、急遽帰省ってことなんだけど……」

「そうなんだ。結構苦労しているのね? それとも遊びすぎ? 東京デビューとか?」

 こんな物腰で話をする子じゃなかった。

 いや、ちがうのか。

 むしろ付き合う前は、そうだったのかもしれない。

「なんだよ、東京デビューって。そんなんじゃないって。縁故で決まっていた先が急にダメだって話になってさ。慌てて就職活動して、つい二日前に決まったんだよ」

「そうなの。人生何があるかわからないわね」

 その次に出てきそうな言葉を遮ろうと、僕は話題を変えた。


「日向は……、今仕事中?」

「うん、東京から来るお客さんを出迎えで着ているんだけど……、ああ、私今、IT系っていうか、医療機器の販売会社に勤めているのね。本社が東京にあるんだけど、いろいろ問題があってさぁ。そのお客さんというのは、本社のお偉いさんね。今日も休日出勤でこれから会議なの」

 僕はふと、胸騒ぎを感じた。


 この偶然は、どこか、おかしい。

「ねぇ、日向の会社って、まさか――」

「えっ、なんで、誰かから聞いていたの?」

「いや、そうじゃないんだけど、ああ、そうか。こういう偶然もありなんだね」

「えっ? 何が?」


 その会社の名前を聞くのは、これが三度目だ。

 一度は親から

 二度目は田代社長から

 そしてかつての彼女であり望月日向が三度目ということになる。


「へぇ、すごい偶然ね。じゃあ、もしかしたら私たち、同じ会社の人間になっていたのかもしれないのね」

 彼女はそれを嬉しそうでもなく、残念そうでもなく、ただ、不思議なこともあるという顔で僕を見ていた。

「あっ、お客さん、見えたわ。ゴメンなさい、また今度、何かがあったら」

「ああ、何かあったら」

 それはいわゆる社交辞令だ。

 でも、僕だけが知っている。


 この社交辞令は、きっと社交辞令では終わらない。


 僕は彼女の後姿を目に焼きつけ、そして彼女に話しかける50代くらいの、見るからに会社のお偉いさんという男性の顔を覚えた。

 何かの運命に引き寄せられている。

 天使と悪魔との七日間は、思えば、この会社との縁がなくなったことから始まっている。


 これはいったいどういうことなのか。

 会いたい。

 アデールとデリアに会いたい。

 

 釈然としない荷物を抱えて、僕はその場を後にした。

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